帝の都(二)

 とか思ってたら、視界が遮られた。

 口元を扇で隠し、私を上から覗き込むトキヒト様の端正な顔がある。


 夢二とはまた違った雰囲気だけど、トキヒト様も大変整ったお顔をしていると思う。


「お暇ですか?」


 お世話されている身で馬鹿正直に「暇です」などと言っていいものだろうか。

 なんて考えたのは一瞬だ。陽も高いうちから縁側に寝そべり飛び回る雀を眺めている人間が暇でないわけがない。


「暇ですね」


 一応身体を起こし、伸びをする。

 暇すぎてジョギングでもしたい気分だけど、それには着物が邪魔だ。上着みたいに着ているのだけ脱げば走れないこともないだろうが、たぶん奇行と見做されるだろう。

 汗をかいからとシャワーを浴びることもできないし。


 蒸し風呂と浮き出た汗を拭う布で、どこまで現代人が耐えられるか、私は今試されている。

 たぶん綺麗そうな川を見付けたら後先考えずに飛び込むと思う。


 そういえばトキヒト様はこの二日、常にきっちり平安貴族してる姿しか見ていない。

 髪は髷に結い上げて烏帽子で隠れているのでよく見えないし、体臭が嗅げるほど近付いてはいないけど、パッと見たところ不潔そうな感じはしない。お風呂、どうしてるんだろう……。


 そんなことを考えながら、残りカスみたいな羞恥心で乱れた髪を整えてみる。

 うん。若干べたつく。ごわつく。後ろ髪が跳ねている。もういいや。


 私を眺めるトキヒト様の視線には、遠慮とか容赦というものがない。ガン見である。

 何がそんなに面白いのか、とても興味深そうに私の一挙手一投足を見守っている。


 汚物を見るものでもなく、性的なものでもない。

 どっちかというと、子どもに見られている動物園の猿みたいな気分です。


「……何か、ご用ですか?」


 このまま黙って見物されているのも居心地が悪い。

 聞けば、トキヒト様はふふ、と笑った。


「実に暇そうにしていると聞いたので、様子を見に参ったのですが」


「はあ」


「予想より遥かに暇そうにしておいでなので、少々面食らっているところです」


 馬鹿正直か。


「ご不便はございませんか?」


「ご不便はございませんよ」


 風呂問題と暇過ぎるのと、元の世界に戻った後の社会生活に不安がある以外は特に。

 パンツは一日で慣れた。

 月のものがきたときはどうすんだろう、と不安は過ったが、不順とかないのでまだ半月以上先の話。その頃には帰れているはずである。

 頼みますよトキヒト様。


 まあなんにせよ、こんな得体も知れず、何の生産性もない女に大変良くして戴いております。


「体調はいかがです?」


 うんうんと頷いたトキヒト様がさらに言葉を重ねる。


「絶好調です。フルマラソンでも走れそうな気分です」


「ふる……?」


「失礼。すごく走れるぐらい元気いっぱいっていう意味です」


「それは結構。ではわたくしと出掛けませんか? でぇとをしましょう」


 トキヒトさまが座る私を見下ろして、にこにこ顔でそう言った。


「は?」


 でぇと?

 デートって言った?


 なんでそんな言葉知ってるの。


 政府も絡んだ大規模な実験場……という言葉が私の中を行ったり来たりした。




 外出用に着せられたのは、十二単より動きやすい着物だった。とりあえず丈が短い。

 なんか色々たくし上げられたり締められたりして最終的に何がどうなっているのかさっぱり分からないけど、とにかく歩ける。

 ボリュームの総量はそんなに変わらない感じがするけど、裾を引きずらないだけでもありがたい。


 仕上げにレースカーテンみたいな薄い布が付いた笠を被せられた。

 視界が薄く遮られて邪魔だけど、我儘は言うまい。


 たぶんこれは大河ドラマとかで見たことあるやつではないかと思う。公家のお姫様がお出かけする時の装いが、確かこんな感じだ。


 その薄い布の向こうには、時代劇で見るような京の都が広がっていた。

 真っ直ぐと続く舗装されていない砂利の道に、土壁の塀。


 これで、本当に異世界を主張する気だろうか。


 ただ、トキヒト様がタイムスリップの概念を理解しているっぽいところがむしろタイムスリップっぽくはない。否定されたし。


 でも異世界、というにはあまりにも日本過ぎる。


 隔絶された現代のどこか、というのが一番現実的なのかもしれない。

 政府が絡んだ大規模な実験場、みたいな。

 ただ、それにしては、少し見通しが良過ぎる気はする。真っ直ぐ続く道の向こう、遥か先まで見えている。

 随分と、この都は広いように思う。


 それにやっぱり、あの日見た龍の姿が脳裏にチラつく。あれは、作り物ではなかった気がする。遠目だったけど。


 本当に、何なんだろう……。


 道行く人は誰も彼も時代劇の町人のような姿をしており、トキヒト様の姿を見ると誰もが道の端に寄り深く頭を下げた。

 トキヒト様の隣を歩く私も、頭を下げられている形になってしまう。いや、誰も私に頭下げてるわけではないのだけど。


 トキヒト様はまるで気にした風な素振りもないので、これが普通なんだろう。

 これが、普通で日常の人を、今まで私は相手にして今はその隣を歩いているわけだ。

 それが一番恐ろしいことのような気もする。


「もう少し行きますと店のある通りに出ます。足元など問題はございませんか?」


 トキヒト様はのんびりと、恐らく慣れない草履で戸惑う私に合わせて歩いてくれている。


「大丈夫です」


 あなたが帝である、という事実以外は特に問題ございません。

 知らない場所、という不安はあるけどいっそ一人でその辺ぶらぶらして来いと言われた方が気が楽でした。

 とは言わないけど、ちょっと思っています。


「トキヒト様は、お仕事とか大丈夫だったんですか? 無理されているのであれば私一人でも」


 トキヒト様の隣を歩くあの女は誰だ、という遠慮がちな視線がぶすぶすと突き刺さる。

 穴だらけになりそうだ。


 どうか安心して欲しい。

 あなた達の帝は、得体のしれない謎の女を珍しがっているだけで少しも如何わしいことはございませんよ。


 顔を隠す笠と布が意外にも助かった。頭を下げられ視線が突き刺さるこの中で、素顔を晒しながら歩く度胸はない。

 いや、薄い布だから見えてるだろうけど、あるとないでは気持ちが全然違うものだ。


「時折こうして町へ出て民の様子を見て回るのです。実はあなた様を連れているのがついでなので、どうかお気にされませぬよう」


 そつのない返しをされて、これ以上何も言えない。


 そんなやりとりをしながらのんびり歩いていると、少しずつすれ違う人が多くなってきた。周囲がちょっとずつ賑わってくる。


「人が多いので、どうかはぐれぬようお気をつけください」


 大きい通りに出たらしい。

 確かにそこは、御所の静寂が嘘のように、人で賑わっていた。

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