第25話 流出した写真
「痛いってばっ! もう、そろそろ離してくれない?」
「あ……すまん」
神室の手を振り払い、赤くなった手首を撫でた。
けれども、神室の奴はいきなりどうしたのだろう。彼の顔は、行き詰まった漫画家のように真剣で深刻だった。
「大丈夫……?」と声をかけると、神室はあきれたようにため息をついた。そしてすぐに「あのなぁー」と僕に視線を向けた。
「お前、状況わかってんのか?」
「何が……?」
僕が首をかしげると、神室は額に手を当て、うつむいた。
「というかさ、今日みんな変じゃない? みんな、僕を見てニヤニヤ笑ってるんだよ。僕、何か笑われるようなことしたかな?」
「お前、見てないのか?」
「何を……?」
再び首をかしげると、神室は「やっぱりそうか」とつぶやきながら、スマホを取り出した。やがてカチャカチャとスマホをいじる神室が、「ほら、これ」と言って画面を見せてくれた。
「何かあるのか?」
「いいからとりあえず見ろ」
何気なく神室のスマホ画面に目をやる。スマホには見慣れたSNSの画面が表示されていた。
「これがどうかしたのか?」
「スクロールしてよく見てみろ」
神室から渡されたスマホを指で操作しながらスクロールしていくと、一枚の写真が目に飛び込んできた。
「――――な、なんだこれっ!?」
そこには、僕とコスプレイヤーのテンテンが腕を組んで歩いている写真が投稿されていた。
しかもかなり話題になっていて――いや、かなり大きな波紋を呼んでいた。
その写真のリツイートはすでに3万を超え、コメント数も5千に迫ろうとしていた。それも内容は僕とテンテンに対する誹謗中傷がほとんど。つまりは絶賛大炎上中ということだ。
「だ、誰がこんなの投稿したんだよっ!?」
「俺も気になったから、投稿者のプロフィールをチェックしてみたんだけどよ、ありゃ捨て垢だ」
投稿者のプロフィール画像をタップしてプロフィール画面に移動する。
【さらし屋】という名前の下に、あからさまに適当に作られたようなIDが表示されている。紹介文には『裏切り者への制裁……』と、たった一言だけ書かれている。
フォローは54件、フォロワーは56人。しかも、全てのフォロワーが相互フォローをうたっているアカウントだった。神室の指摘通り、これは典型的な捨て垢だ。
「これ、多分この間テンテンさんが
「それって……」
「ああ、多分この捨て垢を作った奴は、鳥山校に通う生徒の誰かだ」
コスプレイヤーは一部のファンからはアイドルのように扱われている。特にメディアで注目を浴びているコスプレイヤーなら、そのファンの数はさらに計り知れないものとなる。テンテンの熱狂的なファンがうちの高校にいたとしても、何ら不思議ではない。むしろいない方が不思議だ。
現に、この神室もまた、テンテンの大ファンだったのだ。
「お前の方のSNSもかなり荒れてるんじゃないのか?」
スマートフォンを手に取り、個人用のアカウントにログインすると、神室の指摘どおり、僕を特定した人々による中傷や誹謗のコメントが書き込まれていた。通知をオフにしていたため気付かなかったが、ダイレクトメッセージも次々と届いていた。
「ひでぇな。騒動が落ち着くまで非公開にしておいた方がいいぜ」
「……そうだね」
「不幸中の幸いつったら変かもしれねぇけど、お前が漫画家の黄昏だってバレてないことが唯一の救いだ」
神室の言う通りだ。もし僕の正体が暴露されていたら、関係のない作品にまで波及していたかもしれない。
「テンテンの方は大丈夫かな? 心配だな」
「向こうは一応プロだし、何なら事務所の人間が一緒に対応とか考えてくれるから大丈夫なんじゃねぇ? それより問題はお前の方だろ」
「僕……? 僕なら問題ないよ。それこそ芸能人じゃないから、放っておけばそのうち世間の関心も薄れると思うし」
「確かにそうだけど……」
神室の表情は悲壮さがにじみ出ている。しばらく黙り込んだ後、神室は僕の目を真剣に見つめていた。
「確かにこれも深刻なんだけど、もっと深刻な情報が出回っているんだよな」
「もっと深刻な情報? それは……?」
再度スマホでSNS内を確認してみるけど、テンテンとの腕組み写真以外に流出している写真は見当たらなかった。
「いや、
「
「お前、学校裏サイトって知ってるか?」
「学校裏サイト……」
学校の裏サイトとは、小学校や中学校、高校の生徒たちが、公式サイトとは別に学校内で交流や情報を共有するために作った非公式のウェブサイトである。しかし最近では根拠のない中傷や個人情報の流出などが社会的に問題視されている。
「うちの学校にもそういうサイトがあるのか?」
「割と昔からな」
僕が知らなかっただけで、我が鳥山高校にも学校裏サイトが存在しているようだ。
「それで、その裏サイトに僕の情報が出回ってるってこと?」
「……ああ。しかも、かなり衝撃的な内容が含まれているみたいだ」
「衝撃的……?」
僕についての衝撃的な情報とは、一体何のことだろうか? 考えてみるが、そのような事実を思い出すことはできない。それを神室に伝えると、彼は「おそらくそうだろうな」と深いため息をついた。
そして再び手早くスマートフォンを操作し、問題の裏サイトを表示してくれる。
「なっ、なんだよこれ!?」
神室が示してくれた学校内裏サイトの掲示板には、僕の名前や学年、クラスが記されており、その下には複数の写真が添付されていた。しかし、問題はその写真にあった。
