第12話 令嬢たちから支持を受ける「武勇夫人」


 辺境騎士団駐屯所、療養区画。


 辺境伯邸の敷地内に建つその場所は、外観内装ともに余計な装飾が無く落ち着いた佇まいとなっている。室内に踏み入れば、消毒薬の匂いが漂い、簡素なベッドがいくつも並ぶ。療養中の傷病兵が横たわるその間を、のしのしと歩き回るのは、つい1週間前に労働権を勝ち取ったエリーゼだ。衛生兵の制服色に近いダークグレーのエプロンドレスに生成りのシャツを纏っている。


「包帯の交換をしますね。……うん、傷の化膿は無さそう。今日から少しづつ動いてみましょうか。動いた方が傷も早くくっつきますから」


 エリーゼが、数日前にキズの縫合を済ませた傷病騎士をコロコロと転がしながら、全身の傷を診て行く。


 女性の柔らかな腕でありながらも筋肉質で大柄な患者たちを手早く移動させ、持ち上げて治療する姿はこの療養区画で一際異質な存在感を放つ。ただそれは白衣の天使とか神々しいものではなく――


「どっしり安定感がありつつも、まん丸ぷくぷくで、あちこちモタモタ動き回るのが、子熊かアメフクラガエルみたいで癒されるなぁー」


 療養中の騎士が、エリーゼに視線を向けてへにゃりとほほ笑む。そう、エリーゼは「愛玩枠」の別生物扱いなのだ。




 ただ、それは騎士とエリーゼの共通認識と言うだけで、世間一般のものではない。


 騎士団は女性の登用を避けている訳ではないが、体力と危険度の高さから女性の比率が著しく低い。男所帯と言ってもいいほどの環境なのだ。よって、特に接触度の高い療養区画では、あらぬ事件・事故を心配して女性を雇って来なかった。


 なのにここへ来ていきなり、他領から追放されて来た貴族令嬢が働き出したと噂を聞きつけ、心穏やかでいられなくなった者が騒ぎ出した。


「なんでも、傷の痛みを忘れさせてくれるとか」

「嫌だわ、いやらしい! 一体ナニをしているのでしょう」

「治療を口実に騎士の方々と言葉を交わしたり、触れたり出来るなんてずるいですわ!」

「ぽっと出のよそ者が、私たちがずっとお慕いしている、見目麗しく逞しい殿方の集まりに入っていけるだなんて羨ま……ゆるせませんわよね!!」


 婚約者の居ない令嬢らが、エリーゼの雇用に不満を募らせていたのだ。


 もともと小競り合いの絶えない土地柄、血気盛んで猛々しい気性の者が多いのもあった。そんな彼女らが、不満と嫉妬を募らせて、ついに行動を起こした。


「あれ?」


 療養区画の片隅で、薬布に軟膏を塗る手をピタリと止めたエリーゼが、戸口へ目を凝らす。


「どうした? 奥方」

「今、影がフワリと動いた気がしたんですが」

「怪談かよ!?」


 不審げな視線を送るエリーゼに逸早く気付いて、近付いて来たのは隻眼の衛生兵長だ。どこか寒そうに両腕を摩ったところを目敏く見つけた、年若い衛生兵がニヨニヨしながら近寄って来る。


「あれ? 兵長怖いんですか?」

「んなわけあるかい! もし現れるとしてもここに出るなら殉死した俺たちの同胞だ。怖がる要素なんて毛ほども――」


「あ! 女性だわ!」

「「ひぃっ」」


 言い合いが始まりかけたところで、勢いよく立ち上がったエリーゼに対し、衛生兵長と年若い衛生兵が揃って悲鳴を上げる。


「待ちなさいよっ!」

「きゃぁっ」


 弾丸の様に、影の見えた廊下へ飛び出したエリーゼが取り押さえたのは、質の良い明るいピンクのワンピースを来た、年若い令嬢だった。治療と葬麗人の仕事で鍛えられた筋力で、令嬢の華奢な肩を掴んだ彼女のもとに、遅れて悲鳴を上げていた同僚が「やれやれ」とのんびりやって来る。


「なによ! 貴女ばっかりずるいじゃない! 私たちだってここへ入りたいのに、何度も断られたのよ!? 」


 わめく令嬢の回りに「なんだなんだ」と、衛生兵や、動ける患者らが集まってくる。


「なのにポット出の、犯罪者の奉仕活動だけが許されるなんてずるいわ!! 身の程をわきまえなさいよ」

「分かっているじゃない。わたしは貴族の殺人容疑をかけられて、いろんな方の温情で生かされているの。価値がないなら、いつ絶たれてもおかしくない命よ。身の程をわきまえて、価値を示しているだけ」


 当然のことを答えたまでだったのだが、令嬢は初めてエリーゼの追い詰められた境遇に気付いたとばかりにぎょっと目を見開く。


(そういえば最初わたしも兵長たちに「誰かのファン」って言われたものね。良くある事なのかしら)


 取り押さえられたことで開き直ったのか、逃げる素振りも見せなくなった令嬢の身体から手を放す。ざわつく周囲に目を向ければ、いつの間にか大勢の騎士らが集まっている。


(一人じゃ何もできないような庇護欲をそそるご令嬢にみんな浮き足立っちゃって……んん? ひとり――なの?)


