計略結婚夫婦と解明される陰謀

第8話 冠詞に「お」が付く「うっかり夫人」


 驚いたことに、ワケアリ妻の部屋は、森の奥にぽつんと建てられた掘っ立て小屋や、北に高くそびえたつ塔の天辺の部屋でもなく――ごく普通の本邸内に設えられた部屋だった。


「ようやく奥様とお呼びできます――! 道中ずっと間者や刺客に付きまとわれて、どこに人の耳があるか分かったものではありませんでしたからね。奥様もお分かりでしたでしょうに、余所余所しく護送の体を装わなくちゃならなかったのが、もぉ心苦しくて」


 与えられた新妻に相応しい愛らしい調度で纏められた部屋では、荷解きをする手を止めずにミルマが心底安堵した笑顔で話し続けている。そうか、それで冠詞の様に「くさま」の「お」がしばしば名前の上についていたのか、とようやく納得したエリーゼだが、狙われていたことにはまったく気付かなかった。ちなみにミルマは、今後もエリーゼ専属の侍女兼護衛として側近くに居ることになったと説明を受けている。


 自分だからこうなったのか、追放される令嬢全てがそうなのかは分からないが、話に聞く罪人の扱いとは異なる気がする。とは言えそもそもが、はじめての王都の外、旅、そして裁判からの追放刑だ。とにかく一般的なモノが分からない。


 だからこそ、出た言葉「到着しましたら、もうお話しすることも無いと思いますので――」。あれは完全に悪手だったらしく、あの一言で機嫌を損ねて以来、本当にバレント・ミシェルとは口を利いていない。


「団長も、厳しく恐ろしい所もありますが、人情深い方ですから、いつまでも怒っていたりはしないですよ」

「だと良いのだけれど。わたしもまさかこんなことになるなんて思ってもみなくて……」


 思ってもみなかったこととは、嫁入りと、失言による不仲と、身に余る厚遇と、そんな各種諸々だ。


「しかも、辺境伯家嫡男の妻になるのに、領地のお仕事は何もしなくても良いだなんて」


 言った瞬間、ミルマが顔を強張らせるが、その意味は深く考えずに、馬車を降りてすぐバレントが告げた言葉を思い出す。




『貴女には不本意だろうが、今日からここへ私の妻として留まってもらう。この件は叔父である裁判長からの依頼あってのこと。望んだことではないのはお互い様だ。さっきの一言で、貴女の考えはよく分かった。――せいぜいご希望に添えるよう尽くさせてもらおう』


 その後で、ぽかんとするエリーゼが何の説明も受けていないことに気付いたのだろう。立ち去ろうとした足を引いて、再度向き合った。


『妻といっても政治的な意味合い、緊急回避的なものだけでの婚姻だ。私の伴侶としての求めは何もない。妻の身分は与えるが、領地経営や互いへの干渉は不要だ』


 それ以上の説明は不要とばかりに、さっさと立ち去ったバレントは、久々の帰還で忙しいのだろう。言った直後に馬車の扉を開けた執事に渋い表情で何か言われていたようだったが。




「お世話になるわたしばかりが何もせずに過ごして良いだなんて、申し訳なさすぎるくらいの厚遇よね。旅の間はぶつかってばかりだったのに、何も出来ないわたしを気遣われているんだわ……。それなのにあの方を傷付けてしまったかと思うと心苦しくて」


 ほぅ、とため息を吐くと、キョトンと目を見開いたミルマが「鈍感? 計算? いや、この方の場合……前者よね」などと、若干気になることをぼそぼそと呟いてから一つ大きく頷いて顔を上げる。


「お気になさることは無いです! 何も知らせることのできなかった奥様が、お知りにならなかったとしても当然のことなのに、腹を立てる団長こそが大人気ないんですから。団長だって、あの夜会の後、自分のことを恐れないご令嬢が居たってえらくしみじみと仰ってましたから、悪い印象は無いはずなんですよ」

「はぁ、なら余計にわたしは夜会の恩人に心無い言葉を向けてしまったのね」


 しょんぼりするエリーゼを励まそうと、ミルマが努めて明るい声を上げる。


「これから時間はたくさんありますから! 執務をする必要が無いのでしたら、奥様は団長のために、ご令嬢らしく刺繡を刺されてはいかがですか? 融通の利かない頭の固い団長ですが、歩み寄る気持ちはきっと伝わります! ですからこの際のんびり過ごすと良いですよ」


(バレント様も、ミルマも、騎士の皆さんも、こんな死者使いネクロマンサー令嬢なんて呼ばれるわたしに、最初から親切に接してくださっていたのに。不用意な一言で傷つけてしまうなんて、申し訳なさすぎるわ。それに、折角ミルマが刺繡を提案してくれたけど……)


「折角だけれど、刺繍は送れないわ」


 ガタン


 言った瞬間、扉の向こうで音がして、勢い良く立ち上がったミルマが扉を開く。すると、そこにはばつが悪そうに視線を逸らしたバレントと、顔色を青くした執事が佇んでいた。


「団長!? ま、まさかどこから聞いて……っ、いえ、立ち聞きなんてマナー違反じゃありませんか!?」

「うぐ……いや、これはたまたま先程のことが大人げなかったと――いや、それより! やはり貴女は私との婚姻が不服なのだな。もう良い、好きに過ごされると良い。必要な物があれば勝手に商人を呼んで揃えると良い。相談があれば、そこのミルマを通してくれれば良い。だが余計な事だけはしないでいただきたい。無理に顔を合わせる必要もない。以上だ。歩み寄れると思った私が愚かだったようだ」


 あまりのタイミングの悪さに、紡ぐ言葉も見当たらず、ただ口をパクパクさせていると、バレントは執事の静止も聞かず「失礼する」と言い置いて足早に去ってしまった。


「―――しっ……刺繡は、お家の仕事ばかりやっていたから、刺したことがないんですぅ……」


 あまりの間の悪さに放心していたエリーゼは、廊下の向こうから聞こえる足音も途切れたところで、ようやくそれだけ絞り出すと、しおしおと床に座り込んでしまう。


「も、申し訳ありません! 奥様!! 私が余計なことを言ったばかりに……。かくなる上は、私が責任を取って職を辞したいと――」

「それはダメよ!? わたしのせいでそんなことになったら、わたしは自分のことを許せなくなるから!」


 社交界で忌避され続けたエリーゼが、罪人の烙印を押されてどんなにひどい追放道中になるのかと不安で仕方なかった時に、ただ朗らかに接してくれたミルマには心底感謝しているのだ。そんな恩人にも等しい貴女に負担を負わせる訳にはいかない。


「ここはわたしに出来ることでなんとかミシェル様に見直していただかなきゃいけないところだと思うの! 癒しの力のないわたしが、家族の中で居場所を見つけることが出来た『葬麗人』の仕事みたいに、ここにもきっとわたしだからできることはあるはずだもの」


(――きっとあるはず!)


 そう思ったとき、裁判所で慌てて確認した書類の一枚が、脳裏に閃いた。


(そうよ、あれは確か「辺境騎士団への雑役服役」を命令する書類だったはず……!)


「見つけたわ――。わたしにできること」


 エリーゼは、目に強い光を宿して拳を握りしめた。

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