第12話

 キーンコーンと昼休みのチャイムが鳴った。


 先生が講義の終了を告げた途端にクラス内は弛緩した空気に包まれた。瞬く間にガヤガヤと騒がしくなる。


 購買へと急いで向かう者。机を向かい合わせに移動し合う者。そして拝島さんの周りへと集まる水鳥勇樹や樽谷大や夏目優衣や柏崎嶺衣奈の姿。


 拝島さんは申し訳なさそうに謝ってから夏目優衣とともに僕の方へと向ってきた。その途端、クラスメイトからの視線が集まる。

 

 拝島さんと行動を共にしてから一週間以上経過したが慣れない。それに加えて今日は夏目優衣もいるからより一層のこと僕への視線が突き刺さる。

 

 これではまるで珍獣として扱われているかのようだ。


 そんな好奇心旺盛な視線を向けられても困るのだが……。


「春斗、どうしたの?」

「行きましょう?」


 二人はキョトンとした表情で突っ立たままの僕を促した。


 自分たちの影響力を把握していないのか。あるいはわざとしているのかわからない。いや、拝島さんは分かっていて故意にしていそうだな。


 今、僅かに口元が上がったのだから……自覚している。

 

 まあ、いい。そうやって楽しんでいられるのも今のうちだけなのだから。ストーカーを特定してしまえば僕はお役御免の身。そうとなれば自由の身。また静かに暮らせるはずだ。


 将来法曹に就きたいのだ。そのためには少しでもレベルの高い大学へと進学しなければならない。だからこそ勉強への時間確保が必要なのだ。


 なんとしても現状を元に戻す。原点回帰が必要なのだ。

 

 そうであるならば、ここは我慢する時なのだ。試練かもしれない。

 バックからペットボトルとコンビニ弁当を取り出しながら適当に答えた。


「そうだな」

「春斗って、時々ヘンになるよね?……もしかして、私たちに見とれていたとか⁉」


 ニヤニヤしながら夏目優衣は言った。それを聞いていた拝島さんは完璧に猫を被ってお淑やかに僕から視線をそらしてから言った。


「えっと……春斗くん……そんな視線を向けられても、困ってしまうわ」


 この際、夏目優衣の戯言は無視するとしても拝島さんの反応には黙って見過ごすことはできない。


 なんという狡猾さだ。まるでアダブとイブを惑わした蛇のようではないか。


 しかしながら男が全員、拝島さんのあざといようなしぐさに騙されるとは思わないことだ。僕は本質を見抜くことができる男なのだ。

 決して惑わされない!


「あざとい――」と僕がつぶやいた瞬間、つま先に圧力がかかり痛みが走った。

「――ッイ!」

「ごめんなさい……少しめまいがしてしまって」


 拝島さんは、額に手を当ててわざとらしい病弱さをアピールした。


 こいつ――拝島舞はわざと僕のつま先を踏んだ。しかもまだ踏んだままである。動かそうとするが強く体重をかけようとしてくる。


 ……地味に痛い。


「痛いのですが、拝島さん?」

「えっと、ごめんなさい。よく聞き取れなかった」

「……全く、ふたりとも」


 夏目優衣はそんな僕と拝島さんの攻防に呆れた表情をしてため息をついた。そして拝島さんの手首を掴んで何か小さな声で耳打ちした。その途端、拝島さんは頬を赤く染めて僕のつま先から足をどかした。

 一瞬で大人しくなった。


「……優衣さんが介抱してくれたおかげかしら。ありがとう、優衣さん。もう大丈夫みたい。それでは、行きましょうか」


 拝島さんは僕と目を合わせずに早口でそう言った後、教室の外へと早々に歩き始めた。


 なんだかよくわかない。

 しかし夏目優衣の魔法のような言葉のおかげで嵐が去ったことは明らかであった。もしかしたら前世はスタンド使いだったのかもしれない。


 残された僕は感謝の気持ちを述べようと夏目優衣を見た。すると夏目優衣は神妙な顔で拝島さんの遠ざかる背中を見つめながら「世話が焼けるんだから、舞ちゃん……」と呟いたように聞こえた。


 夏目優衣はすぐに僕の視線に気が付いて明るい調子に戻った。


「ほら、私たちも行くわよ?」

「……そうだな」


 感謝の言葉を言いそびれてしまった。

 その代わりと言っては何だが心の中で合掌してから、先に歩き出した夏目優衣の後を追った。

 

 するとすぐに教壇の前を通り過ぎるところで「ちょっといいかな」と水鳥は爽やかな笑みを浮かべて言った。まるでタイミング良く待ちかねていたかのように僕の前へと現れた。


「どうした?」


「ここ一週間で舞とも仲良くなったみたいだな」


「断じて仲良くはなっていない。しかし、まあ、色々とあったのは事実だ」


「あんな表情の舞を見るのは、久々だよ」と水鳥は小さく微笑んだ。


「拝島さん、性格きつすぎないか?よく、幼馴染でいられるよな。ほんと、感心する」


「春斗には、そこまで見せているんだな。俺には――」


 水鳥は神妙に何かを呟いた。しかし、その言葉をかき消すかのようにドアの前から夏目優衣が「はやくー」と急かす声が聞こえた。「鍵を取ってくるから、先に向ってくれ」と返事をして水鳥と向き合う。


 水鳥は何かを考え込んだような表情をしていた。


「……」

「水鳥……?」


「もう聞いているだろ?」


「何を?」


「舞がストーカーにあっていることだ」


「……」


 お昼休みの喧騒が嘘みたいに静かになった気がした。いや違う。クラス内は実際にまだうるさい。ただ、僕と水鳥の周辺が静かになっただけだ。


 どう答えればよいのか見当がつかなかった。そもそも、どうしてそのことを水鳥が知っているのか分からなかった。


 拝島さんか夏目優衣が言ったのか……あるいはほかの可能性……。

 

 昨日の様子から拝島さんが言うとは思えない。ということは夏目優衣が教えたのか……?

 

 メリットがあるようには思えない。


 いやこの場合はメリットよりもデメリットを減らすために言ったのか……?だめだ、わからない。


 ということは他の可能性だ。

 例えば――盗み聞き。


 そうであるならば、いつ話を聞いていた……?

 昨日の洋食店の会話か今朝の会話からのどちらか。それとも僕の知らないところで拝島さんと夏目優衣の会話を聞いたのかもしれない。


 それとも――


「誤魔化さなくていいよ。沈黙ということは、肯定か」


「それがどうかしたのか……?」


「いや、ただ……俺には出来なかったから、春斗には期待している。それだけ言いたくて」


「それは、どういう――」


「おーい、勇樹くん。まだ?」と樽谷大が教室の後方から大きな声で言った。そして柏崎嶺衣奈も「お昼の時間終わっちゃうよ」と舌っ足らずの声で言うのが聞こえた。


「ごめん、もう行くよ。それじゃ」


 水鳥はちらっと後方を見てから僕に一方的に告げた。そのまま樽谷大と柏崎嶺衣奈の元へと歩いて行ってしまった。


 意味深な言葉だけを残して言い逃げはズルいだろう。


 一体全体僕に何を期待しているのだろうか。


 そもそも僕は誰かの期待に応えられるほど器も実力も併せ持っていないというのに…………。


 水鳥が何を考えているのか定かではない。

 しかし、不思議と水鳥がストーカーの犯人であるとは思えなかった。


 別に根拠があるわけでもない。直感的にそう思っただけだ。

 

 しかしそれにしても――『期待している』と言った時の水鳥のすがるような顔がいつまでも頭から離れなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る