1―12 価値観の違いだろう

 時は1週間前に遡る。

 その日は散歩にうってつけの晴天だった。普段は仕事で妻のあかねに育児を任せっきりにしている分、会社が休みの土日は家族サービスをしなければとたかしは考えていた。


 あかねが2歳の真衣まいと6歳の真仁まさとを着替えさせている間、自分は愛車のスペーシアの収納スペースにベビーカーを積む。ベビーカーの主な用途は真衣まいを乗せることではなく、徒歩移動の際に飲み物などの荷物を置いて運ぶことだ。


 最近、1語か2語のおしゃべりを始めた真衣まいは自分で歩きたがるようにもなったが、散歩をするとすぐに疲れて愚図るらしい。何はともあれ自分の足で歩こうとするのは良いことだと感心したら、あかねに「手を引いたり抱っこしなきゃいけないこっちの身にもなってよ」と怒られてしまった。

 幼稚園で暴れん坊だった真仁まさとは、小学校に入学して更にやんちゃになりつつあった。戦隊モノや怪獣の出る番組を観ている時はテレビの中のキャラクターと競うようにほえるし、オモチャや文具を持つとすぐに振り回して走り回ったりする。やがて電池が切れたようにスヤスヤ眠るのだが、その寝顔が反則的に可愛かった。


 あかねは見慣れてしまったのか「子供にはもううんざり」と言っていたが、「上司にはもううんざり」なたかしにとってはこの使こそがオアシスであった。

 既婚の同僚も似たようなことを言っていたから、きっと夫婦によくある価値観の違いだろう。


 そんな結論を出した頃に、あかねが子供達を連れて玄関から出てきた。

 先日ライトブラウンに染め直したばかりの髪が、陽光を受けてオレンジ色に近い色味になる。彼女は地毛がほのかに茶色っぽいため高校生の頃から明るい色に染めていた。

 これまで試した中でも、オレンジは彼女の明るさを際立たせるようでぴったりだとたかしは考えていた。思わず見とれてしまう。


 と、夫の視線をくぎ付けにする美人がしかめっ面をした。「ちょっと、終わったんなら早く運んでよ!」

「え? 何を?」

「自分のカバンとか飲み物のケースとか! 一杯あるでしょう! あ、真仁まさと! 自分のリュックは自分で背負しょって!」


 妻は既に怒りのボルテージが高まりつつあるようだ。

「あ~、ごめんごめん。今、運ぼうと思ってたんだよ」たかしは慌てて妻をなだめる。


 高校生で付き合い始めた頃から、彼女は機嫌を損ねると長引くタイプだった。子供を産んでからは、彼女の愚痴そのものが増えた気がする。こちらがのんびり寝ているぐらいのささいなことで怒ることもあった。

 屈託のない笑顔でよくしゃべるのが可愛いのに、膨れっ面で悪態をつくばかりになっては台無しだ。


 速やかに荷物の運搬を済ませると、たかしは運転席から3人とも乗車したのを確認してエンジンスイッチを押した。荒々しいエンジン音が幸せな休日の始まりを合図する。

 愛する妻が真衣まいを身籠もった頃に新車で購入したこの愛車は、今年で3年目。まだまだ現役だ。これからも子供達の成長を一緒に見守ってもらうぞ。


 父が「しゅっぱーつ!」と声を上げてアクセルを踏むと、後部座席の真仁まさとも「おー!」と続いた。その隣でチャイルドシートに座る真衣まいも真似をする。我が家のもにぎやかになったものだ。


 交通量の多い道路でも、みんなで歌いながらだと運転が楽しかった。

「ちょっとコンビニ寄ろう、トイレ行きたい」

「といれ? ここにあるの?」

「そう。あのマーク見えるか? あのマークがあるお店にだけ、トイレがあるんだよ」

「おやつ、かう?」

 出た。コンビニに寄ると必ずお菓子をねだられるのも恒例だ。


 安全運転に努めながら自宅から上野うえの駅まで北上し、上野うえの公園東のパーキングセンターに駐車した。あかね真衣まいをベビーカーに乗せようとしたが真衣まいは頑なに徒歩を選んだため、たかしがベビーカーに荷物を積んで押すことにした。


「これも!」真仁まさとがベビーカーにリュックサックを投げ入れる。

「自分で持って来たんでしょ! 自分で持ちなさい!」あかねが怒る。


「まあまあ、いいじゃん」たかしは言いながら荷物を積み直した。少し神経質ではないか。


真仁まさと、今日は何を入れてんだ? ドンモモタロウいるか?」

「いるよ! あとガイアとゴジラも!」


 真仁まさとはリュックサックにオモチャを一杯詰めていた。ヒーローに怪獣に宝箱、たまに絵を描くので自由帳も入れていつも持ち歩いていた。彼が何かを好きになる度、このリュックサックは重くなってきたのだ。

 ゲームも好きだが「携帯ゲームにハマると体を動かさなくなりそうだ」と考えて買っていないため、家であかねがやるリングフィットやテレビゲームしか選択肢はない。その代わりのようにフィギュアで遊ぶことが多く、たかしの実家へ行った時は、他界した父 寛太かんたのコレクションを触ったり壊したりもして肝を冷やしたことがある。


「お父さんと手をつないで!」

 今にも真仁まさとが公園に駆け出そうとしたところであかねが注意する。

 真仁まさとは素直に従い、ジャンプしながらこちらへ寄って手に――ではなく腰に絡み付いてきた。


「そんな引っ付かなくていいだろ」たかしは笑いながら、親譲りの天然パーマの頭をなでる。髪色はたかしと同じ黒だ。

 真仁まさともうれしそうに笑う。安全か危険か自分で考えて、本当に危ないことはやらないぐらいの判断はできる子だった。

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