第5話:魔法世界への第一歩
「それでそれで、どうやったらヴォワールは自覚できるん!?」
少し上擦った声が出る。我ながら上がりまくったテンションを抑えられないようだ。
「やり方自体は簡単です。目を瞑り、背後から自分を見る様子を思い浮かべてください」
セシリアの言う通り、目を瞑り、俺自身を神視点で見るイメージをする。暗闇の中に、ポツンと俺の背中が見えた。
「どのような景色が見えましたか?」
「暗闇の中、俺が立ってる」
セシリアの問いに、素直に答える。セシリアが何かを吟味するように、首を縦に振る気配を感じた。
「分かりました。では、目を開けてください」
目を開ける。光と共に、淡い水色に淡いピンクが混じった長髪が、そよ風に揺られているのが目に入った。木々がざわめいて、それに合わせて影がゆらゆらと動く。
「今、あなたの周りには何がありますか?」
「えっと、セシリアがいるでしょ、木がたくさんあるでしょ、それから、地面に草に土」
俺が指を差しながら上げていくと、セシリアはなぜか温かい微笑みで俺を見ていた。
「他にも、目に見えないものもありますよ?」
「あ、空気か!」
「それもそうですが…私が言いたいのは、別のものです」
意味深な発言を繰り返すセシリアに、俺は困惑の視線を投げる。セシリアは、子を見守る母猫のような雰囲気だけを返してきた。
(自分で考えろってことかなぁ?うーん、なんだろ。見えないもの…見えない…見えないけどある…)
腕を組み、頭を揺らしながら考える。考えていると、さぁーっと風が吹いた。セシリアが揺れる髪を上品に抑える。
「風…揺れる…そっか!力の流れ!」
「正解です。この世にはいろいろな流れがあります。それは、この世のものが変化するからです。物体も、時間も、そして感情も。《ヴォワール》は、自身を取り巻く全てを、常に観ていると言われています」
(か…かっけぇぇ!)
セシリアの
「どこまで《ヴォワール》を自覚できるかによって、魔法使いの実力というものは変わります。より深く、より鮮明に自覚できれば、それだけ強力な理を創造できるのです」
セシリアという女神が魅せてくれる世界に、俺はすっかり
酔いが覚めない中、セシリアと二人で川沿いを歩く。まだ意識が宙を漂っている俺を、セシリアは苦笑しながら見ていた。
「落ち着きました?」
「ぜんっぜん!」
約一時間前、セシリアの提案により、訓練は一旦中断することとなった。原因は見ての通り、俺のテンションのせいである。
最初の一回は、瞑想が出来るくらいまで我慢していた。だが、セシリアの話し方が俺にトドメを刺したのだ。元々魔法を見た時点でいっぱいいっぱいだったのだが、感情が決壊してしまったのである。歩けるだけ、大分マシになった方だ。最初は手をブンブン振り回しながら、忙しなく飛び跳ねていたのだから。
「そうですか。訓練はまた後でにしましょうね」
そうセシリアが優しく俺に言ったとき、俺は背後からピリッとしたものを感じた。考えるよりも先に、体が動く。反転しながら背中の斧を引き抜き、セシリアを庇うように防御の構えを取る。
刹那、全身に砲弾を受けたような衝撃が奔り、その勢いに負け吹っ飛ばされた。何本もの木々を巻き込んでへし折り、ようやく止まった。
腹の中から温かい液が出てくる。視界が赤く染まっていく。
(いてぇ…しょっぺぇ…)
あちこちが壊れた痛みで、俺の意識は朦朧としてきた。徐々に徐々に、落ちていくような感覚。赤かった視界が、暗闇へと変わった。
ーーーー
目を逸らした一瞬の間に、何かが私の横を駆け抜けました。葉が、土が舞い、視界が遮られます。
「ユウトさん!!」
思わず叫んでいました。心臓がキュゥっと締まる感覚がします。彼の元へ行こうとしたとき、背中から聞き慣れた声が届きました。
「聖女殿!無事か!?」
「ヴェラスケス様!?」
声がした方を振り返ればそこには、怪我をしている様子も、服が汚れている様子も、全くないヴェラスケス様が立っていました。トパーズのような黄色の瞳。ユウトさんよりも一回りは大柄な体格。ガーネットのように赤い髪は燃える炎のよう。間違いありません。ヴェラスケス・ガルド・ヴァウトフシャ様です。
(変ですね…私たちはあの時、満身創痍だったはずです。どうして汚れすらないのでしょうか…?)
