第1章:別れと出会い
第1話
世間はクリスマスイブ。カップルや子連れの家族、多くの人たちがお祝いをするこの日、私は初めて失恋した。
人生で初めて恋をして、人生で初めて彼女ができて、人生で初めて彼女にフラれて。
それが少し前の出来事だった。
どれくらい地べたに座り込んでいたのか、時の流れというものに置き去りにされ、痛みすら感じない今の私には分からなかった。
ただ理解しているのは、私にはもう大好きなあの子が傍にいないということだけ。
ならいっそ、降りしきる雪の中で凍死するのも悪くないかもしれない。
「お嬢さん、何してるの?」
そんな私の視界に影が差した。
絶対に知らない人のはずだけど、その優しい声に私は現実に引き戻された。
「……別に、何も」
そっぽを向いて答える私の視界に入るように、女の人も動いてきた。
その女の人はずばり綺麗だった。楚々とした恰好が与える清潔感に背景のイルミネーションも相まって、その人の笑顔はキラキラして見えた。
「こんな寒い所にいたら風邪引くよ」
「放っておいてください」
幼子をあやすような注意に私は反抗した。
今は何も考えたくない。どうにでもなればいいとしか思えないし、倒れて記憶ごと失えるのなら儲けものだ。
たとえこの雪が白魔に豹変したとしても、とにかく1人でいたい。
「じゃあ、こんな所にいたら交番の人に捕まっちゃうよ」
「いっそ補導されて何もかも忘れ去りたい気分ですけどね」
「学校に連絡がいったら大事になっちゃうよ?」
「その間は説教でもされて考え事をせずに済むかもしれませんね!」
ああ言えばこう言うのがうざったくて、遂に私は怒鳴ってしまった。
声は優しいし雰囲気も穏やかなのに、どうも私の気持ちを汲み取ってくれない。
「さては君、失恋したんでしょ?」
「…………あっ、えっ?」
あまりに直球な言葉に私の脳は固まった。
一拍子遅れて怒りや悲しみが込み上げる。
この女の人には人の心というものがないの?というかどうして失恋したってバレたの?
「その顔、なんでって思ってるでしょ。こんな時期にこんな所で悲しそうに座ってたら、失恋ハンターの私じゃなくても分かっちゃうよ」
私の心の中までお見通しで、しかしその気持ちは無視して語りだす女の人。
失恋ハンターって、なんだそれ。女の造語も訳分かんないし、初対面のくせに知ったような口ぶりで傷口を抉られている現状もおかしい。
虚無に支配されていた私の心は、すぐに眼前の女に対する怒りで一杯になっていた。
「もう放っておいてください!しつこいんですよ!」
この場から脱するために私は立ち上がった。
こっちの話を無視するような奴だ。馬鹿正直に相手にするより自分から立ち去る方が賢明だろう。
「待って」
歩き出そうとする私の手が強く、しかし優しく包み込まれた。柔らかく温かい女の手の温度が、私の手がどれだけ冷えていたのか教えてくる。
そのままグイっと引き寄せられ、後ろから抱き締められた。鼻先に花のような香りが漂う。
いくら相手が女の人とはいえ知らない奴だ。抵抗しなければいけないのに、その甘い香りのせいか声のせいか、私はされるがままになっていた。
「悲しいことを溜め込んじゃダメ。悲しむだけ悲しんだらスッキリしないと」
さっきの私の反応で女は察したんだろう、私が失恋したことを確信して囁いてくる。
心の隙間を埋めるように入り込んでくる女の人の言葉は、どこか自分事のように悲しんでいる風に聞こえた。
だけど私の反抗心はまだ消えない。
だって……どうすれば「スッキリ」できるのか、その手立てを知らないから。
初恋の彼女にフラれた直後にスッキリできる方がおかしいだろう。
「見ず知らずのあなたに何かしてもらえると思ってませんから、早く離してください」
「ダメ。君がこのままの状態でお家に帰れるとは思えないもの」
「あなたに関係ありますか?たとえ私が家に辿り着けなかったとして、初対面の人に心配される筋合いはないですから……離さないと警察呼びますよ」
未だに解放してくれる気配がない女を脅す。最大の切り札、警察への通報という手段で。
私はいっそ補導でもされた方が精神衛生的にはいいし、何より補導される時刻はまだ1時間以上も先だ。ただこの場にいるだけなのだから、警察が来てもなんら困らない。親への連絡?それもどうぞご自由に。補導なんて、私にはその程度のものだ。
でもこの女は違う。年齢は分からないけど少なくとも私よりは年上だろう。もしこの女が成人していて一般常識があるなら、通報されることの重大さを知らないわけがない。知らないわけがなのなら、即刻この手を解放しなければならない。
それでもなお、女は私を離さなかった。
「これでもそんなこと言っちゃう?」
「あっ――」
さっきまでよりさらに強く抱きしめられた。
顔の横にかかる女の髪の毛が、一層強くトリートメントの香りを主張してくる。
背中には人の温もりを感じて、女への警戒心より落ち着きの方が勝っていた。
「その悲しみを忘れるために、お姉さんと遊んでみない?」
女はよく分からない提案をしてきた。初対面の女子に遊んでみないか?なんて、ナンパでもしているつもりなのか。
まぁこの女がどう考えていても、そんな提案に乗ることはないのだけど。
「……嫌です」
女の甘い声に負けないよう声を絞り出した。
さっきも言ってやったように、私の事情を何一つ知らないこの女が私を助けられるとは思えないから。
「失恋した後に誰かと遊ぶのは普通のことだよ」
「見ず知らずのお姉さんと遊ぶ義理はないですし、普通でもないです」
「寒かったよね、温まりたいよね……」
「……」
反論しようとして、私の口は上手く動いてくれなかった。
心の底にある感情を突き刺されたような感覚に襲われた。
この女には他人の心を透視する能力でも備わっているのだろうか。
「沈黙は同意ということで、いいかな?」
「はぁ、もう好きにしてください」
失恋したこともあって徹底抗戦する気力を失くした私は、結局折れることにした。
ここまでのやり取りで察したのだ。この女はどう返しても折れないだろう、と。
だったらこの人の良いようにさせて、早く飽きてくれることを祈るのみ。
「じゃあ行こうか」
女はキラキラの笑顔で私の腕を引っ張った。
やれやれ。私もどうかしている……普段なら振り払っていると思うけど、いろいろ重なって面倒になってしまった。
それに心の隅で、誰かといられることを期待している自分がいたのも否定できない。
だって、誰もかれも私のことを見て見ぬふりするから。
声をかけてくれたのはこの人だけ。発言が超怪しいけど。優しいとか思ってないけど。変なことされそうになったら即座に通報してやるけど!
「ところで君。押しに負けたからって、悪いお姉さんに着いてくるのはオススメできないよ?」
は?あんたから誘っておいて、意味不明なことを……。
「でも安心していいよ。失恋ハンターのお姉さん優しくしてあげるから」
酷く妖しい笑みを浮かべる女に連れてこられたのは、明らかに大通りとは街並みも行き交う人の種属も違う路地だった。
イルミネーションより毒々しい色で光り輝く看板を有する建物は、この女に連れられなければ決して近付くこともないであろうオーラに包まれていた。
「2名です、とりあえずチェックアウトは明日の午前中で」
名前も知らない女がフロントで慣れた様子で手続きをして、部屋の鍵を受け取った。
エレベーターに乗り、渡された鍵の部屋がある階で降りる。
開錠して部屋に入った途端、女に押し倒された。
そこから後の記憶はない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます