尚も虚構であるもの

1―37 思考は、まどろみに溶けて

 隅田川すみだがわまで戻ってきた芳川よしかわ 亮輔りょうすけは、車をコンビニに入れて休憩した。

 コーヒーを買って愛車のキャプチャーのシートを倒すと、ただちに眠気がやってきた。

 霊視は本当に体力を使う。


 木曜日はヒアリング結果を深夜までまとめ、金曜日はやっとの思いで見つけたリュックサックと遺品の霊視で徹夜した。ルームミラーに映る自分の顔は、見るからに疲れ果てていた。両手で顔をマッサージしてみる。当然、それしきで顔色に変化など起こらない。

 急ピッチで調査を進めた理由は、半ばネガティブな結論ありきで話を終わらせたがる依頼人を前に芳川よしかわが焦りを感じていたためだ。長時間のヒアリングと調査の進め方の対立で反感も買っていたため、速やかに成果を出す必要があった。


 結果的に依頼人が気分を害して調査中止になるということもなく、遺品、そして霊自身を霊視することで記憶にたどり着くことができた。

 猫の子供の宝物は、悲しみの底にある浅野あさの一家の光に必ずなるだろう。


 ここまでうまくことが運んだ要因としては、依頼人の母 浅野あさの 清子せいこの寄与が大きい。

 彼女は霊感探偵としての芳川よしかわの最初の依頼人であった。その時、後藤ごとう 晃雄てるお所長と出会い、自分にとって沈み続ける人生の変曲点となった。


 場所の記憶は曖昧だったが、たかしの実家すなわち清子せいこの家にも行ったことがあった。たかしの父にして清子せいこの亡き夫である寛太かんたのこともある程度は知っていて、フィギュアに込められた感情も彼のものだとすぐにわかった。

 どこか脳天気で頼りないたかしをフォローして事実を突き止められたのは、最初の案件によるところが大きい。


 そして何よりも、清子せいこの存在自体がたかしに霊感探偵を信頼させていたのだろうと芳川よしかわは分析する。清子せいこは追い詰められた2人を力強く支え続けた。そんな清子せいこの紹介だったから、2人はの言葉に耳を貸してくれたのだ。

 信頼関係というこの仕事では必要不可欠で、最も築くのが困難なものが初めからほぼ完成していた。難易度で言えば最も簡単に解決できる問題だった訳だ。


 この調査は、多くの縁に導かれて解決に至った。

 清子せいこに心から感謝する。


 ゆっくりと深呼吸する。

 思考する。


 ……やはり、無理だ。

 全く別の事柄について判断するなり、芳川よしかわはスマートフォンを取り出し電話を掛けた。相手は後藤ごとう所長。用件は2つだ。


「もしもし、芳川よしかわです」

「おう、どうした」

 中年にして尚エネルギッシュな男の声が返ってきた。


浅野あさのさんの件、無事、完了しました。霊視が成功し、依頼を完遂できました」

「そうか! がっはっは!」豪快な笑い声に鼓膜を貫かれ、部下は思わずスマートフォンを耳から遠ざけた。「お疲れさん! 清子せいこさんは元気だったか?」

「はい。依頼人を立派に支えていらっしゃいましたよ。ヌクも元気でした」

「そりゃ良かった! ありがとな!」


 芳川よしかわはもう1つの用件を伝える。

「それで、今回の依頼の報告書なんですが、明日は休んで、月曜にまとめます。霊視をして、疲れてしまって」


 普段は調査完了した翌日は報告書をまとめるのだが、今は極度のけん怠感に加え吐き気もある。やり過ぎた。依頼人の前で、よく耐えたものだと自分で思うほどだ。この不調は一晩の眠りでは抜けないどころか、更に体調を崩す可能性もあった。

 このことから、芳川よしかわは明日は休暇を取ることにした。


 後藤ごとう探偵事務所の従業員は毎週2日の休日を設定し残りを稼働日とする。事務所自体は年中無休であり日曜日も営業するため、従業員間で毎日1人以上は出勤するよう休日を調整しているのだ。これに加え、毎月1日以上、年15回取得目標の年次有給休暇や、リフレッシュ休暇など様々な特別休暇もある。

 今週の芳川よしかわは既に月曜日と火曜日に休んでいるため、有給休暇として3日目の休日を取ることになる。


「わかった! 明日はゆっくり休め!」

「ありがとうございます。今日は、このまま直帰します。よろしくお願いします」

「おう! お疲れ!」

「お疲れ様です。失礼します」


 通話を切ると、急に静けさを意識した。所長の声が大きかったことと、一仕事終えた達成感からだろうか。

 シートに全身を預け、まぶたを閉じる。


 上野うえの公園で出会った郁野いくの 美佳みかにもお礼をしなければ。彼女も今回の調査の要である。

 彼女にいていた猫の霊も、気になる――


 そうだ、刑事の風間かざま 昂太郎こうたろうとの約束だ。「明日くる」と言っていた――

 休むことを連絡しておかないと――


 思考は、まどろみに溶けて消えた。

 サイレントモードにしたままのスマートフォンに着信がきていることにも、気がつきはしなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る