2-1 会いに来ました

 霊感探偵が浅野あさの夫妻の依頼を完遂した翌日の日曜日。

 東京とうきょう台東たいとう区。


 上野うえの駅から東へ数百m――区役所や消防署を越えた先に、住宅とビルとが入り乱れる地域がある。人も車も昼夜往来があるもののにぎわいは大通りや公園に譲る静かな路地の一角。

 そこに立つ雑居ビルの二階に、後藤ごとう探偵事務所の看板があった。


 晴れ渡った穏やかな空の下、K中学校2年生の女子 郁野いくの 美佳みかはそのビルを訪れた。彼女にとって、この事務所への訪問は二度目となる。

 入口を通った場所にロビーや受付はなく、通路の先にエレベーターと階段が並んでいるのみ。エレベーター近くの壁には、上半身が写る程度のサイズの鏡が掛けられている。


 自宅からここまでは徒歩圏内であり長い距離を歩いた訳ではないが、美佳みかは鏡の前で簡単に髪を整え、前髪のヘアピンを付け直してからエレベーターに乗った。

 目的の二階でエレベーターを降りると、5mもない距離に全面すりガラスの両開きのドアが。

 前回と同じように、ドアノブを押して事務所へ入室する。


 開かれた景色も前と同じ、外に面した壁に並ぶ窓と、事務机の並んだ室内。

 ただし、以前とは違う香りがほのかに鼻くうをくすぐった。香水?


 違和の原因を探るより先に、

「こんにちは!」

 よく通る声で挨拶を受ける。


 声を掛けられた方へ顔を向けると、男性が事務机の合間のイスから立ち上がり、こちらへ足早に来るところだった。

 昨日、話した久我くがという人物ではない。一目で二十代とわかる肌つやと若い顔立ちで、髪色は陽に当たってわかる程度にうっすらと茶色だ。大学生なのだろうか? 身長は兄の雅也まさやと同じぐらいだが、兄がスポーツ刈りであるのに対し、目の前の男性は目に掛からない程度の長さの前髪を幾つかの束にして流している。半袖シャツからのびる腕は細くはないが太過ぎない、脚も長くて運動が得意そうだ。黒のスラックスもジッパーポケットでカジュアルな感じ。絵に描いたようなイケメンで、全身から爽やかな雰囲気を放っていた。


 とても魅力的な男性は美佳みかの前まで来ると、とても自然な笑顔で尋ねる。「どうしたの?」

「あ、えと……」美佳みかは我に返り、ホワイトボードに目をやった。昨日の経験で、そこを見れば出勤者がわかることを知っている。今、白い札は1枚だけだ。「荒城あらきさん?」

「ん?」男性は一瞬キョトンとした顔をして、すぐニカッと笑った。「うん! はじめまして、荒城あらき たけるです!」


 荒城あらき たける。なるほど、昨日「アキエさん」が言っていた「タケちゃん」は、たけるに由来する呼び名だ。


「私は、郁野いくの 美佳みかです」美佳みかは自己紹介に用件を続ける。「芳川よしかわさんと約束していて、会いに来ました」

 と、荒城あらきの笑顔が固さを帯びた。

「あ、芳川よしかわさん? そうか、芳川よしかわさんか」彼は言いながら何故か腰をひねって後方を伺い、すぐまたこちらを向く。「ごめんね、ちょっと体調崩しちゃって、今日はお休みなんだよね~」


「え。体調を崩したって、どんな風にですか?」

 目の前の大人が何を確認したのか気になったが、それ以上に重大な発言についての深掘りを優先した。

 どの程度の不調? 調査と何か関係があるの? それとも、霊視をしたから? 個人的に「霊視」という行為に不安感を抱いていたために、美佳みか芳川よしかわの容態を聞かずにはいられなかった。


「どんな風って……」荒城あらきはあからさまに困惑する。「えぇ、またぁ?」


 また?

 女子の耳は、不審な一言を逃さなかった。


 荒城あらきは繕ったような笑顔になる。「まぁただの風邪だから、気にしないで」

 怪しい。何か隠している。

 芳川よしかわ久我くがに続き、この人まで子供をだまそうとしている。この探偵事務所の人間は皆なのだろうか。


 見損なった! 問い詰めてやる!

 成敗を決心し頬を膨らませた、その時、


「本当にぃ?」

 声が響いた。美佳みかではない、別の女性によるものだ。

 位置は、荒城あらきの奥。当の荒城あらきは表情を凍り付かせている。


 何が起こっているのかまったく不明だが、美佳みかは横へ背伸びし、彼の向こう側をのぞき込んだ。

 事務机の間でイスに腰掛けている女性と目が合う。今までデスクに突っ伏していたのだろうか、気づかなかった。


 長い髪は金に染められ、化粧の濃い顔は事務所に不釣り合いに色白で、唇も真っ赤だ。

 中学生は、直感的に「真面目な人ではなさそうだ」と思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る