嫁ぎ先は豚でした

湖畔を深い霧が覆う秋の季節。

隣接する小さな男爵家の令嬢は、今日も変わらぬ景色を眺めていた。


その手には、なけなしの金で買った戦記が握られている。

そして、こういう日は決まって頭痛に悩まされるのだ。


「満月の夜は霧が深いですね、お父様」

「そんな事、気にした事もなかったな」

「それで、どうしたのです?」


夜風が吹き込む屋敷の一室。

ランプの瞬きの中、二人は対面していた。


「喜べ、フラン。お前に婚姻の話が舞い込んだ」

「……それはまた、急な話ですね」


私は僅かな嫌悪を混じらせ、憂鬱さから言葉を吐き出した。

この貧乏男爵の三女に来る話、物語の王子様など夢のまた夢だ。


男爵家ならマシな方で、地方の商人の妾もあり得る。

下手な男爵より、そこに金を貸す商人の方が発言権が強い。


「どちらの商家なのですか?」

「はははッ、聞いて驚くなよ?侯爵家だ!」

「……こうしゃくけという商人ですか」


だから、私は間抜けな答えを返した。

侯爵は伯爵より更に上で、男爵などお目にかかる機会もない。

貧乏男爵の三女となれば、貴族の社交界などお伽噺の世界だ。


「何を馬鹿な事を。いいか?侯爵だぞ?我が家より遥か大きい家柄、伯爵より遥かに偉い!それが婚姻を望まれた!」


しかし父は興奮気味に捲し立てる。


「お父様」


私が静かに声を発し、父の視線が下がる。


「騙されているのでは?」

「馬鹿もの!!」


そんな言い合いをした翌日、私は豪華な馬車に迎えられた。


湖畔を左手に見ながら走る馬車。

私の前には、侯爵家のメイドが座る。


「えーと、マドレー家でしたか?」

「はい、お嬢様」


その名は社交界に疎い私でも知っていた。

我が家の寄親の寄親の更に寄親。

つまりこの辺り一帯を治める貴族なのだ。


「あの、私はこれから……」

「ご安心を」


そしてメイドは、淡々と説明を始める。


「お嬢様の旦那様は非常に優しい方です。少し特殊な外見をしていますが、くれぐれも、良いですか?くれぐれもそこを指摘してはなりません」

「えーと……」


メイドが何を訴えているのか分からないが、私の人生でこれ以上良い話はないだろう。

その侯爵家に、喜んで売られたのだと悟る。

貴族の娘として生まれたのだから仕方ない。


ただ……。


「恋してみたかったなぁ」


小さな呟きを残し、窓の外を眺める。


「今の発言は聞かなかった事と致します」

「ありがとう?」


そのメイドはその後も、馬車の中で私に声を掛け続けた。

そして、貧乏男爵家の三女に拒否権がなそうな事を嫌でも察したのだ。


やがて、湖畔の先に城壁が視界に入った。

その門は、湖畔に沿って湖岸まで伸びており、大きな橋が掛けられている。


「あれが、お嬢様の嫁ぎ先です」


しかし、私の興味を引いたのはその先だ。

湖畔と街道を挟むように森で覆われた山があった。


「あの先は敵国ですよね?」

「はい、先日、最前線へと配属されました」


メイドの説明に、なぜ貧乏男爵の三女にまで話が舞い込んで来たのかの理由の一つを察した。


「着きます、お嬢様」


門を過ぎた馬車は、大きな城の前に止まる。

お伽噺に見る、物語によく出てくるような城。


「おっきい」


そんな単純な感想を抱き、馬車から降りると城の入口には多くの兵士達が並んでいた。

私の想像は確信へと変わり、更に不安を加速させる。


そして、謁見の間のような場所で膝を着くように命じられ、頭を垂れた姿勢で待ち続けた。

私の横、少し離れた位置に並ぶメイド達。


「エリク様、ご入場!」


そんな声が上がり、開かれた扉の中からドシドシと歩く音が聞こえた。

その足音が私の前で止まると同時に私の肩は強い力で掴まれた。


「表を上げよ」

「……ひっ!?」


思わず顔を上げた私の目には、醜悪な見た目の生物が見えた。

なぜ歩けるのか不思議に思う程膨れたお腹で、ギョロッと飛び出した目玉が私を見ている。


「お前達は下がれ」

「「失礼致します!」」


メイド達が下がる中、私だけが残される。


「……あの……」


何を口にすれば良いのか分からない。


「帰っていいぞ」


だが、その言葉に耳を疑う。


「へ?」

「また無理矢理、連れてこられたのだろう。父上には話をつけておこう。帰っていいぞ」

「しかしッ、その……私は売られた身でして……」

「男爵家の三女だったか?心配するな、俺が話をつけておく」


この目の前の怪物は何を言っているのだろう?


