第18話 海賊の宝物

 シャニィは感覚が鈍い太ももをさすりながら、茂みにひそみ周りの様子をうかがっていた。


 石造りの塔から脱出を図ったシャニィは、ザゥがここを〝防御に優れている〟と言っていた理由を、すぐに身をもって知る羽目はめになった。


 窓が小さく幅がぎりぎりだったため、まず下半身を通して窓枠を掴み懸垂けんすいのような体勢でぶら下がる。そこから石組みの隙間に指や爪先をかけてにじり降りるつもりだったのだが、一旦体勢を整えようと石壁に足をつけた瞬間、バチッという音と共に衝撃が身体を貫いて落下した。今思うと外壁に麻痺石が使われていたのだろう。閉じ込められた部屋が二階だったことが、不幸中の幸いだった。


 背中から地面に叩きつけられたものの意識はあったし、少しピリピリしたが腕もなんとか動いた。しかし足の方は完全に痺れてしまい、全く力が入らない。


 ———このままだとすぐに見つかってしまうわ……!


 シャニィは土まみれになりながら必死でいずって進み、なんとか森の端の茂みまで辿たどり着いて身を隠した。安堵したのも束の間、ざわめきと荒々しい足音がして、衛兵たちがすぐ脇を駆け抜けていく。もう抜け出したのが見つかったのだろうか、と冷や汗をかきながらシャニィは息をひそめた。



* *



 この茂みの中に隠れてから、どれくらい時間が経っただろうか。いまや完全に日は落ちて、あたりは夜に包まれていた。


 足の痺れは少しずつ良くなりつつあったが、それでもまだ歩くことは難しそうだ。


 ———大丈夫、朝になればきっと足も戻っているわ。まずは小船を探して脱出よ。


 暗闇の中、焦りに呑まれないよう自分にそう言い聞かせていたシャニィは、ふいに眉根を寄せて胸元に目をやった。陽が落ちた今、目をらしたところでそこには暗がりがあるばかりだが、何かが振動するのを肌で感じたのだ。服の上から手で押さえてみると、ペンダントが震えている。


 ———なに……?


 その振動は、少しずつ強くなっているようだった。なぜ突然石が震え始めたのか、戸惑うシャニィの耳の奥で、いつか聞いたアクセサリーの露天商の言葉が蘇る。


『それは約束を語り、互いを呼び合うもの。愛しい者を、呼ぶ石ですからね』


 シャニィはハッとして、元々潜めていた息をさらに押し殺した。靴が草を踏む音が、少しずつ近づいてきたからだ。その静かな足音はやがてシャニィが潜む茂みの前で———止まった。


「……そこにいるのか、シャニィ」


 低い囁きと共に、何かががさがさと茂みに差し込まれ、そっとシャニィに触れた。がっしりとした温かい手が、うつ伏せで隠れているシャニィの腕に触れ、それから頬に触れる。


「……ヴァン船長。ごめんなさい、ちょっと今足が痺れてうまく動けなくて。麻痺石の外壁に触れてしまったの」

「なに?大丈夫か」


 ヴァンジューはシャニィを茂みから引っ張り出してくれた。


「シャニィ、ルチェラを」

「あ、はい」


 ペンダントを引っ張り出し、わずかな月明かりのもと、石同士を触れ合わせると振動は止まった。


「やっぱりそれの本当の持ち主は……あなただったのね」

「……エクロズから借りてきたとは思わないのか」

「だって、ロズはそれをカンパー石だと思っていたのよ。本物だと知っていて、どうやって呼び合うのかわかっている人が、本当の持ち主ではなくてなんだというの?」


 ———彼はどうしてここにいるのだろう?もし助けに来てくれたなら、それほど幸せなことはないのに。


 淡い期待を抱きながらも、シャニィは真っ直ぐにヴァンジューを見上げて口を開く。


「……ヴァン船長。あなたに言われて、私改めて考えたの。自分にふさわしい場所はどこかって。私が最も私らしく生きていくのに、一体なにが大切で譲れないのかって」


 今を逃せば次はないかもしれないと、シャニィは必死で言葉を探した。


「それでわかったわ。私の幸せの根にあるのは、立派なお屋敷や豪華なドレス、金貨の詰まった金庫への満足じゃない。誰もが平伏す肩書きや威光でもなければ、人にだと思われることですらない。……私にとって一番大切なのは、自分のしたいことをして、思う存分心から笑えるかどうか。一緒に笑い合える人と共にいる選択を、自分に与えてあげられるかどうか。ただそれだけなの」


 ヴァンジューは今度は目を逸らさなかった。背を向けることもしなかった。ただ真っ直ぐにシャニィを見つめて、そして呟く。


「……本当に、俺でいいのか」

「あなたいいの。もし叔父様との約束がなかったしても、私はあなたと一緒にいたい」


 しばらくその言葉を噛み締めるように目を閉じた後、彼はぽつりと言った。


「……俺は怖かったんだ。お前が船に迷い込んで来た時から、どうしようもなく惹かれていたが……自分の境遇に巻き込んでしまったら、明るく輝く太陽を地にとしてしまうかもしれないと思った。それで背を向けることを選んだ、とんだ臆病者だ。それなのに、お前がデンバーロアに連れていかれたと聞いて、居ても立ってもいられなくなって……お前をさらいに来た」

「本当?嬉しい。あなたの言う太陽は堕ちたりしないから、心配いらないわ。あなたの隣、あなたの海へ、一緒に連れていってもらえるなら、ただ一層輝くだけよ」


 衣擦きぬずれの音がして、それから彼の寝台で目覚めた時にも感じた香りがした。心が満ちてゆくような、温もりに包まれる。


「……死ぬような思いで手放したんだ。一度手を掴んでしまえば、もう二度と離してはやれないからな」


 シャニィの耳元で、熱を帯びた低い声がそう囁いた。



* *



「あ、あのぅ、肩を貸してもらえれば充分なんだけど……」

「この方が早い」


 かかえられて運ばれるなどあまりにも気恥ずかしかったが、のろのろしていて捕まるわけにもいかないので文句も言えなかった。


「このまま船に……?」

「いや、その前にひとつ寄る場所がある」


 しばらく進むと、シャニィの目に灯りが映った。


 そこでは大きな篝火かがりびが焚かれ、ザゥが衛兵たちと何か話しているのが見える。驚いたことに、ヴァンジューは隠れるどころか一直線にそこへ突っ込んで行き、声を上げた。


「おい、俺の宝を返してもらうぞ。シャニィは誰にもやるつもりはない。たとえお前たちデンバーロアであっても」


 シャニィを抱えて突然現れたヴァンジューを、ザゥは心底驚いたように見つめる。


「司令官殿は随分とご執心なようでしたから、偽装して来るだろうとは思ってはいましたが……そうですか、あなたでしたか。なるほど、僕は知らぬ間に海賊の宝に手を出していたと」


 彼は苦笑して続けた。


「なら、仕方がないですね。を敵に回すのはあまりにも都合が悪い。……わかりました。リーリアにはこちらで話をつけます。それで話をおさめていただけますか?ヴァンデル・ジュート・サナリオン殿下」

「任せたぞ」


 ヴァンジューは頷いてそう言い残すと、さっさと場を後にする。




 こうしてシャニィは、念願の船へ正式な乗組員として帰ることになった。

 ヴァンジューがシャニィを探す間、陽動をしてくれていた船員たちやエクロズとの宴会は大いに盛り上がり、夜が更けてもとどまるところを知らなかったのであった。

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