掲示板に添付された写真はすべて猥褻な写真であり、中には拘束された女性の隣で僕がピースサインを掲げるものまであった。
「まさかお前にそういう趣味があったとは驚きだ」
「あるわけないだろっ! 僕はまだ童貞だァッ!!」
「冗談だって、怒るなよ。つーか、そんなこと改めて大声で言わなくても、同じ学年の連中なら大体知ってるだろう。お前がまだ童貞だってことくらい」
「じゃあ言わないでくれ」
「だからジョークだって言ったろ?」
「……っ。今後は状況を考慮してからジョークを言ってくれ」
「謝るよ、悪かった」
貼り付けられた写真の中には、テンテンと僕がベッドで抱き合っている写真もあった。
「こんなアイコラまで作るなんて、相当手の込んだいたずらだな」
「いたずらだけじゃ済まされない。社会には許されることとダメなことがあるんだ」
「違いねぇ」
しかし、これで先程のみんなの態度も理解できた。こんな疑わしい写真が出回っているのだから、彼らがあのような反応をするのも当然だと思った。
影野、手塚、瑠璃華の三人も、おそらくこの写真を目にしてしまったことだろう。
「問題はこのばかげた合成写真を制作し、裏サイトにアップした犯人が俺たちの学校にいるという可能性が高いことだ。その人物はおそらく、お前に対して敵意を抱いている」
「なんで僕なんだよ!」
「そりゃあのテンテンと親しげに腕を組んでる所を見せつけられたら、ファンなら嫉妬で頭がおかしくなるくらいに怒るのは理解できるだろ?」
「ファンなら……ね。へぇー」
僕は神室にジト目を向けていた。
「な、なんだよ……? おまっ!? まさか俺を疑ってるんじゃねぇだろうな!」
「別に、そういうつもりじゃないけど」
「じゃあどういうつもりなんだよ!」
「ただ、神室もテンテンのファンだったってことを思い出しただけだよ」
「それを疑ってるって言うんじゃねぇのかよ!」
「ジョークだよ、ジョーク。からかっただけだよ」
「……ったく」
神室は確かにテンテンのファンだが、面倒くさいオタクじゃない。彼は純粋にコスプレイヤーとしてのテンテンのファンであり、彼女のプライベートには興味がなかった。
そもそも神室は異性にモテるのだ。
入学当初こそ瑠璃華に好意を寄せていたが、今では彼女にもまったく興味がない。というのも、神室には大学生の彼女がいる。一度職場で写真を見せてくれたことがあるが、神室の彼女はモデル顔負けの美人だった
「つーか、こう言っちゃなんだがよ、正直こういう騒ぎは俺も困るんだよな」
「神室も?」
「当然だろ。もしもこれが原因でお前の正体がバレて、漫画の仕事に支障が出たりしたら、俺のアシスタントの仕事がダメになっちまう可能性だってあるんだ。年上の女と付き合うのって、なかなかお金がかかるんだぜ」
「……ああ、そっちか」
「他に何があんだよ?」
「いや、特に……」
友達が困っているのを見るのは嫌だとか、そういう友情的な感情を期待しているわけじゃない。……まったく違うからっ!
「とにかくこの問題、早く収束させないと、お前の正体がバレるのも時間の問題だぞ」
「僕のことよりテンテンの方が心配だよ。今はまだ腕を組んでるだけの写真しか出回ってないけど、もしベッド写真が出回ったら、ますます手に負えなくなるんじゃないの?」
「その点は大丈夫だろ」
「なんで?」
「こんな稚拙な合成写真をアップしても、ほとんどの人はすぐにそれが偽物だって気づくはずだ。そうなれば、本物の写真までが偽物だと疑われることになって、むしろ犯人のほうが困るはずだろ? 犯人もそれは分かってるから、敢えて学校裏サイトに載せたんじゃないか?」
「なるほど」
「それに相手は芸能事務所に所属するタレントだ。最悪営業妨害や名誉毀損で訴えられるリスクだってある。犯人だってそれは理解してるはずだから、合成写真をSNSではなく、学校内裏サイトにアップしたんだろう」
「僕から訴えられるってことは、考慮していないってことか……」
神室の説明に深く納得していると、校内放送が響き渡り、追い討ちをかけられるように名前が呼ばれた。
『二年四組の結城美空音くん、至急職員室に来なさい。繰り返します――』
写真を見せられた瞬間から、ある程度予想と覚悟はしていたが、やはり呼び出しが掛かってしまった。
「結城! 先生にははっきり合成写真だって言うんだぞ! これはただの嫌がらせだって」
「うん」
「こんなところで躓くんじゃねぇぞ! 俺はお前の背中を踏み台にして上に行くんだからな! まだお前から学ぶことが山ほどあるんだからな!」
「わかってる」
神室は言葉がキツくて、少し気難しい部分もあるけれど、最近は意外にもいいやつなのかな、と思う瞬間がある。
今日だって僕に話しかけ、気にかけてくれたのは彼だけだったのだ。
「お前は口下手だから、自分で説明するのが無理そうだと思ったら、迷わず俺を呼べ! 代わりに俺が説明してやる」
「ありがとう」
しっかりとした友情が存在することに、なぜだか少し安心感を覚えた。
しかし、彼に迷惑をかけるわけにはいかない。自分の問題は自分で解決してみせるつもりだ。
「行ってくる」
「ああ……」
神室に別れを告げ、僕は屋上をあとにした。
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