第10話 ああ言えばこう言う「頑固な奥様」


 バレント・ミシェル。



 ミシェル辺境伯の嫡男で、いつもは隣国マイセルに接する自領トルネドロスの辺境騎士団を、団長として率いる。日々小競り合いの場に自ら先陣を切って飛び込み、獅子奮迅の働きを見せる剛の者。


 隣国からは死神として恐れられ、一度戦場に立てば何人もの敵を屠り、死者を両手にぶら下げて彼の地を闊歩する。それゆえ『死神騎士』と評される二つ名は国内外で知らない者はいない。




 ――王都からの帰郷翌日。



 ギィィ―――ン



 耳障りな金属音が響いて、刃を潰したロングソードが宙を舞う。


「そんなものか! 剣を放すな。剣はお前の命を繋ぐ唯一と心得よ! ここを戦場だと思え。貴族らしいお綺麗な剣技だけでは生き残ることなど出来んぞ!!」

「はいっ」

「次っ!」

「はいっ」


 久々に王都から帰還したバレントと騎士らの手合わせが続く鍛練場に、剣を交え、地面を蹴り、または容赦ない力で身体を殴打する音が響く。圧倒的な力の差で打ち据えられても、手合わせを望む者は多い。


「早く参りましょう! ミシェル様が訓練に夢中な今のうちに既成事実を作ってしまうのです!!」

「奥様ぁ~!?」


 鍛練場の見える辺境騎士団駐屯棟と領主館とを繋ぐ渡り廊下。そこを、次期辺境伯夫人の威厳を微塵も感じさせない、中腰駆け足でバタバタのしのし突き進むエリーゼ。どうやら彼女は、窓から見える鍛練場に居るバレントから、姿を隠しているつもりらしい。背後から困惑しきりな様子で付いて行くミルマが、同じように中腰で後を追う。


 目的地は辺境騎士団駐屯棟の療養区画。そこには、日々小競り合いを繰り返す隣国マイセルとの戦いで、前線では治癒不可能な怪我を負った騎士らが、治療と静養のために集められている。


「辺境騎士団への雑役服役命令書にサインされたなら堂々と行かれても問題ないかと思いますよぉ」

「だって恩人であるミシェル様に度重なる失言を繰り返したんだもの、こっそりとお役に立って挽回したいじゃない!? それに嫌われちゃってるだろうから、お仕事をなさっている騎士団にわたしが行くのを嫌がられるかもしれないし」


 中腰でひそひそ、ボソボソ言っている、騎士でない2人が目立たない訳はない。


「何だ!? お前たちは」

「あーまた誰かのファンが紛れ込んできたんじゃないっすかぁ?」

「いや、この2人は―――ぽっちゃ……大柄なご令嬢の追放の話は、この辺境まで響いているし、その後ろの侍女には見覚えがあるぞ」


 すぐに、付近の部屋から出て来た辺境騎士団駐屯棟の衛生兵を表わす制服をまとった男2人に、呆れた様子で止められてしまった。


「ミルマ? 騎士から侍女に職務を移ったと聞いているが、奥様をどこへお連れしようと言うんだ」


 仁王立ちで中腰の2人の前に立ちはだかった衛生兵の男が、どう見てもエリーゼの後ろにしぶしぶ従っているミルマに鋭い視線を向けながら問い掛ける。ミルマはそうなることが分かっていたかのように、落ち着いた様子でひとつ溜息をついてエリーゼの前に立った。


「奥様を、この先の療養区画のお部屋へお連れするところです。王都へ出るときに正式な命令書が発行されておりましたから、衛生部のお手伝いをしていただくつもりでご案内しております」

「聞いとらんぞ」

「ならば、慌ただしい帰還直後で連絡がスムーズに行われていないのでしょう。とにかく命令ですのでやらせていただきますね」


 澄ました様子で答えるミルマだが、命令されたのは雑役であって衛生部門の手伝いと限定している訳ではないから、男が知らなくとも無理はない。ミルマなりに、咄嗟にエリーゼのフォローをしてくれたらしい。強引なやり取りにヒヤヒヤするが、ここで引くわけにはいかないエリーゼも、剣呑な雰囲気を放つ男らに強い意志の光を宿した瞳を向ける。


