1―13 なんで行かせたんだよ

 土曜日の晴れた昼下がり。

 浅野あさの一家は、東京とうきょう文化会館側から上野うえの公園に入る。広大な「さくら通り」は人であふれていた。


「ママ! マーマ!」

 他人にぶつからないよう気をつけながら散歩を始めて間もなく、真衣まいあかねに抱きついて抱っこをせがむ。と、それを合図にしたかのように、真仁まさとがリュックサックからヒーローと怪獣を出して戦わせ始めた。


「何してんの! 早く仕舞ってよ! 今はお散歩の時間でしょ!」

 混とんが繰り広げられるのを食い止めんとあかねが角を生やす。

 たかしにも、どうして息子がオモチャを取り出したのかわからなかった。しかも、子供は無秩序な行動をしている時ほど何故か頑固なもので、真仁まさとはしぶしぶ腰を上げて歩き出すもオモチャは手に持ったままだった。


「暑いなー、もう! 人も多いし!」娘を抱き上げた母までどうしようもないことをぼやく。

 マズい。が見境なく怒りをぶつけようとしている。

「今日はめっちゃ天気良いし、仕方ないっしょ。ほら――」危険を察した父は、タオルで妻の額を拭ってやろうとした。

 が片手で払われてしまった。なんだよ。


「やめて! 化粧、落ちる!」

「あ~、ごめんごめん」


 「折角、気を遣ってやったのに」と毒づくのは心の中だけにしておく。

 しかし「暑い」という意見には同意した。夏はまだ先だと言うのに、アイスでも食べたいぐらいだ。そして日が暮れる頃にはふと風が冷たく感じることもあるのだから、5月というのは難しい時期である。衣替えの意味でも、妻のヒステリック注意報の意味でも。


 その後も適宜、子供達に飲み物を与えながら池沿いの通りに差し掛かったところで、真衣まいがまた歩きたがった。自由気ままな子供は、地面に下ろしてもらうなり日差しを照り返す水面にくぎ付けとなる。興味があるようだ。

 いつの間にかその手はあかねががっちりつかんでいる。いつも散歩させているだけあって、走り出さないよう対策は万全だ。


 たかしがふと真仁まさとを見ると、彼はオモチャを上に放り投げて遊んでいた。隣にいるのにまったく気づかなかった。

 「危ないぞ」と注意すると、息子は「はーい」と返事はいい加減ながら素直にオモチャを仕舞った。それから何を思ったのか真衣まいへと歩み寄り、頭をなでる。妹は兄を見上げ、うれしそうに笑った。


「この池、泳げる?」また突拍子もないことを言い出す息子。

「泳げる訳ないでしょ! 水面はキラキラしてても、中は汚いんだから」半ば叱るように制する母。

 自由な子供も勢いに気圧されたのか「ちぇー」とあきらめた態度を取った。傍観していた父は胸をなで下ろす。面倒ごとにはならずに済んだ。


 子供達との散歩は楽しいが、次から次へと予期せぬ行動をするから疲れてしまう。

 休憩したくなったたかしは「トイレ行ってくる」と残してその場を後にする。あかねが「また?」と不満そうだったが気づかないことにした。


 「動物園通り」を南下した場所にあるトイレで用を足した後、すぐに戻ろうかと思ったが、交番に隣接する公衆喫煙所が目に入る。

 1本だけ――そんな自分への甘やかしで喫煙所へ立ち寄り、一服した。歩いて暑い思いをした分、日陰で浴びる風が涼しくて気持ち良い。屋外の喫煙も真冬と真夏は地獄のようだが、過ごしやすい時期は最高だ。


 たかしはしばらく初夏のオアシスを満喫した。

 更に欲に負けて2本目のタバコに手を掛けたが、いつの間にか人が増えてきている――しょうがない、戻ろう。これも家族サービスだ。


 後ろ髪引かれる思いで戻った彼は、しかしあかねのムスっとした顔に出迎えられた。

「あれ、真仁まさと見なかった?」


 掛けられた言葉も予想外のものだ。

「え? 見なかったよ」たかしは能天気に答える。「どっか行ったの?」


「ゲームしたいから一人で帰るって、そっちの方に歩いてった」

「ええ! なんで行かせたんだよ!」

「だって真衣まいがベビーカー乗ってくれないし、荷物一杯あって動けないし! そっちこそ、なんですぐ戻ってこないの!」


 あぁマズい。またヒスだ。ここで話していても仕方ない。

 タバコを吸っていたと言える訳もなく、たかしは逃げるように来た道を戻り始めた。


 周囲を見回しながら思考を巡らせる。

 喫煙所からここまでは道なりに進むだけだ。真仁まさとがこの道を通ったのであればすれ違うはずなのに、どうして?


 「連れ去り」という言葉が頭に浮かんだ。誰かに誘われてついて行ったりしていないだろうか。

 あかねも困った奴だ。こちらには子供の面倒についてギャーギャー言うクセに、自分もちゃんとできていないではないか。

 どうにかして息子を見つけなければならないが、どうしたものか――


 そうだ、交番に行ってみよう。喫煙所の隣にあった。

 迷子がいないか警察に聞いて、いなければ一緒に探してもらうのだ。

 1分ほど前に歩いた道を南へ、小走りで駆ける。


 やがて交番を間近に捉えた時、

 ドンドン。

 そんな音が空に響いた。花火?


 バン!

 大きな音。

 次いでクラクションが、

 それも数台分、同時に鳴り続けた。


 嫌な予感がした。

 交番から慌ただしく警察が飛び出して、音の発生源へ向かう。


 胸がざわつく。

 今一度、周囲に目をやる。

 見つけたい姿は、ここには、ない。


 、ないよな――。

 引き込まれるように、たかしも警察官に続いた。


 は、交番の先の交差点。

 火薬みたいな匂いの中、アスファルトに横たわる数名の人が。

 体が震える。事故があったのだと、嫌でも理解した。


 、あるはずがない――。

 歩きながら、騒然とした交差点を見渡す。


 と、倒れている子供を見つけた。

 見覚えのある服装。


 そんな――。

 立ち止まって、一瞬、動けなくなった。何故かはわからない。


 深呼吸してから、歩き出して、子供の許まで駆け寄った。近くに、知らない若者が3人。膝をついている。1人は携帯電話で通話し、残る2人は声を掛けていた。「大丈夫か! しっかりしろ!」と聞こえた。そこへたどり着くと、声を掛けている片方は涙を流して必死な様子で叫んでいるのがわかる。


 どうして。


 子供の顔が見える。苦しそうにきつく目をつぶっている。顔面は血まみれで、どこから出血しているのかわからない。

 それでも、その子供が誰なのか、あまりにもはっきりわかった。


 どうして。


 ひざまずいて、アスファルトに両手をつく。


真仁まさと


 若者の1人がこちらに何かしゃべったようだが、まったく聞き取れなかった。

 息子を凝視しても、息をしているのかわからない。


真仁まさと


 目を開けてくれ。声を出してくれ。


真仁まさと!」


 どうして。

 あんなに元気だったじゃないか。

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