第5話 王都を離れて辺境へ急ぐ「追放令嬢」


 閉廷後、そのまま両腕を手枷で拘束されて連れて行かれた裁判所内の個室には、既に裁判長と数人の騎士が揃って居た。


「貴女の身元引受人の方がいらっしゃいます。ですがお忙しい方ですので、取り急ぎこれらの書類に目を通していただきたい。到着されたらそのまま彼と共に王都を発っていただきます」


 黒髪を綺麗に後ろに撫で付けた老齢に差し掛かった裁判長が、感情の籠らない平坦な口調で、エリーゼの今後を告げる。青い瞳は怜悧な光を讃えて、否やを言わせない迫力がある。どうやら、裁判直後の今――と云う慌ただしさで辺境に送られるらしい。


 簡易な書き物机に案内されたエリーゼには、細かな文字で、びっしりと紙面を埋められた約定書が何枚も差し出され、サインするよう促される。


(ううっ……何て多さ! なんて細かな字!? 本当なら、よくよく確認したいところだけど、もたもた読んでいてわたしの身元引受人の方をお待たせするわけにはいかないしっ)


 一瞬躊躇したものの、追放を言い渡された自分にはさしたる価値も無いし、裁判長と騎士が揃う場で出される公式の書類だ。「おかしなものも無いわよね」と、見出しの部分だけざっと目を通して記名して行く。


 次々差し出される書類にはエリーゼをフォンタールから除籍する物、名も知らぬ伯爵家の養女とする物、彼女の行動の制限を記したもの、辺境騎士団への雑役服役命令書など、これまでの境遇との大きな変化を伝える物が何枚もあったのだが、急かされる上に数が多すぎて感慨に耽る間もない。


「取り乱されないので助かります」


 形ばかりの笑顔を作った裁判長が話し掛けてくる。書類の確認中にらしくない気遣いを発揮し始めたのは、エリーゼへの憐れみか。とは言え、時間に追われた今は、書類を確認する気が散るので勘弁して欲しくもある。ただ、珍しく自分に向けられた思い遣りは嬉しくもあった。


「平気な訳ではありませんが、頂いた機会を精一杯生きたいと思います。できることを見付けてやるのはこれまでと変わりませんし」


(何より、生きてさえいるのなら、汚名を灌ぐ機会もきっと掴めるもの)




 バン


「叔父上! マイセルに害しかもたらさない罪人を引き取れとはどう云うことですか!!」


 怒気も露に、ノックも無く荒々しく飛び込んできたのは先の夜会でエリーゼを唯一庇ってくれた騎士バレント・ミシェルだった。


「聞いての通りだ。早速出立してもらうぞ」

「なんっ!? 俺の意思は無視ですか!」


 裁判長を叔父上と呼び、随分と砕けた話し方をしているが、深い蒼の瞳と、濡れ羽色の肩までの短髪、そして鋭さのある面差しは、あの時の夜会でただ一人エリーゼを庇ってくれた時と変わらない。変わらないのだが、あの時の紳士的な印象はすっかり鳴りを潜めてしまっている。


「私の甥だからこそ受け入れてもらおう。国防の要、ミシェル辺境伯の嫡男であるお前を見込んでの役目だ。国のための奉仕と心得よ」


 取り付く島もないと云うのはこんな様子を指すのだろう。裁判官は自分の言いたいことを言うと、先程エリーゼがサインしたものの一部と、別の紙束をバレントに押し付ける。視線で紙束を示し、腕を組んで「待ち」のポーズを取られれば、困惑も顕わに紙面の文字を追い始めるしかない。


「くっ……」


 最初の数枚にざっと目を通したところでバレントは悔し気に眉根を寄せる。エリーゼには何のことかは分からないが、紙面から一瞬こちらに向けられた視線の意味を考えれば、不機嫌の理由はエリーゼ絡みの事となるのだろう。


(なんだろう。身元引受人になる人にここまで忌々しそうに思われるなんて)


 エリーゼが首を捻っている間に、バレントは書類の束をあらかた読んでしまったらしい。幾つかの条項を裁判長にぼそぼそと確認した後、ひどくぶっきらぼうな様子でミシェル辺境伯の馬車へ乗るよう指示されたのだった。





 旅路は、罪人の追放という割には快適すぎるものだった。


 多忙な辺境伯の名代として王都へ一時逗留し、件の夜会にも参加していたバレント・ミシェル。ミシェル辺境伯の嫡男である彼と共に、隣国マイセルに接する領地トルネドロスへの帰館へ同行する形となったのだが―――


「あの、差し支えなければミシェル様と共にこのように豪華な馬車へ相乗りさせていただかなくとも、使用人用の馬車か、なんなら荷馬車でも構いませんから」

「駄目だ。お前の監視を命じられている」


 そう一言返されたきり、豪奢な貴人用馬車の中は、再び永い沈黙に包まれる。向き合って腰かけた2人の視線は、常に顔を伏せているバレントが言葉を発する一瞬交差するのみで、その他の時間の彼はむっつりと押し黙り、腕組みをして身じろぎ一つしない。無の境地にでもなっているかのようだ。


「ご迷惑をおかけいたします」

「構わん」


 たまに話し掛けても簡素な返しがあるだけで、会話が成り立つことは無い。けれど慣れない長旅に不調を感じれば、僅かな気配を察してか早めの休憩を取るなどの気遣いを見せてくれる。そんな不思議な道程がもう一か月以上続いている。


 宿に立ち寄った時は流石に同室とはならず、女性騎士が傍に付くことになるが、そんな時もバレントは声の届く扉続きの部屋に泊まり、無ければ扉の前で休むこともあった。


 無理矢理、彼女を引き受けさせられたバレントとは、当然ながらまともに会話する事は無かった。けれど追放の刑罰を受ける彼女には不相応なほどの厚遇を受けて「これは何事!?」とエリーゼは首を捻るしかないのだった。

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