第9話 茶会を開く「呑気な新米妻」


 エリーゼを連れた王都からの一行が帰還した日の夜。


 執務を終えたミシェル辺境伯の私室にバレントの姿は在った。数ヵ月ぶりに会う父親は、黒髪黒目のバレントと同じ色彩で、王国の盾と呼ばれるに相応しい厳めしい風貌をしている。面差しは似ているものの、しなやかで強靭な体躯をしている若いバレントが、女性的にさえ見えるのと比べると、全く以て印象は異なる。


「父上、本日王都より無事の任を果たし、帰還いたしました」

「あぁ、ご苦労だったな。早速で悪いが今後の方針を纏める必要がある。王都の影の舵取り役である我が弟の計画通り、首尾よくお前を動かせたのは重畳だった。とは言え、今回は奴等の動きが早すぎる。こちらも悠長に構えている間はないからな」

「そのように仰々しく言われなくとも……いえ、それはいつものことですから良いのです。それよりもボニファス叔父上も父上も、私に詳細を告げぬまま巻き込むのは止めていただきたい」


 急く言い方をする割には、茶化した物言いをするほど余裕のある父親に、バレントが呆れた視線を送りつつ細やかな苦情を訴えれば、片眉を吊り上げたおどけた表情が帰って来る。


 今回の夜会参加と護送任務から結婚までの流れは、事前に王国の盾であるミシェル辺境伯と、彼の弟であり、王都貴族裁判院の裁判長であるボニファスによって計画されたものだ。バレントは、父からただ「王都へ行け」と命じられていつの間にかくだんの令嬢と最も関わる立場に祀り上げられてしまったのだ。しかも自身の婚姻までもが計画のうちだと知ったのは、裁判所で渡された膨大な書類の中に、素知らぬ顔で紛れ込まされた婚姻承諾書を見た時だ。あの時ばかりはもう少しで、秘密裏な計画に関わっていることを自覚しつつも、叔父に向かって大声を上げるところだった。


「しかも、叔父上ときたらその場で『何も知らぬご令嬢だ、重々計らってお連れしなさい』などと解りにくい言葉を使って指示を重ねるし。本人にも悟られぬよう、護送の体を装いつつ丁重に遇せってことでしょう!? その上に、今回の刺客の多さ……!! 何も知らぬフォンタール嬢は、彼女でしかあり得ない行動を取るから隠密で動くことも叶わないのですよ!?」

「刺客に狙われている自覚が無いなら、普段通りの行動も仕方有るまい。そのためのお前達だ。護りきれると信じておったぞ。しかもその行動のお陰で、かのご令嬢が裁判所の下した刑罰の通り、追放地であるトルネドロスに到着したと王都の連中にも知らしめることが出来た。こちらの思惑通りだ」


 軽口が交わされるものの、ミシェル辺境伯やボニファスとて、今回の混乱の全てを予見していたわけではない。ただ、最近の隣国マイセルの不穏な動きに、かの国の出身であるガマーノ伯爵が関わっていると云う噂を掴み、更にその国から何人かの暗殺者や傭兵が送り込まれたと云う情報を掴んでいただけだ。まさか最も警戒すべきと考えていたガマーノ伯爵が殺されるとは思わなかったし、もっと想定外だったのは国で守るべきフォンタール家の娘を、どこぞの有力者が罪人にことだった。


 そんな予想外が重なったことにより、バレントは慌ただしく追い立てられるように――いや、事実、裁判長である叔父ボニファスに慌てさせられていたのだが――王都を出立する直前に膨大な書類に紛れ込まされていた暗号でその内容を知り、驚愕する間もなく行動させられたのだった。


『エリーゼ・フォンタールの嫌疑に隣国マイセルと本国公爵家の共謀あり』


 複雑に組み上げられた文脈に隠した文字列は簡素な一文だけだったが、無実の彼女を救えと云う叔父の考えと、王国内の敵対勢力の脅威が迫っている事だけは理解できた。


「私を毛嫌いしているフォンタール嬢と、私の婚姻がどう関わって来るのかも分かりませんが、共に望まぬ関係など早晩瓦解するでしょう。それまでに父上と叔父上が何らかの解決を見出されることを望みますがね」


