第39話:再戦、霜の巨人

銀色世界を登った先に、奴は堂々と立っていた。



『やあ、元気にしてた?』



ヨトゥンは軽く手を挙げて、にこりと笑った。その無邪気な笑顔の裏にある、変わらない重圧に思わず身震いをしてしまう。



「見ての通りだよ」



両手を広げ、傷の完治を見せつける。精一杯の虚勢。本当は結構怖いけど、こういうのは勢いが大事。



『せっかく治ったのに、また怪我しちゃうよ?』


「それはどうかな?」



光が僕たちを包む。力が漲り、世界がより明瞭に見える。セシリアさんの加護魔法だ。


煌爛を正面に構える。奴だけに集中。グッと脚に力を込めて、一気に解き放った。


真正面からの振り下ろし。それを奴は当然のように受け止めた。全体重を掛けて煌爛を押し込むけど、全く動く気がしない。山を相手にしてる気分だ。


『おー、ちょっと速くなった』


「随分余裕だな」


裏をついたライヒが、刹那の間の無数の剣撃を浴びせる。それを奴は、片手で全て弾き切った。


衝撃が、腹部に奔った。空気を裂く音が甲高く鳴り響く。


「かはっ!」


視界が雪に包まれた。痺れで体が動かない。


「ーー翠光の癒しーー


ーー《セラピア》ーー」


とりあえず施した応急処置。なんとか体を動かせる程度だけど、今はそれで十分。口についていた血を拭い、奴の上まで転移。上段の煌爛を振り下ろす。


『ありゃ、結構頑丈だね』


驚いた顔を浮かべる奴に、不敵な笑みで返す。精一杯のハッタリだけど。


硬い音が響き、煌爛が止められた。それは想定内!脚に土魔法を発動。鋼を纏い、蹴りを見舞う。


「む!俺もいるぞ!」


炎を纏うヴェラが、大振りの一撃を叩き込む。奴は涼しい顔でその手と僕の脚を掴むと、体を回転。僕らをまとめて投げ飛ばした。


地面を滑り、雪が舞い上がる。


傷が開いた。雪が朱に染まる。腹に手を当て、強引に塞ぐ。煌爛を構え直し、突撃。


キュルケーさんの声が後ろから聞こえる。それを振り払って、奴との距離を詰める。


ニコニコと笑みを浮かべたままの奴に、水平に振り抜く。風を纏い、光を纏い、闇を纏い、水を纏い、火を纏い、森羅万象あらゆる力を奴にぶつけていく。


斬って斬って斬って斬って、でも全部を奴は弾いてくる。あまりにも遠すぎる力の差に、一矢報いることすら不可能な今。それでも戦わないと。時間を稼がないと、ライヒが!


