第24話 すべてが順調に進み過ぎた。

 数日前のスタンドバトル以来、テンテンは何も用がないのに、仕事場に不自然に現れるようになった。僕がそのことを指摘すると、彼女はわざとらしい態度で絵の指導を頼んでくる。都度、アシスタントの手塚は作業遅延の理由をつけて、テンテンを追い返すために奮闘する。

 この光景が最近では職場の風物詩として定着していた。


 しかし、それを含めたとしても、手塚と神室をアシスタントに雇えたことはかなり大きい。これまで長時間かかっていた作業が大幅に短縮できたおかげで、僕の睡眠時間もかなり増えた。


 最近は肌の調子も良く、休憩時間などは念願だったマリオカートなどのゲームをアシスタントと、なぜか職場にやって来るテンテンの4人で楽しんでいる。


 手塚や神室からは漫画製作に関する質問やアドバイスを求められることも多い。できる限り答えるようにし、持ちつ持たれつの関係を築いていた。


 このままのスムーズな進行で作業が進めば、来月には【廻れ狂想曲】2巻が発売される予定だ。編集の立花さんによると、【廻れ狂想曲】のドラマCD化についての話も浮上しており、この勢いで単行本が更に売れると、将来的にはアニメ化の可能性も考えられるそうだ。

 実際、編集部でもそのような話が取り沙汰されているのだとか。


 しかし、人生は思い通りに進まないことのほうが多い。




 ◆◆◆




 それはとある日のことだ。

 いつも通り学校に向かっていたところ、同じ鳥山高校の制服を着た女子生徒が僕を指差して笑っていた。


「……?」


 僕の顔に何かついてるのかな……?


 スマホのカメラアプリを起動し、鏡代わりに確認したが、特に何もついておらず、変わった点も見当たらなかった。


「気のせいかな?」


 しかし学校に近づくにつれて、生徒たちの数が増え、こちらを見てはコソコソと笑う様子が増えてきた。その笑顔は明らかに嘲笑の意味を含んでいた。


「……」


 朝から非常に不快な気分になった。まるで世界中の人々が僕をバカにしているような感じがしたのだ。


「くくくっ――おい、あいつじゃね」

「噂をすればご本人様のご登場かよ」

「いいよなー、俺も仲間に入れてもらいたいくらいだ」

「そりゃ男ならみんな思ってることだって」

「つーか大人しそうな顔してるくせに、やってることマジで半端ねぇよな」

「でかい声で言うなって、本人にバッチリ聞こえちまうだろ」

「あははは、悪りぃ」


 学校に着いて、昇降口で上履きに履き替えながら、図書室に向かう途中でも、どこかで誰かに笑われている気がして、めちゃくちゃ気まずかった。


 本音をいうとそのまま引き返して家に戻りたいと思っていたけど、これまで学校をサボった経験がない僕には、そんな選択肢はなく、気にしないふりをするだけで精一杯だった。


「ん……?」


 今朝も例のように図書室に向かっていると、スマホが鳴った。画面を見ると、影野さんからLINEが届いていた。

 僕は足を止めて、LINEを確認する。



『今日は朝の練習、お休みします。ごめんなさいm(_ _)m』


「珍しいな。影野さん具合が悪いのかな?」


 ちょっと心配になったけど、僕が心配したところでどうにかなる問題じゃない。図書室へ行くのをやめて、教室に向かった。

 階段を上がって、二年生の教室がずらりと並んでいる廊下に出ると、今まで騒がしかった生徒たちがピタッと静まりかえった。一斉に僕を見つめ、その次の瞬間にはヒソヒソと話し始めた。


 ……一体何が起こっているんだろう? と心の中でつぶやきながら、急いで教室へと向かった。教室の扉をそっと開けて中に入ると、そこでも同じような光景が広がっていた。

 先ほどまでにぎやかだったはずの声が、僕が扉を開けるやいなや、不意に鳴り止む。


「……」


 未知の不安が心を覆いつくす。まるで異世界に足を踏み入れたかのような感覚が、僕をとらえる。足元がすくわれるような思いで、教室内を見回すと、先ほどLINEで連絡をくれた影野さんと視線が交わる。彼女の姿を見つけ、ほんのりと安堵の気持ちが心に広がった。



「おはよう、影野さ――――……え?」


 片手を挙げて影野さんに近づこうとしたその瞬間、彼女は急いで席を離れ、教室を飛び出してしまった。彼女が僕の横を駆け抜けるとき、「ごめんなさい」と小さな声でつぶやいた。


 え……なんで?


 ショックでその場に立ち尽くしてしまう。

 僕は彼女に嫌われることでもしてしまったのだろうか。考えるけど、心当たりは何もなかった。


 次に、近くの席に座っていた手塚に視線を向けるが、彼女はすぐに目をそらした。


「ああ、そうや! ウチ委員長やから先生に用事頼まれとったんやった」


 わざとらしい独り言を口にしながら、彼女も教室を出ていく。

 次に目を向けたのは、元カノの瑠璃華だった。しかし、彼女もあからさまに目をそらし、スマホを見続けていた。


 教室内を見渡すと、クラスメイトたちは相変わらずスマホを片手にヒソヒソと会話しており、時折こちらを見ては嘲笑っている。


 これまで教室では透明人間のように振る舞い、クラスメイトたちからも同じように扱われてきた。しかし、今は違う。皆が僕を見つめている。その視線に冷たさを感じる。

 クラスメイトたちの視線が、今までとは異なる色合いを帯びて見える。その都度、心の中に小さな亀裂が広がっていくのを感じた。


 慣れていたはずの孤独が、今ではこんなにも胸を突き刺すようだった。苦しさと恐怖が交錯している。


 〝幸せになると人は弱くなる〟と、どこかで読んだことがある。


 近頃は何事も順調だった。夢だった漫画家になり、優秀なアシスタントにも恵まれた。みんなで楽しくプレイするマリオカートは、息抜きの最高のひとときだった。


 これは、幸せ過ぎることへの罰なのだろう。僕は心の中で諦めながら、一年前のように感情を封じ込めようとしたその時――ガラガラという音が響いた。


「え……!?」

「やっと見つけた!」


 教室の扉が勢いよく開かれ、もう一人のアシスタント、神室が教室に駆け込んできた。彼はぜぇぜぇと肩で息を切らし、額からは玉のような汗がにじんでいた。


「神室……そんなに汗かいてどうしたの?」

「っんなことはどうでもいいんだよ! つーかお前ちょっとこっち来い!」

「えっ、ちょっと――!?」


 神室に腕をつかまれ、僕は引きずられるように教室を出て行く。


「い、痛いって神室!」

「いいから黙ってついて来い!」


 転びそうになりながらも、早足で歩く神室に追従する。階段を上り、やって来たのは誰もいない屋上だった。

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