第26話 コトコト煮詰める

 夜中、美味しそうな匂いで目が覚める。

 何時だろう?


 古い壁掛け時計は、一時を指している。

 夜中の一時ってこと? うわっ。


 跳ね起きれば、掛け布団の上で丸まっていた官兵衛が、コロンと転がる。


「何をする!」


 官兵衛が私に文句を言う。


「静かに! 美久が起きちゃう!!」


 私の言葉に、官兵衛が口を押さえる。

 今、美久を起こすのは良くない。

 小さな子が夜中に起きるのはどうかと思うし、官兵衛の秘密だってバレてしまうかもしれない。


 招き猫の官兵衛を手招きして、私は階下へ向かうように促す。


 この美味しそうな匂いは、きっと厨房から。


 思った通り、厨房には修平君の姿。コトコト鍋が音を立てている。

 真剣な顔。料理はうまくいっていないのだろうか。


 グウウ。


 あまりに真剣な様子に声を掛けようか迷っていると、私のお腹が盛大に鳴る。

 いや、だって仕方ない。

 とっても美味しそうな匂いなのだもの。


「あれ、幽……理恵子さん。寝ていなかったんですか?」


 久しぶりの本名で呼ばれて、何かくすぐったい。


「起きちゃった。美味しそうな匂いにつられて」

「わぁ、すみません。やっぱり夜中は迷惑でした?」

「ううん。ねぇ、それより何作っているの?」

「新メニューを考えていたのですが、なかなかこれだという感じにならなくて……」


 鍋を覗けば、白い液体の中に、お魚や野菜が浮かんでいる。


「クリームシチュー?」

「ええ。お年寄りも小さな子も楽しめるかと思ったのですが……。全く味が決まりません。なんと言うか、ここで食べなくても良い味?」


 修平君が味見用の小皿に少しだけよそってくれた物を飲む。

 今日の残り物だというお魚の出汁が出て美味しいクリームシチュー。

 でも、修平君の言う意味も分かる。

 何というか……普通? ご家庭でも食べられる味?


「美味しいけれど、特徴はないよね」

「ですよね。これじゃあお店には、出せないです」

「新しい料理がそんなにすぐにできるわけがなかろうが!」


 官兵衛が口を挟む。


「偉そうに……」 

「我は見てきた。歴代の店主がどんな苦労をしてきたか。今の店のメニューは、その積み重ねで出来ておるのじゃ!」


 何気ない煮物一つでも、調味料の分量や隠し味なんか、店独自の工夫があるのだと官兵衛は胸を張る。


「官兵衛の言う通りです。思いついて動いてはみましたが、なかなか」

「余り物を使うからかもよ? このシチューに合うお魚とかあるかも」

「なるほど……じゃあ、買い出しに行った時に、石崎さんにも聞いてみましょうか?」


 そうよね。お魚屋さんの石崎さんなら、何か良い食材を知っているかも。

 お昼間に店に来ていた時の酔っ払いっぷりには、若干どころではない不安は感じるが、そこは専門家だから、良いアイデアがあるに違いない。たぶん。

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