第13話

 職員室で部室のカギを借りてから部室へと向かった。


 部室の前で待っていた二人は親し気に笑っていた。


 こうして端から見ると美しい光景だ。

 まさしく微笑ましい光景だといえる。


 やはりどんなに美しい絵画も近すぎては全体が見えないし、逆に遠すぎてはぼやけてしまう。


 うん、適切な距離感を保つことが重要なのだ。

 

 そうなると人間関係もやはり適切な距離感というものがあるのかもしれない。今の僕はどうであろう。客観的に見て、適切な距離感を保っていると言えるのだろうか。


 果たして犯人を捕まえることができるだろうか。


 ……分からなかった。


 少し急ぎ足で廊下を進んだ。


「お待たせ」

「春斗、ありがと」と夏目優衣は明るく言った。

「随分と遅かったわね?」と拝島さんは静かに言った。


 ……堪えろ。


 そもそも拝島さんが傲岸不遜なのは今にして始まったわけではないのだ。適切な距離感を保つのだ。深入りしすぎてもいけないのだ。感情的になってはいけない。そう、常に冷静沈着に振る舞わなければならない。


 そう自分に言い聞かせた僕は、深呼吸をしてから、部室の扉を開けてできるだけ紳士的に「どうぞ」と言い二人を中へと通した。


「……春斗君、大丈夫?」


 拝島さんは僕に最高の礼を述べて部室に入った。


 夏目優衣は部室内を物珍しそうに眺めていた。そして拝島さんに促されるままに隣の席へと座った。会議用テーブルをはさんで僕は向かい側の椅子へと座り二人と対面した。


 拝島さんが入部して以来、僕はそれまでの定位置から移動した。そして、ほこりが被っていた椅子を引っ張り出してきて新たにそこを定位置としたのだ。


 決して先輩と拝島さんが掃除をして、いろいろと部室内を改造ならぬ改築した結果、僕の元の席がお客さん専用になり、そこから追い出されたからではない。

 

 いずれにしても二人はいそいそとお弁当箱を開いて食べ始めた。


 楽しそうに食事を始めた。時々ピアノの話などをしているみたいだった。


 まったくこれではまるで陽気なピクニックのようではないか。


 拝島さんはそれこそ――まるでストーカー被害になど遭っていないかのように陽気な表情をしていた。これからストーカー犯を捕まえるための作戦会議だというのに、気が抜けてしまう。


 いや、違うか。

 

 避けては通れない重い話題を払拭したいから、あえてわざと明るく振る舞っているのかもしれない。

 

 僕は冷めた弁当の箸を進めながら、そんなことを考えていた。


 間もなくしてお弁当を食べ終えた僕たちは、本題へと入る――と思っていたら、夏目優衣が明るい声で宣言した。。


「まずは、状況をまとめよう――と言いたいけど、その前に、まいまい携帯出して」


「どうかしたの優衣さん?」


「いいから、はやくはやく」と夏目優衣は急かす。


「……もう、わかったわ」と拝島さんは渋々ポケットからスマホを取り出してテーブルの上へと置いた。夏目優衣は「まいまいロック解除して」と言った。さすがに拝島さんは怪訝そうな顔をした。夏目優衣は拝島さんの耳元に近づいて何かを呟いた。その瞬間、拝島さんは神妙な顔で頷いて、スマホを操作した。


「はい、春斗も携帯を出す‼はやく!」と夏目優衣は有無も言わさない迫力で言った。僕は、黙ってポケットから取り出してテーブルの上へと置いた。すると、俊敏な動きで携帯電話を奪い取った。


「何するつもり――」と咄嗟に手を伸ばして奪い返そうとする。しかし間髪入れずに「うるさい!」と夏目優衣が鋭利な視線とともに応戦した。「っく」と言葉にならない思いとともに乗り出しかけていた身を元に戻した。そしてそのまま携帯を操作し始めた夏目優衣の姿を黙って見た。


