1―35 みんなに遺してくれた想いを

「ありがとうございました」落ち着きを取り戻したところでたかしは深々と頭を下げる。「本当に、本当にありがとうございました」

「ありがとうございました」隣であかねも続いた。


「いえいえ、そんな、私は大したことはしていません」芳川よしかわは先ほどまでのりんとした態度とは一転、戸惑ったような反応をする。「私にできるのはお手伝いだけです。故人とお二人が想い合っていたから、こうしてつながったというだけです」

 それから、照れたように笑った。


 「そんな顔もできるのか」とたかしは意外に思う。

 一昨日の初対面やヒアリングの時は常に仏頂面で容赦なかった男は、今はどこまでも穏やかで、人懐っこそうな雰囲気さえ感じた。


真仁まさとくんに恨まれている可能性を覚悟して事実を求め、見ず知らずの私にもありのままを教えてくれた、お二人の勇気があっての結果です」

 落ち着いた声と優しい表情が、こちらを安心させてくれる。

 これが、霊感探偵という男の本性なのだろうか?


 それから芳川よしかわは心理カウンセラーの紹介をしてくれた。精神的に負荷をかける調査を行った時は、後藤ごとう探偵事務所の「しきたり」として行っているらしい。もちろん、たかしらは事故直後に病院などからもカウンセラーを紹介されていたが、今回も資料だけ預かることにした。


 その後、事務連絡として調査料について後日計算したものを庶務担当から連絡すると伝えられる。

 またリュックサックなどの遺品は拾得物であり他人が保管すると法律的に問題があるため、浅野あさの家にすべて返却された。


 さっさと退散しようとする恩人に何かお礼をしたい気持ちがあったが、呼び止める理由は思いつかなかった。

 事務所に帰る芳川よしかわ清子せいこ真衣まいも呼んで見送る。


 別れ際、彼は「あぁ、そうだ」と思い出したように振り返った。

「猫の日は、ご存じですか?」

「猫の日?」たかしは記憶を探るがわからない。

 隣の妻も知らない様子だった。


「そうですか……なるほど」芳川よしかわは片手を後頭部にあて、少し考えた後、微笑む。「わかりました。特に深い意味はない質問なので、お気になさらず」

 探偵の不思議な態度に依頼人は「はぁ」と答えるしかなかった。


 抱いた疑問をそのまま口にしようかとも考えたが、

 相手の「別れの挨拶」の方が早かった。


「きっとこれからも、色々なことでつまづいたり悩むことがあるでしょう。

 しかしその度に、故人が味方になってくれるはずです。


 いつでも思い出すことのできる幸せが、何よりも強く支えてくれます。

 遺された想いが、皆さんの力になりますように」


 探偵の車を見送った後、しばらく玄関に立ち尽くしてたかしは言う。「あの人、すごかったな」

「最初はうさん臭いと思ったけど、本物だったね」あかねも同意した。


 疑念を抱いていたのはたかしも同じである。一種の気の迷いのようなものですがりついたものの、説明はいちいち空想的で「経験上」などと前置きをするし、こちらの言うことは聞いてくれないし、ヒアリングの時も色々と指図され腹が立っていた。


 しかし考えてみれば、彼は限られた時間の中で冷静沈着に行動していただけだったのだ。

 広大な上野うえの公園で一人でリュックサック捜索など、無謀だ。だから「早くリュックサックを探してください」という要望を断って管理所へ連絡し、探偵自身は人目につきにくい場所を中心に探した。


 合理的な判断の結果、一日でリュックサックを見つけ出し、失われたはずの真仁まさとの記憶をよみがえらせてしまった。たかしも知らなかったあかね真衣まいとの思い出まで、次々と。

 まるで魔法だった。


 ――私にできるのはお手伝いだけです。

 穏やかに語った彼も一度、激しい剣幕でこちらの言葉をさえぎった。その時は驚いたが、今となっては、それが「たかしの思い込みを排除するためのものだった」とわかる。実直に事実だけを拾い集めるための反応だった訳だ。

 彼は、自分にできること、すべきことを見極め、やり切ったのだ。


 たかしは「真仁まさとの当時の思いを知りたい」と依頼した。

 だがその実、心の内では「真仁まさと」と願っていた。


 さっさと俺を思い知らせて、諦めさせてくれ。

 俺を悪者にして離婚すれば、妻も娘もおびただしい責め苦から解放されるだろう。

 苦しむのは、俺だけで良い。

 その方がマシだ。

 だから――


 そんな独善的な意向は、否定された。

 霊感探偵、そして、真仁まさと自身に。

 自分は「思い込み」ではなく、真実を受け入れて「これから」を考えられるようになった。


 こんなに恵まれたことがあるだろうか。

 これ以上の「救い」が、あるだろうか。


 そうして救われた自分は、何をすべきなのだろう――


 たかしは自分で考えた結果を提案する。

「お別れ会、しようか」


「え?」とあかね

「ちゃんとお別れしないままになっちゃってるから。俺もお前も、真仁まさとの友達も、みんな。

 きっとみんな、それぞれ真仁まさととの大切な思い出がある。

 それを真仁まさとに、届けてやりたい」


 真仁まさとの死は、悲劇だ。

 しかし、真仁まさとの人生すべてが悲劇だったのではない。

 真仁まさとは、世間が彼に求める「ただかわいそうなだけの子」ではなかった。


 真仁まさとがみんなに遺してくれた想いと、

 真仁まさとが生きた証とちゃんと向き合えば、

 きっと、確かに存在した真仁まさとの幸せを確かめられるはずだ。


 それは、よみがえる真実によってもたらされた、自分達の使命であった。


「うん、やろう」あかねも賛同してくれた。

 どうしてか、彼女はとてもうれしそうだった。

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