第16話 海賊閣下

 シャニィが半ば引きずられるように連れていかれた後、トルックはヴァンジューに食ってかかっていた。


「船長!なにしてるんスか!あの人ほどあんたの嫁にふさわしい人はいねぇのに!」

「海賊に嫁など不要だ。大体あんな小猿なんかごめんだな」

「往生際が悪いッスよ!だったらなんで宴の時、約束の相手は俺だって言いかけてたんですか!」


 ヴァンジューは苦虫を噛み潰したような顔になり、黙れ、とうめく。


「あの人が来てから、あんたはずいぶん表情が柔らかくなった!よく笑うようになった!……本気で好きになっちまったから、自分の境遇に巻き込むのが怖くなって無理に帰したんでしょう!」


 ガン!と拳が壁に叩きつけられる音が響き、見たことがないほどに険しい顔をした彼が凄んだ。


「俺は黙れと言ったぞ」

「———っ、黙るわけないでしょ!?その程度の脅しでつぐんじまうような口じゃ、あんたの側にいる意味がないですからねぇ!」


 それでも退かないトルックに、ヴァンジューは大きくため息をついた。


「少し考えればわかるだろう……俺はあいつの居場所になるには色々と足りなすぎるんだ」


 いつだって堂々と構えている彼が、肩を落としてかすれた声でそう呟く。


「あんたが足りねぇって……なんスか……なんなんスか……」


 絞り出すように言った後、トルックは渾身の力で怒鳴った。


「笑ってた!!」


 自分も含めたこの船の乗組員はもちろん、シャニィや彼を慕う町の人々の気持ちを否定されたような気がして腹が立ったのだ。


「シャニィさんは俺たちと、何よりもあんたといる時に、のびのびして楽しそうに笑ってた!幸せそうに大笑いしてた!その一体なにが足りねぇって言うんですか!!」


 ずっと黙ってやり取りを見ていたエーリーが、ようやく口を開く。


「トルックの言う通りよ。あんたの……誰かの平穏を守ろうとするその心意気が、悪いなんて言うつもりはない。だけど、あの子は何よりも自分の性質を理解して、その上であんたやあたしたち船の連中といることを望んでいる。それをあんたの価値観を押し付けて、あの子の気持ちを無視して、それで本当に守れていると思うの?あの子の心が死ぬのだとしても、身を飾るドレスや生活の保証の方が大事だって言う気?あんたが自分に足りないと思っているそれが、本当の本当にシャニィに必要なものなのか、ちゃんと本人に確認しなさいよ!あんな風に背を向けて逃げたりせずに!」

「……」


 うつむいていたヴァンジューが顔を上げ、口を開きかけたその時、荒々しい靴音が船内に響いてきた。眉根を寄せた三人の視界に、真っ白な制服の男が駆け込んでくる。


「シャニィはどこだ!!」


 エクロズは開口一番そう叫んでヴァンジューに詰め寄った。


「……家に帰した。エクロズ、お前はそろそろ代替わりで内地に戻るだろう。少し頭を冷やしてから、彼女に求婚し直せ」

「……それはできない」


 うめくように彼は言う。


「なぜだ?シャニィを気に入っていただろう」

「———デンバーロアだ」

「なに?」

「ザウシュレン・ディカ・デンバーロアがシャニィと婚約した!リーリア当主が認めた正式なものだ!もうくつがえせない!あいつは婚姻が受理されるまで、彼女を孤島に監禁する気だぞ!手を出せば容赦はしないと警告された!」


 思いもよらない知らせに、場が静まり返る。


「馬鹿な!デンバーロアがどんな貴族か……!」

「わかっていないのだろう。リーリアの当主はまだ二十代で若いし、領地が離れているから噂が届くこともない。それにデンバーロアは表面上は綺麗にやっている。裏の顔を知らない人間はオルトリス貴族の中にも多いんだ」


 唇を引き結んだヴァンジューは、トルックとエーリーに告げた。


「出航準備だ!急げ!」

「了解っス!」

「今日はあたしも甲板に出るわ!」

「頼むぞ!」


 二人がばたばたと階段を駆け上がって行き、思い詰めたような顔のエクロズがヴァンジューに向き直った。


「ヴァンジュー・サロウ……あなたは海賊だろう。だったら……だったら、あいつからシャニィをさらえ!」

「言われなくてもそのつもりだが……司令官殿がそんなことを口走るなんて、どういう風の吹き回しだ」

「どうせとられるなら……彼女が想いを向けている相手にさらわれる方がまだましだ!これは返す!!」


 この上なく整った美貌が歯軋りしそうな顔でそう吠えて、ヴァンジューの手に力任せに何かを叩きつける。しゃらりと金鎖が揺れ、青に金の波紋が広がる石が光った。


「……ちょっと待ってろ」


 一旦部屋の中に引っ込んだヴァンジューが、何かを投げて寄越す。エクロズが広げると、灰色のフードがついた服だった。遅れてズボンも飛んでくる。


「砦に引っ込んでいろと言ったところで、どうせ隠れてついて来る気だろう?軍服そんなものを着ていたら、すぐにお前だとばれる。いいか、今から事が終わるまで、お前は海賊団ヴァラジットのただのロズだ。着替えたら上がって来い。すぐに船を出す」

「……ああ!」


 甲板へ駆け上がりながら、ヴァンジューは歯を食いしばった。十年前に失ったもののうち、せめて一部だけでも残っていればと、こんなに狂おしく思ったことはない。だがどんなに渇望したところで、彼女を守れるような身分や特権はもう何も残ってはいないのだ。あるのは我が身と幾らかの仲間と、なぎ時化しけもある海に出るための船ばかり。


 ———それでも……


 どんなに抑え込んでも、なかったことにしようとしても、彼女の笑顔はもはやヴァンジューの奥深くに刻み込まれ、それが失われるかもしれないと思うだけで張り裂けるような思いがした。この先のことなどなにもわからなくても、それだけはわかった。


「出られるか!?」

「行けます!」

「目標、ユーノニア島!ヨーソロー!!」


 ヴァンジューの思いに応えるように、メイヤ・ギーニィ号は風を捉え、速やかに岸から離れていった。

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