 ロックをかけていないことを後悔することになるとは思わなかった。こんなことならば、面倒くさがらずに掛けておけばよかったと思っても、後の祭りだが……。


 いや、よく考えたら別に対した情報が蓄積されていないし、隠すことなどないから焦る必要などないないのだ。


 それにしても僕の携帯がロックをかけていないことを把握していることに背筋が凍る……。


 夏目優衣は僕の携帯電話と拝島さんのスマホを近づけていた。そして数秒で「はい、終わり」と言ってそれぞれ僕と拝島さんに交互に返した。


 ……なるほど、連絡先交換のためだったのか。


 まったく一言あれば差し出すのに……。


「これで、いちいち私を介して連絡する必要もないでしょ?それに、グループでやり取りした方が速いでしょ」と夏目優衣はニヤニヤとして言った。


「そ、そうよね」と拝島さんはなぜかぎこちなく答えて、手元のスマホに視線を落としていた。


「まあ、そうだな。しかし、夏目、お前常識がないのか?了解くらい取るだろ、普通」


「は?春斗に言われたくないしっ!」とプンすかと鼻を膨らました。しかしすぐに何かを思いついたように慈愛にも似た視線を僕に向けた。


「なに?」


「いやー、なんでもないよー」とさらに生温かな視線を向ける。


「じゃ、なぜニヤついている?」


「もうー、春斗、誤魔化さなくもいいよー」と夏目優衣は若干イラつかせる声で言った。そして「春斗は照れているのでしょ?まいまいの連絡先を知ったから!」とさらにテンションを上げてニヤニヤした。


 別に嬉しくないし、別に照れていない。

 ただほんの少し幸福にも似た感情を抱いただけなのだ。そう、これはいわば連絡先を知ることで円滑で合理的なコミュニケーションを行うことができることに感動しただけだ。

 

 時短最高。

 文明の利器万歳。

 情報化社会重畳。


「あ、でも、まいまいにセクハラなメールとか送ったらゆるさないから」

 

 夏目優衣は、からかうようなそれでいて真面目な口調で言った。


「するか!」


「……こほん」とそれまで静かであった拝島さんは、少し不貞腐れたように口を曲げた表情で話を遮った。


 僕が夏目優衣との会話を独占していたからかもしれない。一瞬、拝島さんは僕に鋭い視線を向けた気がした。


 独占欲が強いとは困ったものだ。別に拝島さんから夏目優衣を奪おうとはこれっぽちも思っていないのだ。


 というか……仮にそのような状況にもなってしまったあかつきには死の瀬戸際に追い込まれそうだ。


 想像しただけで身震いした。


 なににしても百合パワーに圧倒されてしまう前に、本題へと入るのが吉であろう。


「……以前の手紙と今朝の手紙の他に手がかりはあるの?」


「ないわ。一応、私たちで結論付けたのは昨日、話した通りのこと――犯人がクラスメイトであることだけ」


「わかった。じゃ、ところで――水鳥がストーカーの件を知っていたのは、どういうことかわかる?」


 僕は二人を観察した。拝島さんと夏目優衣はお互いに目配せをした。夏目優衣が、息を深く吸い込んでから謝罪の言葉を述べて頭を下げた。


 金髪の髪が揺れて、ふわっとシトラス系の甘い香りがした。その時、耳元から青いイヤリングが黄金色の髪の奥から見え隠れした。


「ごめんなさい。私が勇樹君に話した。舞ちゃんが、疑っていることを知らなくて」


「優衣さんが悪いわけではないから、気にしないでちょうだい」


「……とりあえず、これからどうするかが問題だから悔やんでも仕方がない」


 フォローになる言葉をなんとか絞り出せた。

 今朝は夏目優衣がストーカー犯である可能性を排除したが、情報を漏らしたことで分からなくなった。今のしゅんとした夏目優衣の様子からだと故意に言ったのかどうか判然としない。


 その時――思考を邪魔するように昼休み終了五分前を知らせる予冷が鳴ってしまった。


「とりあえず、今日はここまでみたいだな。次はいつ集まる?」


「そうね……明日の放課後は文芸部が休みだからまたここで集まりましょう?優衣さんも明日は部活休みよね?」


「うん」と夏目優衣は小さくうなずいた。


「それでは、また明日ということで決まりね。二人ともクラスに戻りましょう?」


「まいまい、ちょっと待って。話したいことがあるの」


 夏目優衣は拝島さんを呼び止めた。すると拝島さんはハッとして「忘れていた」と小さくつぶやいた。


「どうした?」と僕が聞くと、夏目優衣が「春斗は先に戻っていいよ。鍵は返しておくから」と急かすように話した。


「……わかった」


 空になったペットボトルと弁当を持って部室を後にした。


 結局、何も収穫がなかった。

 収穫と言えるものがあるとするならば……自然と視線はズボンのポケットに入っている携帯電話に吸い込まれた。


 それにしても、なぜ、あれほどまでに仲の良さそうな二人において情報の共有ができていなかったのだろう。そのわずかな疑問が頭の片隅に残っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る