2-5 今すぐ、事務所に来てください

「ん~」荒城あらきは1秒間ほどうなると、事務所の片隅へと歩く。

 彼は棚に置かれた電気ケトルのスイッチを入れた。「どうして知りたいの?」顔だけこちらへ振り向く。

 その表情に、久我くがのような非難めいた色はない。興味本位の質問みたいだ。


 美佳みかは素直に答える。

「私、芳川よしかわさんのこと全然わからないから、知りたいんです。

 成り行きで協力はしたんですけど、それが本当に正しかったのかどうかとか……」


「正しかったかどうか?」

「一昨日、上野うえの公園で芳川よしかわさんと会って、芳川よしかわさんが開けられないって困っていたダイアル錠を解いたんです。その時は、何も考えずに手を出しちゃったんですけど、もしかしたら、その箱は、私なんかが触っちゃいけない物だったのかもって、思って」


 少女の説明に対し、荒城あらきは「あぁ、そう言えば」と言いながら手を打った。「君は、猫の子供だったね」

「ん?」

 猫の子供? 気になるワードが出てきたが、


「その箱が何なのか、芳川よしかわさんは言わなかったの?」

「あ……えと」問い掛けは先を越されてしまい、美佳みかは発言の変更を余儀なくされた。「はい、教えてもらえませんでした」

「あちゃ~」荒城あらきは天井を仰ぎ、片手を目元にあてる。「芳川よしかわさん、女の子を巻き込んで、なんてことを」


 中学生は「身振り手振りの多い人だ」と感想を抱いた。表情豊かで、久我くが芳川よしかわとは異なるタイプの、比較的話しやすい部類に当てはまる。

 胸に安心感が芽生えたのもあり、自分にとって重要な事柄へ踏み込むことにした。

「やっぱり、あの箱って――」


 しかし、

「あ、待って!」荒城あらきが遮った。「ごめんね、調査に関わることは、僕から適当に話すよりも、芳川よしかわさんに、責任を持って話してもらった方が良いと思う」


「……」

 信じた瞬間に、そのような期待外れな反応をするのか――美佳みかは思わず頬を膨らませる。


「ごめんね~」荒城あらきは困ったように笑った。

 その片手がスラックスのポケットからスマートフォンを取り出す。子供の上目遣いを受け止めながら、彼は手早い操作でどこかへと電話を掛けた。


「あ、もしもーし、芳川よしかわさーん、出てくれて良かったー!」

 芳川よしかわに電話? 休暇のはずではないのか。


「体調は大丈夫ですか? あ~、大丈夫なら何よりですー、へへ、本当に。

 実は、さっきレナちゃんが『ヨッシーどこだー!』って居座って、大変だったんですよー。『話したいだけー』って言ってたんですけど、何の用か、心当たりあります? ないっすかー。なんなんすかねー」


 美佳みかは何となく、先ほどつつかれた胸に手をあてた。意地悪をされた嫌な感じを思い出してしまった。


「あと、風間かざまさんも来ました。封筒は返しときました。公務員なのに日曜も働くなんて、警察も大変っすねー」


 風間かざま――背が高く目つきと口の悪いあの人は、警察官だったのか。

 そんな人物と探偵が貸し借りしていた物とは、何だろうか?

 レナの言っていたエーブイ? エーブイって何だ。


「で、ですよ。こっからが本題です。

 今すぐ、事務所に来てください」


 !


郁野いくのさんがお待ちです。一昨日の夜に話してた、猫の子供ですよね。

 何の事情も話さないで協力させたそうじゃないですかー。不安になってるみたいだから、責任持って説明してあげてください! そう、不安がってます! めっちゃかわいそうでしょう!」


「あの、荒城あらきさん?」

 急に呼び出しては、むしろそれで迷惑を掛けていないか不安だ。誇張しているのも気になる。

 あと、猫の子供って何だ。疑問は絶えない。


荒城あらきさ――」

 目の前の男性は美佳みかの再度の呼び掛けにウィンクだけ返した。

 どういう意味だ! 不安だ!


 話は続く。

「あの調査も終わったみたいですし、話せる範囲だけ教えてあげましょう。巻き込んだのはこっちなんですから。

 ……お、来てくれるんですね! じゃ、お茶を出して待っててもらいますんで、よろしくお願いしまーす!」


 陽気な声の後は、画面をタップしてスマートフォンをポケットに戻した。荒城あらきは見るからに満足そうな、気持ちの良い笑顔をこちらに向ける。「芳川よしかわさん、すぐ来るから。もうちょっと待っててね!」


「あの、いいんですか? 今日、お休みなのに。しかも体調が悪いって」

「体調は平気そうだったから、大丈夫だよ。無理そうな時は、無理って言う人だし」

「そうなんですか……?」


「それより、信用問題の方が重要! ここはね、地域密着型、信用第一でやってるの。芳川よしかわさんだって、恩人を放置なんてしたくないはずさ」

「そうなんですか……」


 確かに「地域密着型」の文言は後藤ごとう探偵事務所のホームページで見た記憶がある。

 とにもかくにも、荒城あらきが仕事熱心であることはよくわかった。これ以上、反対する理由もなく、美佳みかは受け入れることにする。


「30分ぐらいかかると思うから……そうだな、この探偵事務所のことと、芳川よしかわさんがどんな人か、紹介するよ」

 電気ケトルの口から湯気が上がった。

「お菓子は好き? 昨日、お客さんに出すやつを買い足したみたいで、色々あるよー」


「えと……いいんですか?」

 荒城あらきは仕事中のはずだが、事務所の紹介に時間を割いて良いのか。そして、客ではない自分にお菓子を出して良いのか。2つの意味で、単なる来訪者は問う。


「遠慮しないで! 協力してくれた、天才少女だもん!」

「天才少女?」

 また新しい肩書きをもらってしまった。

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