1―9 彼は、何者なのだろうか

 母と無難な会話を済ましてから、美佳みかは菓子の入っている棚から好きな味のキャンディーを選んで1つ取り、自室に向かった。場所は家の2階で、兄の部屋の隣である。


 ドアを閉めて自分1人の空間を確保すると、早速宿題に取り掛かる――のではなく、ベッド脇のハンガーラックに向かった。

 ハンガーに掛けたスカートのポケットから、そこに入れたままにしていた名刺を取り出す。


 霊感探偵 芳川よしかわ 亮輔りょうすけ

 彼は、何者なのだろうか。

 は、何だったのだろうか。


 考えれば考えるほど謎は深まる。

 中学生は、駆られるように勉強机のノートパソコンを開けて電源を入れた。

 気になったことは、とりあえずネット検索だ。イスに座ると、のんびりとした起動を待つ。


 このノートパソコンは、中学校へ進学時に「勉強に使え」と父親から「お古」をもらった物である。パソコンよりもスマートフォンが欲しかったが、3年前、当時中学生の兄が欲しがったのを父が「まだ早い、高校生になってからだ」と却下していたのを知っているから我慢した。


 しかしその一方で、に安心しているところもあるのを美佳みかは自覚している。友人がスマートフォンを落として画面が割れてしまったのを目撃して「これを持ったら、自分も間違いなくやってしまう」と思ったのだ。

 小学1年生の時だっただろうか、兄が父から譲り受けたというゲームボーイを持たせてもらった時に重くて落としてしまい「セーブが飛んだ!」と兄を大泣きさせたこともある。


 きっと自分と手のひらサイズの機械とは相性が悪いのだ。

 よくわからないが、スマートフォンは位置情報も記録できるらしい。野良猫と遊んだ時もバレてしまいそうだ。とても危ない。


 苦い思い出が顔を出した頃にパソコンのデスクトップが表示された。

 パスを滞りなく入力してログインするとインターネットにつなぎ、検索をかける。


 “上野” “後藤探偵事務所”


 ヒットした。名刺にはホームページアドレスが書かれていなかったため駄目元だったが、探偵事務所のホームページはあるようだ。アクセスすると、住所も名刺と同じであることが確認できた。

 芳川よしかわの所属している探偵事務所で間違いない。


 しかし情報はそこまでだった。

 公開されているのは「4つの分野のエキスパートが地域と企業の問題を解決します」といううたい文句と幾つかの事例だけで、従業員の詳細情報はない。


 背もたれに体を預けてつぶやく。「当たり前か」

 霊感探偵という怪しい肩書きで広告するはずがない。


 天井のこうこうとした電灯に、名刺をかざす。

 結局、手元にある彼のことはこれだけだ。


 霊感と冠しているのはどういう意図からだろうか。

 霊が関わること専門? 呪いとか悪夢とか?

 いや、今回の依頼はパスワード解読であったし、中身はUSBだと言っていた――しまった、宝箱を開けた際に自分でも中を確かめておけば良かったか――いやいや、大切な物かも知れないのだから、好奇心でのぞいてはいけない。


 ゴチャゴチャし始めた思考を公園での出来事に引き戻す。

 我に返った後の彼は、何かを隠しているようだった。


 夜に自分と再会するまでの間、芳川よしかわは何をしていたのだろうか。

 ずっと宝箱の解錠をしていた訳ではないはずだ。彼がベンチに座り宝箱を出してから、こちらが塾へ行って戻るまでは3時間以上あった。思いつく語呂合わせを一通り試した上で総当たりもある程度進められそうな時間だろう。しかし、実際には解錠の進捗はほとんどない様子だった。彼は別のことをしていたものと考えられる。


 箱を開けた後の「霊視」も謎だ。当時は動揺のあまり気づかなかったが、USBを見つければ解決ではなかったのか。どうして、霊視が必要なのだ。

 わからないことが多過ぎる。


 ただ、こちらのあずかり知らない事柄に思いをはせ、使命感に導かれるように歩き去るその歩みは、強く頼もしいものに思えた。

 少なくとも、「あの時」のような恐怖や不安は――


 美佳みかは大きくため息をつき、吐き出した。


 とにもかくにも、探偵の問題は解決したようだった。一役買えたのなら何よりだ。

 「ぜんぶ説明する」と約束してもらえたのだから、今は置いておこう。


 強引に結論を出すと、気分転換に、台所から持ってきたキャンディーを口に含んだ。

 いちごミルク味の甘さに頬を緩ませながら、マウスを操作しブラウザを閉じる。


 塾の宿題をしよう。明日は土曜日。午前中は部活動で、夕方には塾へ行く。

 宿題を終わらせておけば、午後に猫探しリベンジの時間が取れる。


 一度イスから立ち上がり、ベッドに置いてあるクッションを手に取った。猫の顔の形をしたデザインで、大きくて柔らかい点も抱き締めるのに最適である。

 美佳みかは再びイスに座ると、勉強の際はいつもそうするように、あぐらをかいてクッションを膝に載せた。


 探偵に「猫好き」であることを言い当てられたが、自意識としては「好き」どころではない。

 自分にとって、猫は、日なたのような幸せも、闇の底のような苦しみも詰め込んだ、かけがえのない存在だった。

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