第13話 毒草に噛り付く「ふつつか者」


 エリーゼが、辺境騎士団屯所の療養区画で、嬉々として働く様になってひと月が経った。


 バレントは、日課の鍛練を早朝に済ませ、一人で使うには大きすぎる朝食室のテーブルに着いている。使用人らが手慣れた様子で一人分の料理を運ぶ中、彼は向かいの空席へ視線を移した。


 エリーゼと共にこの領主館に暮らすようになってからと云うもの、それまで家族が集まっていた食事は父母の「急な婚姻だったのだから、まずは日常生活を通して交流を図りなさい」との言葉によって、自分とエリーゼの二人で摂ることになっていた。父母こと現ミシェル辺境伯夫妻は、新婚夫婦の邪魔をする気は無いし、余計な気遣いをさせたく無い――との建前を理由に、何十年か振りの夫婦水入らずを愉しんでいる。


「私のことを恨んでいるのだろうな」


 ポツリと呟くバレントが思い浮かべるのは、傷病騎士を看て生き生きと働くエリーゼの姿だ。


 彼女からの拒絶の言葉により植え付けられた些細な落胆――そんなものより今では、エリーゼの見事な治療の腕への感嘆が勝り、さらに部下や領民の命を救うため形振り構わぬ献身を尽くす姿に朧げな好意すら覚えていた。けれど、話せば何故か言い争いになってしまう。だから、迂闊に話し掛けることも出来ないが、その事実にもどかしさを感じてもいる。


 バレントの言葉に含まれる悔恨を素早く捉えたのは、屋敷では常に傍に控え、幼い頃から面倒を見てくれている壮年の執事だ。


「ならば歩み寄ってみられては如何です?」

「みっともないが……まぁ今更か。女性を傷つけて無視を決め込む方が余程タチが悪いな。―――よし、決めた。彼女を朝食に誘って来よう」


 食事には手を付けずに立ち上がったバレントに、執事が問う視線を投げかける。受けたバレントは照れ臭そうに「今更だろうか」と苦笑を浮かべると、執事は言いにくそうに口を開いた。


「いいえ、その……奥様は、すでに朝食を済ませておいでです」

「は? こんな早朝にか? 今日は特別に何か用でもあったのか!?」

「いいえ。いつもバレント様より早い時間で済ませておいでなのです。早い時間に速く食べ終えられてしまうのです」


 怒涛の食事風景を見たことの有る執事は、つい遠い目になりそうなのを、長年の経験値で堪えてみせる――と、その時、廊下から慌ただしい声が響いて来た。


「旦那様! 奥様がっ!!」


 使用人のひとりが朝食の場に飛び込んで来た。只事ではない慌てように、給仕をするメイドが落ち着かない素振りを見せるなか、バレントはチラリと視線だけを執事に向ける。


「何事ですか? あまりに無作法な振る舞いは使用人と言えど許されませんよ」


 執事の冷静な言葉も想定内だったのか、驚く様子もなく使用人の男は息切れしながら言葉を続ける。


「いえっ……、て、手遅れになっては、旦那様に危険が及んでは大変だっ……と、無作法は承知でっ、慌てて参りましたっ」


 只事ではない話しぶりに、何があったと視線を動かせば、執事が男に話の先を促す。


「奥様が怪しげな薬草を手に! 今も裏庭でひっそりと!! おっ……恐れながら、旦那様のお命を狙うものだったらと!!!」

「ほう……?」


 冷え冷えとする声がバレントの口から漏れ、スッと立ち上がる。どうやらすぐに向かうつもりらしい。バレントの意図をすぐさま察した執事が、男から場所を聞き出し、室内に控えていた騎士に男の身柄を預けると、2人は廊下の先へと進んだ。





「これはどういう事だ……」


 バレントの低い声がひっそりと響く。


 場所は、領主館が誇る緑豊かな庭園の一角。てっきりミシェル家に輿入れしたことに浮かれたエリーゼが、有力者を集めての茶会を開くものだとばかり思っていた「庭園の一部使用許可願い」は、意外な形で実行されていた。


