第14話

 放課後、僕と拝島さんは文芸部の部室で向き合っていた。


 僕は教室で山田君と話していたから拝島さんは一人で先に部室に向かった。そのため、拝島さんは先に部室内で座って本を読んでいた。


 夕焼けが拝島さんの黒い髪に乱反射してオレンジ色の光を部室内へと散逸させている。


 その中で拝島さんが本へと視線を落とす姿はまさに深窓の令嬢だ。


 平静を装って新たな定位置である拝島さんの前へと座る。

 拝島さんは本へと視線を落としたまま言った。


「遅かったのね」

「まあ」

「そう」と拝島さんはまた本へと意識を向けた。


 僕もバックから文庫本を取り出して読み始める。ページをめくる音と秒針の動く音だけが室内へと響いた。


 そういえば小さくて大きな先輩の姿がなかった。どうやら僕はそのことにさえ気が付かないほどに今の状況に動揺していたのかもしれない。


「先輩は?」

「葵さんなら演劇部の人に脚本を抗議しに行ったわ」


 本から顔を上げて拝島さんを見ると拝島さんもまた顔を上げた。ブラウン色の瞳が僕を捉えた。僕は本をテーブルの上に置いた。


「どういうこと?」

「何でも葵さんの書いた脚本が勝手に修正されていたらしいの」

「そうか」


 あと三十分ほどで部活動の時間は終わってしまう。ということはおそらく先輩は戻って来ないだろう。証拠にカバンがなかった。


 先輩は自分の書く作品に並々ならぬ信念を持っている。つまり、白熱したバトルをしてくるであろうことは自明の理だ。


 拝島さんと二人きりか……。

 不安しかない。いや恐怖しかない。

 一体どんな理不尽なことが待っているのやら。


 拝島さんは手に持っていた本を閉じた。


「おそらく戻ってこないわ」

「そうだな」

「二人きりね」と拝島さんははにかむように言う。

「……」

「嬉しいでしょ?」と拝島さんは上機嫌に聞く。

「……」

「喜びなさい」と拝島さんは急に鬼の形相になって脅迫した。

「そうですね」と僕は引きつった顔で答える。


 ……面倒くさい女だ。

 絶対この女、僕が肯定するまで聞き続けていた。


「不満そうな顔して照れなくてもいいのよ」と拝島さんはいききとした表情で言った。


「……今朝、夏目がピアノ上手いと自慢していたけど、実際そうなのか?」

「優衣ちゃんは上手だわ。有名なコンクールでも入選していたもの」


 拝島さんはまるで自分のことのように誇らしげに言った。そのせいか「ちゃん」付けを訂正することすら忘れるとは、一体どれだけ百合の割合が高いのやら。


「そうか。じゃ、拝島さんはそれよりも上手なのか」

「……そういうことになるかもしれないわ」


 拝島さんはなぜか歯切れの悪い口調でお茶を濁した。


 なんだこの違和感は……?


 あ、夏目優衣と比べられることが嫌なのか。確かに自分の親しい人と比べられたら複雑な気持ちになる。


 申し訳なく感じた。

 

 僕も中学の時、チームメイトである○○と自分のどちらが上手いのかを学校の同級生から聞かれた。その経験があったはずなのに、無意識にひどい質問をしてしまった。


「今度、演奏してくれないか」

「それは……」と拝島さんは苦しそうに顔をゆがめた。

「そんなに嫌がらなくてもいいだろ?まあ無理にとは言わないけど、気が向いたら頼む」

「……はい」と拝島さんは改まった表情で答えた。


 そこまで嫌なことなのか。

 

 もしかしたら自分のためだけにピアノと言う高尚な趣味を嗜んでいるのかもしれない。


 そんなことを思った。


 若干変になった空気を変えるため、ストーカーの件でわかったことを伝えた。


「そういえば、今日、水鳥以外の四人のこと観察してみたけど、特にこれと言って変な行動をしていなかった」


「そうみたいね」と拝島さんの顔は蒼白になっていた。


「どうした?気分が悪いならもう帰った方がいい。施錠は代わりにしておくから」


「そうみたい。ごめんなさい」


 拝島さんは帰り支度を始めた。

 いつからかわからないが体調が悪いならば無理しなく部活に出る必要はない。それなのに律儀に出席する拝島さんに少し尊敬の念を抱いた。


 拝島さんは「さようなら」と言って早々に部室を後にした。

 

 部室には僕だけが取り残された。


「はあ……」


 柄にもなく少し寂しいと感じてしまった。

 ほんの少しだけセンチメンタルな気分だ。


 結局その日は、部活終了時刻まで僕一人でいることになった。

 帰り際に施錠をして、鍵を教員室まで持っていった。

 

 昇降口を抜けると、いつの間にかどんよりとした灰色の雲が青空を覆い隠していることに気がついた。


 雨が降らないうちに早く帰宅しようと思った。

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