(バレント様への無礼な発言の数々による悪印象を払拭するためにも、ここで引くわけにはいかないわ! わたしの得意分野で、お世話になるこの領地に貢献させて欲しいのよ――)


 ふと、目が合った男は、隻眼だった。更によく見れば片腕は肘から下が無い。隣に立つ男は、片足が義足の様だった。僅かに目を見張ったエリーゼだったが、すぐに平静を取り戻して静かに口を開く。


「わたしは除籍されはしましたが、王都の治癒の要であるフォンタール子爵家の長女、エリーゼです。追放された身ではありますが、この年まで脇目も振らずに勤め上げた治療の技を使わせていただきたくここへ参りました」


 エリーゼは、死者を装う「葬麗人」であると共に、王族や貴族の治癒に力を奮う神官・聖女かぞくが手を差し伸べられない、下級貴族や平民の怪我人や病人に対しての治療にあたっていた。不思議の力を使えなくとも、病人には薬を煎じて与え、骨折には添え木を当て、擦り傷は綺麗に洗い、切り傷はしっかりと傷口を合わせて包帯を巻くことが出来る。彼女はそうやって家族の仕事を助け、民衆に貢献して来た。だが、そんなことは王都の王都中央神殿の治癒院に掛かったことの有る者にしか分からない。この辺境の地では、無名に等しい。


「素人の護られてきたお嬢さんに入っていただいても、我々の荒っぽいやり方に馴染まずに、治療に支障を来たすだけだ。何かやりたいのかもしれんが、ここは俺たちの同胞の命のかかわる場所だから、評判を得るために利用するのは遠慮してくれ」


 隻眼の男が素っ気なく告げる。けれどエリーゼも、ここですごすごと引き下がる気は無い。


「わたしは評判の為だけにここに来ているわけではありません。命の関わる場は一刻を争うから、荒っぽくなるのは理解しています。何よりわたしには、朝晩問わず訪れる王都の患者たちを診て来た実績があります」

「治療の激務を熟してきたなら、そのだらけきった体型はどう説明するんだ。口では何とでも言えるが、その見た目が如実に実情を物語ってるんじゃないのか?」

「体型はわたしの研究成果『特製料理スペシャルエナジードリンク』の効果を物語るものです。見た目通りのパワーが持続できますわ」

「そんなモノの話なんて、聞いたことも無いぞ!?」

「わたしの秘伝レシピですもの」


 フォンタールの者は皆、激務に追われているにも拘らず、ぽっちゃりしている。2ケ月の旅程で随分肉が減った気のするエリーゼだが、それでも世間一般と比べれば「ぽっちゃり」の部類に入る。理由は、激務に伴う不規則な食生活と早食い、それにエネルギー重視で流し込んで来た特製料理スペシャルエナジードリンクの影響も大きいのだ。忙しければ痩せる訳ではない。


 エリーゼは、今日からの衛生部での治療業務に加わると共に、件の特製料理用の薬草も育てようと考えている。そのために、昨日のうちにミルマを通じて、邸内の庭園を一部使用する許可を得ている。――バレントからは、茶会のための申請だと思われていることには、この時のエリーゼは気付いていない。


「ああ言えばこう言う、頑固な奥様だな」


 大柄な衛生兵2人を前に、ひるむ素振りも見せないエリーゼに、隻眼の男は鼻の頭に皺を寄せて、低く唸る。膠着状態が続くかと思われたその時―――


「怪我人だ! 巡回中の奴らがやられた!! 衛生兵は受け入れの準備を整えろ!!!」


 切羽詰まった男の叫び声と、バタバタと云う足音が響くと共に、血なまぐさい匂いが漂って来た。

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