「そうだな。俺を見て、どう思った?正直に話すが良い」


——良いですか?くれぐれもそこを指摘してはなりません


「……豚かなと」


あのメイドの忠告を思い出したものの、つい口に出してしまっていた。

私の感想が広間に響き、時が止まる。


「はははッ!そこまでハッキリ言うやつは初めてだ」

「申し訳ありません!」


慌てて頭を下げる私。


「よいよい、俺は正直者が好きだ」

「あの……なぜ、そこまでお太りに?」

「戦に出ると腹が減るのでな」


……そんな単純な。


「どう考えても、食べすぎですよ」

「考えた事もなかったが、そのせいか嫁ぎに来る者達に怖がられる」


それはそうだろう。

身長は見た事もないくらい高く、横に大きいのだ。


「お伽噺の魔王のようですよ」

「魔王か。面白い」


巨体を揺らしながら笑う。

私も釣られて、笑みを浮かべてしまった。


「フランだったか?俺が怖くないのか?」

「最初は驚きましたけど……話したら普通ですし」

「そうか、気に入った!」


そして、私の手を優しく掴む。


「やはり俺の嫁にならないか?……その嫌だったら……帰っても良いけどさ……」


力強い言葉が最後には弱々しい声に変わり、手を掴んだ手も震えていた。


貧乏男爵家の三女に選択肢などないだろう。

彼がどんなに取り計らっても、私の父が許さないだろう。


だから、


「……はい、よろしくおねがいします」


それが私とエリクの馴れ初め。

恋などまだ知らない物語の始まりだった。


時は流れ、数ヶ月後。


「エリク様、凱旋!」


城前の橋には兵士達が集まり、エリクに喝采を上げていた。

そして、城内に待つ私が出迎えると、


「フラン!腹が減った!飯!」

「ええ、用意してありますわ」


湖畔の先で敵軍を追い払った戦話を語る夫に、笑顔で応える私。


そして、食卓に並べられた小さな皿を見てエリクは顔を青ざめた。

それは野菜をメインした料理だからだ。


「フラン、戦帰りにこれはないだろう?」

「いいえ、ダメですわ」


その巨体に似合わない小さな抗議を私は笑顔で切り捨てる。

嫁いでから、彼に野菜中心の料理を食べさせるようにメイドに指示していた。


「俺が戦場で死んでも良いのか?こんなのでは力が出ないぞ」

「お肉ならちゃんと添えられてますわ」


皿にのる分厚い肉の香ばしい匂いを嗅いで笑みを浮かべる。


「足りぬ!」

「あら?その身体ではいつまでも私を抱けませんが、よろしいのですか?」


私が少し意地悪な笑みを浮かべて尋ねると、巨体が縮み、エリクが頭を下げた。


「ごめんなさい」

「はい、よろしいです。ちゃんと残さず食べて下さいね」

「……うん」

「ほら!エリク様の大好きなトマトスープですよ!」


そんな私達の幸せな食卓が毎日続いていた。


やがて、出会いから一年が過ぎようとしていた頃。


「報告!敵兵5万が、国境沿いに迫って来ています!」

「5万?」


報告に首を傾げた私に、エリクの鋭い眼光が突き刺さる。


「最近、大人しいと思っていたが、戦力を集めていたのか」


彼はそう呟きながら、立ち上がった。


「この城の兵士は1万程度よね?」

「ああ、籠城するにもキツい差だ」


私は窓から暗くなる夜空を眺める。

ああ、頭が痛いわ。


「ねぇ、私の読んだ物語にあった話なんですけどね」

「物語?ああ、戦記か」

「私の案を聞いて下さる?」


そして……。


それは、満月が湖面を照らす美しい夜明け。