跳躍、振り下ろし。着地からの袈裟、逆袈裟。回転、横一文字。瞬きの間に、百の剣を叩き込む。


返ってくるのは硬い感触と、奴のつまらなさそうで、どこか哀愁の漂う顔だけ。


「ヴァレン!撤退よ!ライヒは大丈夫!」


キュルケーさんから戦闘終了の合図。大きく後ろに跳躍し、みんなの元に戻る。ヴェラがライヒを背負い、キュルケーさんを抱える。


ティオナさんがセシリアさんを抱えようとしたところで、僕たちを覆う光が消えた。


「ーー《アスディサーシャ・デュナヴィテスクード》ーー」


水晶のように透き通った声だった。それでいて金剛石のような輝きを纏っていた声だった。


「ーー炎よ・集え燃えよーー


ーー《イグニス》ーー」


セシリアさんの構えた杖の先から、眩い火球が打ち出された。周りの雪を消し飛ばしながら、奴に迫る。


その火球の影で、奴は一瞬、嬉しそうに笑った。そんな風に見えた。


轟音とともに、熱波が駆ける。セシリアさんの綺麗な長髪が風に靡いた。


「セシリア!?何やってるのよ!」


「私は残ります。皆様は撤退を」


奴を真っ直ぐ見つめるセシリアさん。その目からは油断も慢心も感じない。どうやら本気で言ってるみたいだ。


「どういうつもりよ!」


「そうだよセシリアさん!このままここにいても死ぬだけだよ!」


「はい。ですが、それくらいでなければ意味がありません」


そう言うと、セシリアさんは火球を次々と打ち出した。視界が炎で埋まるほどの密度。キュルケーさんに及びそうなほどの弾幕。


突然セシリアさんは、杖を剣のように握った。それを上段に構え、奴に向かって走り出した。


「はあああ!」


炎が晴れた瞬間、姿を現した奴にセシリアさんの一撃が迫る。だけど遅い。そして剣筋も安定していない。素人がやっつけで覚えたような、そんな一撃。


案の定、奴にあっさりと止められた。


『ねえ、どうして前に出たの?どう見ても向いてないじゃん。死にたいの?』


少し嬉しそうに奴が聞いた。息は荒く、手は震え、魔法も効いてない。


それでも、セシリアさんの顔は、声は輝いていた。それは前に覚悟を語ったとき、それと同じ輝きだった。


「生きていたいです!でも、このままでは強くはなれませんから!」


セシリアさんが叫んだ。赤い魔方陣が現れ、零距離で火球が放たれる。一際大きい爆発が巻き起こり、思わず顔を背けてしまった。


風が止む。視線を前に戻せば、土煙が舞う中、一つに影が崩れ落ちるのが見えた。


『いいね!君のような人を待っていたんだ』


上機嫌な奴の声が響く。


土煙が晴れ、セシリアさんを抱える奴の姿が現れた。その顔には満面の笑みが浮かんでいる。


「セシリア様を放しなさい!!」


刹那、光が駆けた。甲高い金属音が鳴り響き、ティオナさんの刺突が指一本で止められた。


『じゃあ君もついでに』


奴は目にも止まらない速さでティオナさんを抱えた。気絶させられたのか、手脚は力無く垂れている。


『それじゃあねー』


風が吹雪き、奴の姿が隠れる。視界が再び晴れたときには、そこには誰も居なかった。



「あ…ああああああ!!!」



キュルケーさんの絶叫が雪山に響いた。



「どうして…どうしてなのよ!!セシリアに…ティオナまで!!」



ヴェラの胸に顔を埋め、悔しさの限りを叫び続けるキュルケーさん。



「素直に退けばよかったじゃない!それだけの…ことじゃない!!」



キュルケーさんの様子を見ていると、ふと違和感を感じた。



(なんだろう…この感覚)



僕自身にも、ヴェラにも、ライヒにも、キュルケーさんにも感じるモヤモヤ。どこか温かいようで、苦いようなこの感覚。


それに、さっきのヨトゥンの表情が脳裏に焼き付いて離れない。



(僕は…何か見落としてる。でも…何なんだろう…)



渦巻く疑念とモヤモヤを抱えて、僕たちはテルモネロへと戻った。





ーーーー





暗い世界に一人、ユウトさんが走っていました。足取りはふらついていて、あちこちから血を流しています。


時折り何かを避けるように右に左にと動いては、その度に躓いて転びそうになっています。



(あっ!)



突然何かに押されて倒れるユウトさんが、やけに遅く見えます。その顔は涙と怪我でぐちゃぐちゃになっていて、私の胸をグッと締め付けます。


そばに行きたい、守りたいという衝動に駆られます。でも、体は全く言うことを聞きません。まるで元々無いかのように、反応すらありませんでした。


突然、何十人もの人が現れ、ユウトさんを囲いました。怒りや憎悪の表情を浮かべて何かを叫んでいます。



「ごめん…なさい…ごめん…なさい…」



声が聞こえました。今にも消え入りそうなほど、か細く弱々しいユウトさんの声。怨嗟で満ちるこの世界で、何故かはっきりと聞こえました。


その負の感情が頂点に至ったとき、何かがユウトさんに掛けられました。そして全員がユウトさんから離れます。



(一体何を…?)



一人が前に出て、何かを落としました。その瞬間、暗闇の世界が一気に明るくなりました。



「あああああ!!」



ユウトさんの絶叫。それを迎えるのは、狂気の笑みを浮かべる人たちの讃美歌でした。


燃え盛る炎を消そうと悶え踊るユウトさん。その苦しみに満ちた舞台を、嬉しそうに楽しそうに囃し立てる人々。そして…目の前に広がる地獄から、好きな人一人救えない私。



(どうして…!どうして動かないのですか!!)



どれだけ動こうと足掻いても踠いても、衝動だけが先走り続けます。


ユウトさんの徐々に動きが鈍くなっていきます。膝から崩れ落ち、体が地面へと傾いていきます。その時一瞬、ユウトさんと目が合った気がしました。



「あ…」



どちらの声だったのでしょうか。小さく、悲しみに塗れた声がこぼれ落ちました。


ドサリッと音が響きます。それ以降、ユウトさんが動くことはありませんでした。





ーーーー





「ん…」


「セシリア様!」



ボヤける視界に深緑の瞳が映ります。目を擦り視界を明瞭にすれば、はっきりとティオナの顔が見えました。心配するような様子のティオナ。久々に見たような感覚に襲われます。



(さっきのは夢…ですか…)



ユウトさんが悶え苦しみながら事切れる夢。そう、夢…です…



「はぁ…」



ティオナを見た時の感覚も、きっと夢の鮮明さと重さからくる心の疲れなのでしょう。



「ご気分が優れませんか?その…泣いておられましたので…」


「大丈夫ですよ。少し不吉な夢を見ただけです。それよりも、ここはどこですか?」



ひとまずティオナに問題ないことを伝え、周囲を確認します。どうやら私たちがいるのは薄手布に囲われた寝台の上のようです。服は変わっていて、氷色のヒラヒラとした、可愛らしい格好になっていました。



「それがーー」


『あ!起きたー!』



幼い女の子の声がしました。シャッと布が開き、声の主が姿を現します。



『おはよー。げんきー?』



そう無邪気に笑うのは、宙をふわふわと浮かぶ女の子でした。

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