 度重なるエリーゼからの拒絶の言葉を思い出しながら、顔を顰める。


『到着しましたら、もうお話しすることも無いと思いますので――』

『折角だけれど、刺繍は送れないわ』


 話したくも無ければ、ありきたりの夫婦が行う妻の刺繡品のプレゼントのような、表面だけの関係すら拒もうとする。これまでもバレントは、自分との関わりを望まぬ者達から幾度となく怯えや蔑みの視線を向けられて来た。その度に耳にする言葉は、最早言われすぎて否定する気も起きない。――死人を連ねる「死神騎士」。


「騎士ら同胞以外には感情らしい感情を向けないお前が、珍しく苛立つ貴族令嬢とはな。ふむ、そのエリーゼ・フォンタールとは面白い娘だな」

「父上、揶揄うのも大概にしてください」

「お前からの話だけではないぞ? 王都から漏れ聞こえる声も含めての話だ。死者使いネクロマンサー令嬢だなどと噂を立てられながらも生き方を変えぬとは、お前に負けずなかなかの――」


 さらに軽口を続けようとしたミシェル辺境伯だったが、息子の苦虫を噛み潰したような表情を見て「同族嫌悪と云うヤツか……」と心底楽し気に呟く。


「エリーゼ・フォンタールは冤罪だ。であるなら貴族ならば誰もが欲する稀有な血筋で、気概のあるただのご令嬢だ。我がミシェル家の嫁とすることになんの問題もあるまい」

「問題だらけですよ。どうやら私は嫌われているようですし、何よりガマーノ伯爵殺害に関して、奴を殺害する動機があり、状況証拠も揃って裁かれた彼女は、今のところまごうことなき殺人犯です。そんな犯罪者を妻とすることは父上が認めても家臣や領民が認めないでしょう」


 バレントの言う通り、裁判所で見せられた書類の中には、彼女の犯行を裏付けることとなった状況証拠が示されたものも有った。ガマーノ伯爵の身体に残された傷跡は、「治癒」前に見た屋敷の者たちの話によれば、その全てが覚束無い剣技を示すたどたどしい切傷となっており、弱い力で何度も切られた様は非力な者の手によるものと推測される――と、エリーゼ嬢にとっては思わしくない結果が纏められていた。


「伯爵殺害の刑罰は、我が弟の采配によって辺境のこの地への追放処分となり、その刑は既に実行された。彼女の罰はこれで終わったのだ。拾い上げて何の問題がある」


 悪びれもせずに堂々と言い切る父親に、バレントは深いため息を吐く。こうなってはもう、こちらの意見は聞いてはくれないのだと、今までの経験則で理解している。だから婚姻自体を無いことにするのは諦め、せめてもの抵抗で「結婚式を挙げることはしません」と告げると、意外にも「好きにしろ」との答えが返って来た。


「取り敢えずは、エリーゼ嬢がトルネドロスの手の内に入ったと王都に伝わればそれで良い。エリーゼ嬢を何らかの理由で狙う者達を、今度は万全の態勢で迎え入れることが出来るからな」

「討つだけでは父上は満足なさらぬのですね」

「それはそうだろう、背後に繋がる者まで引っ張り出さねばならんからな。しっかりと、もてなすつもりだ」


 更に父親から語られた内容は、数か月前から食料や鉱物の流通に変化があった隣国マイセルで、今度は傭兵と思しき人の流入が多くなっている事、巧みに姿を隠しつつ実行犯を操る本国公爵家の存在についてだった。


「そうそう、お前の新妻だが、早速侍女のミルマを通して幾つか要望が届いておったぞ? 庭園の一部使用許可願いだったか。屋敷に関わる事ゆえ、私の方へ届いたようだったから許可を出しておいた。近い内に話を聞いてやると良い」

「――っ!」


(庭園の使用許可だと!? 狙われているのに、妻の待遇を与えたからと言って早速優雅に茶会でも開こうというのか!? 全く、こちらの苦労も知らずに暢気なものだ)


 内心で盛大に文句を吐き散らかしながら、警備の段取りを考えねばならんと溜息をついたバレントだった。

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