敵国の兵士は湖畔と森に挟まれた街道を進んでいた。


「もうすぐ日が昇ります!」

「そうか、急ぐぞ!」


敵将は余裕の笑みを浮かべていた。

なぜなら、圧倒的な兵力差で、敵国に勝利すると確信していたから。

 

そして、速度こそ重要であった。

援軍が駆けつける前に、城を落とさなければならない。


準備は万全であった。

敵に察知する事なく兵力を集結させたのだ。


遠くに見える城からは無数の灯りが見える。

こちらに気づいたようで、増え続ける松明の灯りと共に鼓舞するように旗と歓声が上がっていた。


「定石通り籠城か。まぁ、この人数を見て、その判断もやむを得ないだろうがな」

「閣下、森からの奇襲には注意しましょう」

「今宵の月はよく照らしてくれる。なぁに森から仕掛けてきた所で包囲殲滅してくれるわ」

「確かに」

「それに城の守兵が減るのだ。野戦の方が好都合よ」


そう言って、敵城を見つめる彼らは知らなかった。

この季節の満月の特性を。


いや、暇を持て余す者くらいしか気づかない些細でくだらない事なのだ。


そして、軍の行手を阻むように霧が立ち込める。


「霧か……」

「これは……」

「好奇だな」

「不吉な」


二人は別々の言葉を呟く。

そんな中、前方からは大きなドラの音が鳴り響く。


「やつら、打って出てきたか!?」


そんな時、後方から悲鳴が聞こえた。

霧が徐々に濃くなっていく。

敵の姿はおろか、味方すら見えなくなる。


ドッ!!


「ぐはッ!」


悲鳴は前方でも響いた。


「クソッ!」


馬から下り、足元に転がる何かを見る。

それは先程まで並走していた部下であった。

それが長槍に貫かれ、冷たく倒れ伏していた。


「散開して迎え討て!」


霧の中に消える部下に、大声で叫ぶ彼だったが声は反響して返ってこなかった。


ドッ!


「うわぁぁ!」


目を凝らして見れば、味方同士で斬り合いをしている者もいた。


「馬鹿者!!同士討ちだ!」


だが、その声も戦場の叫びにかき消されていく。


ドッ!!ドッ!!


「グフッ……」


そして、腹に強烈な衝撃が走ったかと思えば、口から血が飛び散り、彼は地に崩れ落ちていた。


翌日。


「味方の被害は僅か!敵軍は死者4万以上かと!」


報告を聞いたエリクが言葉を失う。

それは、もはや虐殺という領域であった。


フランが提案した戦術は単純な物だった。


城に兵士がいると視覚と聴覚で錯覚させる事。

森に伏せた兵士達に霧が出たら、槍と弩を放つ事。

そして、後方から奇襲を仕掛け、包囲殲滅する事。


「まさか本当に霧が出るとはな。我が妻は軍師の才があるようだ」

「それは違います。ただの運ですもの」


満月の夜。

頭痛に悩まされるその日に来襲した彼らに運がなかった。


ただ、違う日であったなら?


私は取り寄せた数々の戦記に思考を巡らせて、微笑む。


「あなた、今日もサラダが用意されてますわ」

「……いつまで続くのだ?」

「あら?私を抱けるようになるまでですわ」


私はもう恋に落ちている事に気づかないふりをする。


これは、そんな二人の馴れ初めから始まる戦記。

いつか私の本棚に飾られる物語だった。


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短編集〜様々なジャンルの実験置場〜 少尉 @siina12345of

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