「どうって。畑を作っているんです」


 キョトンと目を瞬かせて答えたエリーゼは、侍女よりも簡素で、薄汚れたワンピースを纏い、顔に泥を付けて鍬を力強く振るっている。共に居たミルマは気まずげにむぐぐと口元を引き結んで、バレントから目を逸らす。


「耕しているのは見れば分かる。確かに使用許可が出された上でなのも、分かっている」

「あ! もしかすると拡張にはもう一度許可が必要でしたか!?」


 はっとした様子で声を上げたエリーゼに、今度はバレントが目を瞬かせる。バレントが聞きたかったのは、貴族女性であるエリーゼ自らが、何故邸内で本格的に農耕を行っているかと云うことで、許可云々ではない。その様子に、付き従っている執事や側近の騎士、そしてエリーゼの側のミルマらは、2人のすれ違いに気付いて無言で肩を震わせる。


「拡張」の一言が気になったバレントが、彼女の足元へ視線を遣れば、確かに既に小さく見慣れない葉を茂らせたうねが幾つも在る傍に、芝生を剥がし、真新しく掘り起こされた土が積み上げられている。彼女の言う拡張部分なのだろう。


「この葉は何だ? 一部で毒などと不安を訴える者も居るが」

「へぇ、凄いですね。これが毒にもなるって知ってるなんて! けどこれはわたしのおやつ用と云うか、馴染んだ料理ソウルフードを作るためのものなんです」


 照れくさそうに笑うエリーゼは、土を払っただけの、その「毒草」にパクリと噛り付く。


「んなっ!?」

「奥様!?」


 すわ証拠隠滅か!? と、一瞬疑念が頭をもたげたが、その屈託のない表情と、これまでの騎士団への献身が彼女への疑念を即座に白く塗り返す。


「くはっ! この苦みとえぐみが堪りません。お屋敷ではおいしいお食事を毎日いただけて、本当に感謝してるんです。ただその……望郷と言いますか、馴染んだ料理ソウルフードがどうしても欲しくなってしまい、自分で材料から作っちゃうことにしたんです」


 けろりと話すエリーゼには、悪意の欠片も見えない。


「そうか……私は貴女と共に食事を摂ったことも無いから余計に気付かなかったのだな。馴染んだ料理ソウルフードか……そうだな、慣れない環境では望郷の想いが強くなって然るべきかもしれんな。こちらの気遣いが足りなかったようだ」


 口ごもるバレントに騎士がぎょっと目を剥き、執事が苦笑し、ミルマは満足げに口角を上げる。さらに畳みかけるように執事が「奥様はいつもバレント様のお言いつけ通り、誰の眼にも止まらぬよう、たったお一人、静かに、とんでもない速さでお召し上がりです」と言ってバレントの罪悪感を刺激すれば、騎士等が「この前は俺たちのちょっとした怪我にもすぐに気付いてくださって、休憩も取らず、皆の診察を続けてくださったんです」「俺達には何もお返しできないのに、癒すことは使命だって仰るんです」「団長は愛情にあふれた素敵な奥方を娶られて、幸せですね」などと更に追撃をかける。


 聞いているバレントは、平然とした表情ではあるものの顔色が先程と比べて格段に青白くなっている。


「ならば――食事を…………、――――共に摂って、みるか?」


 誘いの言葉とはとても思えない、絞り出された、途切れ途切れの声が意味する内容を、しっかりと捕えたエリーゼは、小さな目をこれでもかと見開き、照れくさそうに眉を寄せるバレントに満開の笑みを向ける。


(良かった! 恩人でもある旦那様との関係がちょっぴり改善したわ!!)


 心の中で快哉を叫びながら、エリーゼは泥にまみれた全身を手早くはたき、バレントに微笑を向ける。


「ふつつか者ですが、宜しくお願いいたします」

「あぁ……。何も気にすることは無いぞ」


 お前はちょっとは気にしろよ―――と2人以外が心の中で叫んだのは、秘密だ。


 とにかく、こうして屋敷到着からひと月を経てようやく、はじめての夫婦2人揃っての食事が計画されたのだった。

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