婚約破棄?呪いを解いてくれて、ありがとう

——約束だよ


——ああ、約束だ


「……嘘つき」


私が次に目覚めた時、彼と過ごした時代は遥か昔に過ぎ去っていた。

そして今、伯爵家の庭先でホウキを杖替わりにして私は地べたへ座り込んでいた。


庭園の先に見える小さな壁が、私の世界の境界線。

その壁越しに、今日も世界へ思いを馳せているのだった……。


「……はぁ」


なぜ、あんな約束をしてしまったのだろう。

私は内心でそう愚痴った。


「リナさん、遊んでいては旦那様に叱られますよ」


そんな私の元に、メイド長を務める女性の声が届く。


「はいはい」

「返事は一度ですよ、リナさん。一応、坊ちゃんの婚約者なのですから」

「はいはい……はぁ」


私は、もう一度ため息を溢しながら、彼女を見る。


メイドの身分でありながら、伯爵家の長男の婚約者。

これには、理由があった。


私の生まれは、伯爵領にある小さな男爵家だ。

この男爵家から、黒髪の女子が生まれたら娶るというのが、伯爵家創立以来の家訓であったらしい。


そして、その家訓が初めて適用されようとしている。

ホウキを片手に空を眺める私の黒髪を風が撫でる。


「……ほんと、やってくれたわね」

「リナさん、手が止まっておりますよ」

「はいはい、わかってる。わかってるわよ。まったく……」


——幸せになろう


——それが願い?


——ああ、僕達の子供、孫、その先までずっと続く幸せを


——わかったわ


遠い過去の彼と交わした言葉が蘇る。

約束を交わした男は、もういない。

ただ私は男爵家の娘として目覚めていたのだ。


そして、なぜかメイドとして下働きをさせられているのだ。

婚約者らしい彼と話したのは、数える程度。


そんな事を考えていたら、庭園の外門から、馬車が入って来るのが見えた。


ああ、帰ってきたのか。


馬車から降りてきたのは、アレン・ベルファスト。

私の婚約者である。


「リナか」

「おかえりなさいませ。旦那様」


私の姿を見つけ、彼は少しだけ微笑む。

それは嘲笑うように冷たく、見下すような微笑みだ。


「旦那様か……。馬鹿馬鹿しい家訓のおかげで伯爵家に嫁げる幸運に感謝しているか? 」


幸運?本当に馬鹿らしい。

なんで私が、こんな男に見下されながら生活しなければならないのか……。


「アレン様、よく教育しておきますから」


メイド長が私の前に立ち、彼と私の間を遮る。

アレンは、そんなメイド長を鼻で笑う。


そして、私を見下ろし、指を弾いた。

その瞬間、炎が宙を撫でる。


——精霊魔法


それは精霊との契約で結ばれて、力を分け与えられものだ。

その才能は血筋に色濃く受け継がれていくと伝えられていた。


「私の教育は優しくないぞ?特に無能にはな」


その瞳は冷たさを増し、私を睨みつけてきていた。

その心情だけは察する事ができる。


私は精霊魔法を使えないのだ。

血筋に色濃く現れる才能が、一切存在しなかった。


故に無能。


「……はぁ」


立ち去る彼を見送りながら、ため息しかでない。

本当に最悪で、憂鬱な日々だ。


そんな毎日が、数ヶ月過ぎた時、珍しく旦那様に呼び出された。

滅多に立ち入る事のない来客室。

 

私の前には、伯爵である旦那様とアラン様が座っていた。

そして、アラン様は珍しく笑顔で上機嫌なのだ。


「何か御用でしょうか?」

「ああ、君に報告がある」


そう言って、旦那様は見定めるような視線を向ける。


本当にこの人は苦手だ。

嫌な視線を送ってくる。

 

私の事を観察するように見てくるのだ。

私は黙って彼の言葉を待った。


「父上、この吉報は私から伝えましょう」

「アラン様?」


彼は、私の言葉に微笑みを向けてきた。


「父上と懇意にしている伯爵家の御令嬢が見事な才でね。私は彼女と婚約する事にした」

「はぁ」


思わず、間抜けな声を出してしまった。

アラン様は、そんな私の態度に微笑みで応えてくる。


そして口を開いた。

どうやら本題のようだ。


「君との婚約は破棄させてもらう。今すぐ出て行ってもらおうか」


え?


