帝の都(四)

 まあ私のことはいいのだ。


 それより、トキヒト様とせっかくの二人きりだ。

 ちょうど周囲にいた人達も、どういうわけかちょっと離れ気味。気を遣われているのかもしれない。

 何に対しての気かは考えないでおこう。


「心配はかけているでしょうね。戻ったら精一杯親孝行します。……あの、トキヒト様のことは、聞いてもいいものですか?」


 御所の中は、常に女房にょうぼうのどちらかがいる。

 トキヒト様がいる時は特に。まあ見張られているのだろう。主が見知らぬ不審な、しかも年頃の女と二人きり、とか絶対嫌だろうな、と思うし。


 だから御所の中で私はなるだけおかしなことはしない。ついでに聞かない、見ないを心掛けている。


 最初に私を迎えに来た人たち、やはり白い面を付けた男性三人が帯刀していた、というのも大きい。

 刀を持っている、ということはつまり、そういうことだろう。

 いくら平和ボケした現代人の私でも、腰に差した刀を見て枝の伐採とか料理道具、とは思わない。


 この世界が何であれ、ルールの違いは感じている。

 私の知ってる世界とはルールが違い、常識が違う。杞憂なら良いけど、そうではなかったとき、知らなかったでは済まない可能性もある。


 これでも気を遣っているのだ。本当は私だって色々気になっている。興味津々だ。

 御所の中も見て回りたいし、トキヒト様を質問攻めにしたい気持ちしかない。


 トキヒト様の声は穏やかで、チラりと見れば微笑んできた。


「構いませんが。わたくしなどさしたる面白みもない、詰まらぬ者でございますよ」


 微笑みついでに含み笑いまで。なんだか妙に楽しそうだ。


「何かおかしいですか?」


「これは失礼。いえ、随分と物怖じなさらないので。わたくしが帝だと知ればどなたも畏れたものですが」


 物怖じしない、はよく言われる。

 ついでにテンションが低空飛行とか、表情筋と情緒が普段は冬眠中とか。


「やっぱりちょっと気安かったですかね?」


 私の性格とは別に、権力や身分に対する頓着のなさの話でもあるのだろう。そういうことに対しての感度が低い、現代人ならではというのもあると思う。


 もちろん人に対しての礼儀は尽くしているつもりはある。不愉快に思われないように気を配ってはいる。これでも。

 特にトキヒト様にはお世話にはなっているし、いつもより気を付けていたつもりだったんだけど。


 ただ、私にとってトキヒト様はこの都に住んでいる人と違い、畏れ敬う対象ではない。

 きっとそういうのが態度の端々に出てしまっていたんだろう。


「誤解なさらないでください。咎めているわけではございません。ただ」


「おや、トキヒト様ではございませんか」


 何かを言いかけたトキヒト様の言葉を遮ったのは、行商人風のお爺さんだった。

 上品な着物姿でにこにことした笑みを浮かべ、大きな風呂敷包みを抱えている。


「お久しぶりでございます。覚えておられんでしょうが、呉服屋のせがれでございます」


 道の反対側を通りがかった、という風だったそのお爺さんは大股で寄ってくると、深々と丁寧にトキヒト様に向かって頭を下げた。


 せがれと紹介するには随分と御歳を召していらっしゃる、という私の感想はどうでもいいだろう。

 お爺さんの後頭部の髷は、真っ白な白髪である。

 ちょっと夢二を思い出した。そういえばあの人はどういう人なんだろう。


「ああ。いや、覚えているよ。これは、随分と久しい顔だ。洛外に出たと聞いていたが。元気でやっていたかい?」


「もったいないお言葉でございます。ええ、万事つつがなく。トキヒト様はお変わりございませんなあ」


「洛外はどうだい? 何か困ったことがあれば言っておくれ」


「まったくなんもございません。現人神あらひとがみであらせられるトキヒト様のおかげで、良い暮らしをさせていただいております。ところで、こちらはもしや、トキヒト様の良い方でいらっしゃいますか?」


 洛外。現人神。出てきた気になるワードを頭に並べていると、急に私の話になった。


 ああ、まあ、しょうがないですよね。そういう年頃ですもんね。二人で並んでいるとそういう風に見られる年頃なんですよ。

 にこにことこちらを見るお爺さんにとっては世間話……いや、本当に?


 世間話で、帝の恋バナが許されるのだろうか。


 でもそういうことを聞かれるってことは、トキヒト様は未婚かな。

 いや、既婚者でも堂々と女遊びはするって文化もあり得るか。だって帝だし。


「さて、どうだろうね」


 含み合笑いで答えたトキヒト様に、思わず胡乱なものを見る目を向けてしまった。

 危ない。薄布があって助かった。いや、ほとんど隠せてはいないだろうけど。


 いや、でもちゃんと否定した方がよいのでは。

 私はどうせすぐいなくなるから構いませんけど、トキヒト様はその後困るのではないだろうか。


 それとも、何か思惑でも?


「おやおや、まあ爺が余計な口出しをするものではございませんな」


「ふふ」


 恐らくだけど、このトキヒト様、なかなか侮れない人だと思う。

 会話していて、どうも底が知れない感じがするのだ。


 腹黒ってわけではないと思う。

 ただ、全部が計算ずくって感じはする。


 まあ私でお役に立つのであれば虫よけでもなんでも自由に使って貰って構いませんけど。


 後で知らない女性に私が詰められる、とかがないなら構わない。

 全部が私の思い過ごしである可能性もあるし。


「ではお近付きのしるしに、よろしければおひとついかがですか?」


 お爺さんがそう言って、私の前で持っていた風呂敷包みを拡げた。

 誤解です、とここは私が言うべきだろうか、という思考が吹っ飛んだ。


 中には桐箱、その蓋を開けると、彩り豊かな組紐が並んでいる。


「え、すごい! きれい! 見てもいいですか!?」


 明らかにひとつひとつが手造りされた上等な品である。

 どれもが複数の色を組み合わせて編み上げられている。きっと帯締とかに使うんだろう。かわいい。とても綺麗だ。


「お好きなものをお選びください」


 いや、トキヒト様には散々世話になっている分際で今さらだけど。でも見ず知らずの人にこんな、たぶん見るからに高価そうなものを貰うわけにはいかない。


「いえ、いただけません。見るだけで十分です」


 固辞する私に、桐箱がずずいと迫って来た。まあまあ、さあさあ、と。押しがとても強い。

 誘惑がすごい。


 私とお爺さんを愉快そうに眺めていたトキヒト様が口を開いた。


「そう言わず、貰ってあげてください。ここで固辞なさると、御所に大量の反物が届くことになりそうです」


「さすがトキヒト様、よくお分かりでいらっしゃる。そうそう、ここで恩を売って、御所からの御注文をたんまり頂こうという爺めの算段でございますので、ご遠慮なさいますな」


 試供品、ということだろう。でも、私がもらう理由になるだろうか。

 それでもまだ躊躇する私に、トキヒト様が微笑んだ。


「では、わたくしがいただきましょう」


 そう言ってトキヒト様が桐箱に手を伸ばす。

 躊躇なく手に取ったのは、最初に私の目を惹いた組紐である。

 まったく、よく見ていらっしゃる。


 白色をベースに藍色と金の糸が編み込まれている。

 その組紐を私に見せて、トキヒト様がまた微笑んだ。

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