その様子に、違和感と言い知れない不安感に襲われます。そんな私を気にすることもなく、ヴェラスケス様はズカズカと距離を縮めてきました。
「五体満足なようで良かった!ほかのぐぼぁ!!」
ヴェラスケス様が何かを言おうとした瞬間、白い一閃が彼の頭に直撃しました。二度、三度と地面を跳ね、ポチャンという軽い音が聞こえました。同時に、私の前に人影が飛び込んできました。
「ユウトさん!」
私の声に反応したのか、一瞥だけした彼は、地面に落ちていた、ユウトさんの背丈ほどある骨のようなものを拾って、再び走り出しました。彼の行く先を見ると、ヴェラスケス様が、ふらふらとしながら立ち上がっていました。
(ユウトさん、まさかヴェラスケス様を!?)
ユウトさんは足が水に触れる直前に、大きく跳躍。上段に構えた骨を、全体重かけて振り下ろしました。ヴェラスケス様は防御が間に合わず、頭に直撃し、大きくのけ反りました。
水飛沫を上げて着地したユウトさんは、即座に骨を振り上げます。すんでのところで回避したヴェラスケス様から放たれる、右手大振りの一撃。ユウトさんが肘の辺りを蹴り、拳の軌道が大きくズレます。
刹那、鳴り響く轟音。あまりの音の大きさに反射的に耳を覆ってしまいました。左に目をやれば、地が抉れ、木々が倒れていました。
振り抜かれたヴェラスケス様の拳を踏み台に、宙へと身を踊らせるユウトさん。そして無防備な背中へと、容赦なく一撃を叩き込みます。続き横薙ぎの白い軌道が、幾重にも現れては消えます。
「ご…ぐはぁ…」
ヴェラスケス様が再び大きくのけ反りました。それと同時に、ユウトさんは一歩距離を取ります。骨を両手で持ち、大きく引いて槍のように構え、力強く突きを放ちました。それはヴェラスケス様の体を、赤黒い液と共に貫きました。
一瞬の静寂。
ユウトさんが、ヴェラスケス様から骨を引き抜きます。ヴェラスケス様が、糸が切れたように膝から崩れ落ちました。
「そん…な…ユウトさん…どうして…」
ボヤける視界でユウトさんの方を見ようとしたとき、シュワシュワと、何か泡立つような音が聞こえてきました。ユウトさんの足元で、ヴェラスケス様の体が赤黒く泡立っています。
(あれは…?)
泡が消えたとき、そこには私と然程変わらないくらいの大きさの黒い狐がいました。
「イミタッツィオーネ!?」
見たものの姿を真似る魔物、イミタッツィオーネ。見た目だけでなく、能力までも真似ることができるという凶悪な魔物です。ただ再現能力には個体差があり、対策が難しい魔物です。あまり見かけない魔物なので、驚いてしまいました。
(思えば、装備がとても綺麗でしたし、ヴェラスケス様にしては軽かったような気がします…)
最初見た時の違和感、そして一撃で遠くまで飛ばされていることを思い出しました。
(ユウトさんは、それが分かってて…)
ユウトさんが悪人ではないこと、ヴェラスケス様が亡くなった訳ではないことが分かった瞬間、安堵感がドッと押し寄せてきました。温かいものが頬を伝うのを感じます。再びボヤける視界のなか、バシャッという水の音共に、ユウトさんが膝をつくのが見えました。
「ユウトさん!!」
慌ててユウトさんの元へと駆けつけます。彼は骨に縋って、苦しそうに肩を上下させていました。
「ユウトさん!大丈夫ですか!?」
彼は私の方を見て満足気な笑みを浮かべると、水飛沫を上げて倒れました。彼の血で、川は少しだけ赤黒くなります。私は慌てて彼を引っ張って岸辺に上げ、詠唱を始めました。
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