第6話 本領を発揮する「お・エリーゼ」


 陽も傾き、今日の移動も終わろうと云う頃、目的地である宿場町の目的の宿に着いた一行は、それぞれ宛がわれた部屋へ入った。3階に在るこの部屋にはコネクティングルームがあったらしく、隣室へ続く扉の向こうからバレントが立てている物音が響いて来る。


 旅装から室内着へと手早く着替えを済ませていると、女性騎士のミルマが感心の面持ちでこちらを見ているのと目が合った。


「し、失礼しました! お・エリーゼ様!! 相変わらず手際の良い身支度だと感銘しておりました」

「お・エリーゼ? いえ、このくらいなんでも無いですよ。いついかなる時も急患に対応できるよう、神殿に暮らす皆にとっては当然のことですから」


 だから、総じてフォンタール家の者や、急患の現場へ随行する使用人らは着替え、食事その他諸々の日常些事を最短時間で済ませるのが平常運転だ。特に気を遣っていたのは食事だった。――激務に応えるには身体が資本とばかりに、力の源である食事は必ず摂らなければならないし、短時間で効率よくをモットーに栄養価の高い特製流動食を大量に流し込んでいた。固形物が出る日もあったが、時間に追われる中では、ほぼ丸飲みだ。お陰で家族はエリーゼの様にぽっちゃり体型になっているのだった。


 だが、普通の伯爵家の令嬢はそうではないらしい。ミルマは本来なら身支度にも侍女の手を必要とする伯爵令嬢の身の回りの世話をすべく就けられている――らしいのだが、エリーゼは大抵のことは一人で熟せる。だから、彼女の仕事は専らエリーゼの話し相手となっているのだが、この状況は彼女にとっては不本意らしい。いつも申し訳なさそうに声を掛けて来る。


「本来なら私が身の回りのお世話をしっかりすべきところ、おく……エリーゼ様におかれましては――」


 ガタッ ガタンッ

「きゃぁぁ―――っ!!」


 階下から悲鳴が響き、反射的に廊下と部屋を隔てる扉とエリーゼとの間にミルマが立つ。手にはいつの間にか剣が握られ、臨戦の構えを取っている。


「ミルマ! そこを動くな」

「はい!」


 扉続きの隣室からバレントの鋭い指示が飛び、駆け出す音が響く。彼が、騒ぎを確認しに出たのだろう。


 間を置かずにドタバタ、ガチャンとけたたましい音が聞こえると共に、何人もの怒号が飛び交う。聞きなれない荒事の音に身を固くしていれば、前に立ったミルマが「団長に任せておけば大丈夫です」と声を掛けてくれた。ちなみに「団長」とはバレントのことで、通常なら彼は辺境伯軍の団長として軍の統率のために前線に身を置き、隣国マイセルに目を光らせているらしい。



 やがて静けさが戻ると、コンコンと扉がノックされる。


「エリーゼ嬢、大丈夫か?」


 扉の向こうから控えめに掛けられた声はバレントのものだ。


「はい! お陰様でぴんぴんしております」

「そうか……。ミルマ、もう少しそこに留まっていてくれ。1階は賊と……何人かの怪我人が出ている。呼ぶまで部屋からは出ない方が――」

「怪我人ですって!!」


 ばん!と勢い良く扉を開けると、そこに立っていたバレントがぎょっと目を剝く。彼の顔や身体には真新しい血糊が張り付いて、何らかの命懸けのトラブルがあったのが明らかな様相だ。


「は!? え、おい、ちょっとっ!」

「まぁ!! ミシェル様までお怪我をなさっているではありませんか!! 些細な怪我でも甘く見ていると、取り返しのつかない重傷を招くこともあるのですから!」


 そんな病人を何人も診て、見送る立場にあったエリーゼは、手慣れた様子で血に塗れたバレントの頭部に手を伸ばし、怪我を確認すべく目を眇めて遠慮の無い仕草であちこちに触れて行く。


「良かった、全て返り血でしたのね!」


 清々しい笑顔と共に宣言したエリーゼに、バレントは「普通のご令嬢なら悲鳴を上げるところだぞ……気を遣った私は一体」と溜息交じりに肩を落とし、ミルマは「さすが王都の治療を一手に引き受けていらっしゃるフォンタールの方ですね!」と目を輝かせた。


 返り血があるのは他に怪我人が居ると云うこと。


 追放されたとは言え、「癒し」のフォンタールとして生きて来たエリーゼには、関わらない選択肢はなかった。バレント、ミルマら、トルネドロスの騎士らと共に戦闘の行われた1階の救護に当たると言い張って、血が飛び散った室内を何の躊躇もなく歩き、傷に躊躇なく触れて手当を行う姿に皆が目を丸くした。


「さあさ、手当の済んだ方はもう動いて大丈夫です。本当なら化膿止めをお渡し出来ると良いんですけど、生憎持ち合わせがありませんから……日が昇りましたら治癒院へ掛かってくださいね。――それと、ミシェル様」

「なんだ?」

「もう一つ、わたしの我儘を聞いていただきたいのです」


 既に諦念の様子であるバレントに、エリーゼが口籠る。ここからのお願いは、エリーゼにも覚悟が必要だったからだ。


(王都の人達と同じように、今までの治療とは異なる奇異に映るはずだものね。けど、放ってはおけないわ――)


 先を促されたエリーゼは、ぐっと口元を引き結び、決意を込めた視線をバレントに向ける。小さく息を吸い込んだ彼女は「罪人の方は検証が済むまでは動かせないとは思いますが」と前置きを述べつつ、今の騒ぎで巻き添えになった宿の使用人や宿泊客へ目を向ける。


「彼らを整えて差し上げたいのです――葬麗人の役目を果たさせてください」


 バレントは、彼女の言う「葬麗人」が何かは解らなかった。けれど、ここまで行動を共にしたミルマをはじめとした騎士らは、彼女がガマーノ伯爵を殺害するような凶悪な人物だとは信じておらず、それどころか控えめで思い遣りを持った彼女のことを信頼し始めている。


 それに知らない一面を見ることで、何故彼女が「遺骸としとねを共にする死者使いネクロマンサー令嬢」などと呼ばれているのか分かるかもしれない――と頷き、結論を出したバレントが了承を伝えると、不安気だったエリーゼがパァッと顔を輝かせる。


「だが、死者とは云え彼らの尊厳は護られるべきだし、君は監視下に置かなければならない。だから別室で衆目を隔てて……と云う訳にはいかない」


 無理だろう、との思いもありつつの言葉だったのだが、エリーゼは「問題ありません!」と、にこやかに答える。


「いつもそうしております。ですが、道具が足りません。専門のものでなくとも良いので、わたしの言うものを幾つか用意して欲しいのです」


 すぐさま、彼女の言う道具が集められた後、バレントの指示に従って大勢の騎士や宿に居合わせた者らの前でエリーゼは「葬麗人」の仕事をすることになった。


 噂に聞く「遺骸としとねを共にする死者使いネクロマンサー令嬢」の姿を、実際に見ることになるのかと周囲の人間が緊張と僅かな嫌悪を滲ませる中、エリーゼが厳かに宣言する。


「葬送の御祓みそぎを行います」


 その場で遺骸とともに大きな白布を纏った彼女は、誰の眼にも整える前の遺骸の姿を見せることなく、美しく整えてみせたのだった。

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