 引っ掛かる物を感じて首を巡らせるが、見えるのは押し寄せた女子に飢えるむさ苦しい顔ばかりだ。この場の責任者である衛生兵長が側に寄って来たのに気付いたエリーゼは、そっとその場を離れた。





 人垣の中では、野次馬の多さに恥ずかしくなったのか、頬を染めた令嬢が強気に胸を逸らせている。


「騎士の……鍛練の見学は許されているのよ! 私たちは何も悪いことはしていないわっ」

「けど施設内の自由行動は許しちゃいないぜ? ここには危険な物も置いてあって」


 開き直り始めた令嬢に、隻眼の衛生兵長が眉間にしわを寄せつつ、重々しく言葉を続けようとしたところで―――


「キャ――――――――――ッ!」


 離れた所から響き渡った女性の悲鳴に、皆が周囲を見渡す。が、十重二十重にと集まった野次馬で、声の発生源を探すことは出来ない。


「あんた、まさか他に連れがいたのか!?」

「おっ……お友達が一緒に……」


 今の騒ぎで、療養区画の監視担当までもが野次馬になっていたらしい。つまり施設奥に侵入が可能な状態になっていたのだ。


「ちっ、まさか武器庫とか、訓練用の野獣を飼ってる場所に入り込んだりしてねぇだろうな!?」


 衛生兵長の呟きは、しっかりフラグとなっていたらしい。


 逸早く令嬢の連れの存在に気付いたエリーゼが、声の場所に駆けつけると先程の令嬢と年の頃が変わらぬ2人の令嬢が、あわあわと戦慄きながら、尻餅をついているところに出くわした。


 2人の前には「ぅみゃぁ」と鳴く子熊。


 その背後には扉の開いた檻が有り、更に奥の暗がりには大きな黒い影が佇む。


 大柄なエリーゼや、もっと大きな騎士たちよりも更に大きな影は、成獣の熊だ。令嬢の手には、扉の鍵が握られており、愚かにも彼女の手でこの状況が作り出されたことを物語っていた。成獣は、隙を伺うかのように、令嬢らを見詰めながらゆっくりと進んで来る。


(奥が見えなくって、扉を開けたってこと!? 騎士団にただの愛玩動物なんて居るわけ無いじゃない! じゃなきゃ、わたしに癒されるなんて言うわけ無いじゃない!)


 心の中で文句を吐きながらも、どうすれば目の前の2人が救えるのか考えを巡らせる。――が


「たっ……助けて!」


 成獣を刺激しない様、慎重に近付いていたエリーゼに気付いた令嬢の一人が、叫びを上げて駆け寄ろうとする。その動きに弾かれた様に、飛び出してくる大熊。


「逃げなさい!」


 エリーゼは、こちらに向かってくる令嬢に鋭く叫ぶと、尻餅をついたままで動けないもう一人の首根っこを掴んで、思い切り自分の背後へ放り投げる。


 すると当然、突進する成獣の目の前に立つのはエリーゼとなり――


(こんな形で終わるなんて―――)


 悔しさで胸を締め付けられながら、襲い来る死への恐怖で目を固く瞑る。


 ごっ

「ぐぉぉ!」

 どぅ

 ごっ


 獣の咆哮と、連続する鈍い音が耳に入る。





(――痛く――――ない?)


 ややあって、音連れた静寂に、そろりと顔を上げる。


 目に入ったのは、抜身の剣を手に、エリーゼに背を向けたバレント。


 横たわった大熊と、剣だけでなく槍や、大木槌など取る物も取り敢えず手にした武器を持った何人もの騎士。


「たすかっ……」


 安堵のあまり言葉が漏れるけれど、思うよりずっと震える弱々しい声しか出ず――


「何で命を粗末にするような真似をした!」


 こちらの反応に気付いたバレントが、眉を吊り上げた恐ろしい形相で怒鳴りつけて来た。お陰でエリーゼも、血の気の失せていた頭に、どんどん血が上って来る。


「守ったのよ! 文句を言われる筋合いはないわ! 彼女らはあなたの大切な領民だし、恩の有るこの場所で事故を起こすわけにはいきませんから! 犯罪者のわたしが原因で、善良な市民が傷つくなんて駄目でしょう!?」

「貴女の命だって粗末にしていいものではない!! 命を大切にしろ!」

「誰よりも分かってるつもりよ!!」


 互いに命の尊さを解きながら、ぎゃいぎゃい騒ぐ次期領主夫妻。一見険悪でありながらも、「命の尊さ」を主張する点は共通している2人に、居合わせた辺境騎士らは苦笑を浮かべる。重症者も無く、この場の騒動は終息を迎えようとしていた。


「なんだかんだ言いながら、価値観の近い、よく似た頑固者同志ってことだな」


 死神との蔑称にも反応を示さない厭世的な団長が、人間らしく大声を張り上げる姿。珍しい光景に微笑ましさを感じた衛生兵長は、そっと片方だけの目を細めたのだった。




 この騒ぎ以降、騎士団屯所の侵入騒ぎを起こした令嬢らを救った、エリーゼの話が街に広がった。「熊にも対抗できる巨体の夫人」「辺境騎士に先んじて令嬢を救った戦闘力」「令嬢2人を放り投げた怪力の持ち主」などの尾ひれを伴って。


 おおよそ令嬢への誉め言葉とは取れない内容だったが、領民の間では好意をもって囁かれていた。


領主館から出ることを許されない、エリーゼの耳に届くことは無かったけれど。

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