その突然の出来事に私は言葉を失い、立ち尽くす。

そして、旦那様が言葉を続けた。


「代々言い伝えられてきた家訓であるが、その意味もわからぬのでな。アランにも血筋を大事にする事の重要性を問われたのだよ」

「無能で血を汚すわけにはいきませんよ、父上」


私は、ただ呆然とその言葉を耳にする。


それは、つまり……。


「契約を破棄するという事で、宜しいですか?」

「そう言っただろう」


アラン様の言葉を無視して、当主の顔を窺う。


——約束だよ


——ああ、約束だ


「ああ、男爵家に帰るなり自由にするがいい」


ふふふ。


思わず笑みが溢れそうになる。

そんな私の表情を見て、目の前の2人が怪訝な顔をした。


「では、契約……いえ、婚約破棄という事で出ていきますわ」


二人に一礼して、私はその場を後にする。

館を出れば、広い庭園の先の視界が晴れていた。


私を縛っていた境界線が消えたようだ。


「ふふふ」


優しい風が頬を撫でる度に、力が戻って来るのを感じられるのだ。


「……呪いを解いてくれて、ありがとう」


外門を出た私は感謝の言葉を呟いたのだった。


数日後。


「キャージュ男爵領の道は、こちらで合ってますか?」

「うん?ああ」


僅かな路銀しか持っていなかった私は、街道をひたすら歩いていた。

魔物や盗賊に注意しながら、隊商の後ろをついて行く日々。


力は少しづつ戻ってきているのだが、まだほんの僅かなのだ。


「キャージュ男爵領の道は……」


そんな問いかけが何度目かの夜を超えた時、


「キャージュ?没落したらしいぜ?」

「……没落?」

「ああ、昨日そこの領民が言ってたからな」


私の身体にまた僅かな力が戻ってきていた。


「そう……あそこも私を縛る檻だったのね」


小さな思い出が、私の胸をチクリとさすのだ。

これが人間というものか。


遠い昔には存在しなかった感情が、芽生えている。


「お父様、お母様、そして私の領民に祝福を……」


私は取り戻していた力の一部を解放すると祈る。


さて、帰る領地がなくなってしまったようですが、どうしましょうか。


名前も知らない街の入り口で、そんな思考を巡らせていた時だった。


「お嬢様?」


その懐かしい呼び名に振り返る。

そこにいたのは、帯剣した女剣士だ。


私より少し年上の彼女は、赤髪を後ろでまとめており、汚れた旅着姿であった。


「ルーシーなの?」

「はい、なぜここに?」


懐かしい顔だ。

だが、その表情はどこか疲れきっており、目にはクマがあった。


「伯爵様から、婚約破棄されましてね。領地のよくない噂を聞いたわ」

「……婚約破棄!?」


崩れ落ちる様に、ルーシーは私の前に座り込む。


「それはどうでも良い事だわ。それより領地は?」

「それが私にも何がなんだか……突然、イナゴの群れに襲来されて……畑も備蓄していた食糧も……」

「……そう」


私の契約の反動なのだろうが、それは言えない。


「旦那様は蓄えていた硬貨を配り、近隣に避難するように指示を……」

「お父様とお母様は町に残ったの?」

「いえ、王都に援助を求めに行きました。私はお嬢様が嫁いだ伯爵様の元へ向かう途中でしたが……」


婚約破棄……。

彼女は小さく悲しく呟いた。


「それは貴方にとっては残念だったわね。でも、良いのよ。私は自由になった事を喜んでるから」


その言葉に、彼女は微笑むと静かに立ち上がったのだった。


「お嬢様は相変わらず変わっているのですね」

「そうかしら?」


ルーシーは懐かしむように私に微笑みかけている。


「それより、路銀が尽きそうなのだけど、何か良い案はないかしら?」


私の問いに彼女は考える。

そして、しばらく悩んだ後、


「私が冒険者ギルドで稼いできます」


冒険者。

それは、未開の土地を切り開く歴戦の勇士から、街の雑用、魔物の討伐まで請け負う便利屋だ。


「面白そうね。私も冒険者になるわ」

「お嬢様が!?無理ですよ!無理です!」


そんな私の言葉を彼女は慌てて制止してくる。


「なぜかしら?」

「だって……その……お嬢様は剣も魔法もからきしでしょう?」


ルーシーはそう告げた。

確かに彼女の認識は正しい。

ただし……。


私は指を弾くと、虚空に特大の炎を召喚する。

それはあの平凡な貴族の男、アレンが使うような小さな炎とは、桁が異なるものであった。


「魔法、使えるようになったの。剣はダメだけどね」


いたずらな笑顔の私に彼女は驚き、二人は冒険者ギルドの扉を叩く事になる。


それは力を取り戻す度に破滅に向かう伯爵領と、冒険者になった御令嬢のお話。


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