第17話 ユーノニア島

 リーリア領に戻るのかと思いきや、船を降りたシャニィは波止場の第三区へ連れて行かれた。そこから小ぶりだが豪華な船に揺られ、小さな森と要塞めいた建物の立つ小島に辿り着く。


「ユーノニアへようこそ、シャニィ」


 待っていたのは、なんとザウシュレンだった。彼は身分を隠した非礼を詫び、それからデンバーロア公爵家の子息なのだと名乗る。そして間違いなく兄ラジアンのサインの入った婚約承認書を差し出した。


「申し訳ないのですが、しばらくはここで我慢してほしいんです。ちょっといかめしいですけど、防御に優れていますから。この婚姻に異議を唱える方がいないとも限らないのでね。結婚さえ成立すれば、シャニィがしたいことをなんでもしていいですよ。安心してください。うちはティーザーよりよほどですから」


 それだけ告げられて、シャニィは〝安全のために〟外から鍵のかけられた部屋に一人取り残される。


 ———まるで牢獄みたい……


 鉄格子こそはまっていなかったが、窓は小さめで室内は明るさよりも影が目立った。ひやりとした空気はよそよそしく、温もりを奪い取っていくようだ。そう思うのは、シャニィが沈んでいるせいかもしれないが。


 椅子に腰を下ろして顔をおおい、大きくため息をひとつ。


 ———私は、何か間違えてしまったのかしら……


 シャニィは時にその明るい性質を羨ましがられたが、別に当人が陽気だからといって起こる物事全てが明るくなるわけではないし、落ち込まないわけでもない。


 どんなに大切に思っていても、自分なりに心を尽くしても、今回のように人が離れることは時折あった。理由は様々だ。すがっても意味がないことはよく知っている。裁定はその人間の価値観に沿って下され、シャニィがどんなに泣いても決してくつがえせない。


 誰かの気持ちはその誰かのもの。誰かの決め事はその誰か自身のもの。わかっているのに、これまで何度もそう考えて乗り越えてきたのに、今どうしても割り切れない自分がいた。そのことに、シャニィ自身が戸惑っている。


 もしもっと令嬢らしくおしとやかにしていたら?もしもっと彼好みの容姿や装いをしていたら?自分が望まず選ばなかった、存在しない〝もしも〟の先に、違う道があったのだろうかと考えてしまう。


 決意がふいに揺らぐ時、思い出すのは亡き叔父に言われたことだ。幼い頃、意見の違いで仲良くしていた令嬢たちが離れてしまい、シャニィが泣いたことがあった。一部始終を見ていた叔父は、なぐさめるでもたしなめるでもなく『自分の選んだことは間違っていたと思うかい?』と尋ね、考えた末にシャニィは首を振った。令嬢としては間違っていても、シャニィとしては間違っていないと思ったからだ。


『そうだね、シャニィ。人は時に選ばなくてはならない。自分自身の決め事で生きるか、他の誰かが良しとした決め事に従って生きるかを。どちらが良いとか悪いとかではないよ。何を価値とし、何を選ぶかは、本人だけに許されているということだ。なにかに迷ったら、自分自身にどう生きたいか聞くといい。答えは必ず君の中にある』


 ———私は、私らしく笑ってのびのびと生きたい。たとえ令嬢としては眉をひそめられるのだとしても、自分にとって大切なことを大切にして生きていたい。


 以来それがシャニィの軸にある望みであり、羅針盤らしんばんの示す方向だった。そして今その針は、先の見えない嵐の向こうを指している。


 もう一度シャニィの意思表示をしたところで、またあの背を見ることになったら。そう思うと身体が震えるほど怖くなった。しつこいと嫌われたらどうしよう。もしあの深い海色の眼差まなざしが、本気の軽蔑に満ちて自分を見たら。そう考えるだけで息ができなくなって、二度と日の当たる場所に戻れないような気さえする。


 ———ああ、私は本当にヴァン船長が好きなんだ。彼が海賊閣下だろうとそうでなかろうと、あの人を大切にして、できればその隣で笑っていたいと思っているのね……


 千々ちぢに乱れる気持ちを抱えて、今さらのようにそう自覚した。ザゥが嫌なわけではない。けれど、本心からの望みとは違うのだ。


 シャニィの心はただただもう一度、ヴァンジューと会うことを望んでいた。このまま二度と会えなくなれば、一生後悔する。それだけはわかった。再びその前に立てたところで、その先がどうなるかはわからない。だがもしその先で、どんなに泣くことになるのだとしても。


 ———行こう。


 シャニィはしばらく扉に耳をつけて外に動きがないことを確認し、それからそっと窓を開けた。

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