帝の都(一)

 やることがない。

 仕事人間の哀しい性だ。何かしていないと存在意義が薄れていく気がする。仕事が欲しい。存在理由が欲しい。


 綺麗な着物を着て、綺麗に片付いた部屋で、出されたごはんを食べて、おやつに果物まで出される。


 家畜の気分。いや、乳を搾られたり食べられたりはしないだろうけど。


 パソコンもスマホもテレビもない。

 暇そうに見えたのか、女房にょうぼうの二人……のどちらかが、巻物と紐で括った和装本を幾つか持ってきてくれた。

 ありがたかったけど、ミミズがのたくっている文字は崩れ過ぎていて現代人の私には読めなかった。

 たぶん日本語だと思う。ところどころ読める文字があった気がする。


 推定日本語が出てきた辺りで、薄々疑っていたタイムスリップかもしれないと確信に近いものを抱いた。龍がいたけど。


 ここが何百年前かわからないけど、もしかしたら昔の地球には龍がいたのかもしれない。

 その昔、プテラノドンみたいな飛ぶ恐竜だっていたわけだし。新種発見。


 とにかく異世界ではない、過去の世界だと思う。

 平安とか鎌倉とか室町とかよく分かんないけど、とても昔の日本。源平合戦とかやってた頃って何時代だっけ? 聖徳太子がいたのは飛鳥時代……? たぶん聖徳太子より後で、信長秀吉家康より前のどこかだと思う。龍がいたけど。


 平安時代ぐらいの日本人にしたら、現代人など異世界人だろう。龍がいたけど。


 ところが、そんな私の確信をトキヒト様が早々に否定した。

 もちろん直接「これタイムスリップだと思うんです」などと言ったわけではない。


 なんとなく何かに配慮して回りくどく、私の中に眠っているであろう乏しい日本史の知識を叩き起こしつつ、その知識とこの世界の擦り合わせを行うための質問をトキヒト様に重ねようと試みたのだ。


 とりあえず「トキヒト様は天皇陛下でしょうか?」という無難なんだか切り込んだのかよく分からない第一答目をぶつけてみた。


 都と呼ばれているここは昔の京都のように思える。もしここが京の都で、その都の御所で、都を治める存在がいるとしたら、私が知っているその人は天皇だ。

 もしトキヒト様が天皇なら、ここは過去の世界。


 歴史に明るくない私には歴代の天皇に『トキヒト』がいたかは分からない。

 あとトキヒト様のこの気安過ぎる距離感が謎だけど、そこはまあ、天皇だって人間、気を抜きたい時もあるんだろう。


 龍とか夢とかその辺りもまるっと無視してるけど、それを考えだすと最早私の手には負えないからそっとしておくことにした。


 問われたトキヒト様は、ちょっとの間何かを考える素振りをした。


「……おそらく、サラ殿の考えられてる仮説は間違っておられるかと。この都は、過去の世界ではございませんよ」


 言うには、私が住む現代と同じだ、と。

 いや、違うでしょ……え、違うよね……?


 とにかく話がそれで終わった。

 余計に謎は深まった。


 それに、それだと色々まずい。タイムスリップだと戻った時に時間が経ってないとかありがちな気がしたのだ。

 だって現在の私はおそらく外出途中で行方不明、音信不通という状態である。

 焦っても仕方ないけど、考えると具合が悪くなりそうだ。私の人生が危機。


 そんな危機を引きずった状態で丸二日が経過した。


 時計がないので確実ではないけど、ここに来たその日、太陽が山間に沈んでいき、茜色に染まる空を見た。その後夜になって、部屋に敷かれた布団で眠り、朝になって活動を始めた。

 普通に私の知ってる一日のサイクル。

 ごはんは朝昼晩の三回。間に二回、おやつとお茶が出てきた。


 太陽と月っぽいものがあって、夜空には満天の星。どう考えても地球だと思うんだけど。

 その衣服や言葉を考えるに日本。昔の。それともパラレルワールドとかそういうやつなんだろうか……。


 異世界ってなんだろう。

 それともここはトキヒト様の言う通り、現代の日本のどこかで、隔絶されたコミュニティで、私はそこに閉じ込められているんだろうか。


 政府も絡んだ大規模な実験場……みたいな。あの龍はホログラムとかドローンがなんかしたやつ……。


 とにかくそんなことをうだうだと考えながら、二日が過ぎた。

 

 せっかくだし開き直って、休暇だと思おうとしたけど、これがなかなか難しい。

 掃除も洗濯も料理も仕事もしなくていい状態で、何もない。


 ちなみに女房にょうぼうの二人は話し相手はしてくれない。今のところ声も聴いたことがない。

 白い布の下の顔も分からず、話すこともできておらず、未だ名前も教えてもらえない。

 背格好はほぼ同じ、着物の色もほぼ同じ、判別すらできていない。たまに二人揃っているから二人いることは間違いないんだけど。


 話し相手になってくれませんか、とお願いしたところ、無言でどこかへ去っていき、しばらくするとトキヒト様が来てしまう、という怖い仕様になっている。


「お話相手であれば喜んでわたくしが申しつかりましょう」


 そうトキヒト様は言ってくれて、一緒にしばらく相手をしてくれたけど、なにせ彼はこの都で一番偉い帝である。

 天皇陛下でなくても、帝と言われればわりとビビる。

 そう何度も気楽に呼び付けていい人ではないだろう。


 結局暇すぎて和装本に三回ほど挑んだ。

 やっぱり日本語だとは思う。


 トキヒト様とは普通に会話が成立する。言葉が普通に通じている。

 トキヒト様が日本語を話しているからだろう。

 異世界だったら、日本語通じないんじゃないのかな。わかんないけど。


 本は結局読めなかった。うにょうにょした筆文字からはまったく意味が読み取れない。

 所々読めなくもない……みたいな字があっただけ。文章として楽しめるほどは読めなかった。


 読めない文字をいつまでも眺めるのは難しい。


 着ている着物の柄を眺めるのも、脳内でトレースするのもそう長い時間は続けられない。


 そして冒頭に戻る。

 やることがない。


 御所を勝手に歩き回るのはさすがにちょっと憚られるし、部屋の周り、見える範囲には井戸しかない。すぐ傍に水場があるのはありがたいけど、飲み水も顔を洗う水もここではない別の場所から運ばれて来る。


 今のところ用途不明のこの井戸は、さすがにちょっと不気味過ぎて近付きたい気持ちにもならない。

 蓋を開けたら見てはいけないものが見えそうで怖い。ホラーは苦手です。


 まあ外と部屋を分けるのが気分と申し訳程度の衝立なので、常に見えちゃってるけど。

 いくら遠慮するなと言われてはいても、井戸が怖いので部屋を替えて欲しいとかは言えないし。たとえ何かが這い出てきそうな雰囲気でも。


 なんかもう、縁側に寝転んで、空を見上げるしかやることがない。


 暇だ。

 いつ帰れるんだろう……。


 トキヒト様が言うには、何やら儀式の準備のようなものがあるらしい。

 目途が付いたらすぐに知らせるが、少し待って欲しいと言われた。

 ひと月以上待たせることはないから、とのことだけど、ひと月このままだと暇すぎてどうにかなりそうだ。


 それとあまり考えたくはないが、ひと月近く行方不明だと、戻れたとしても社会的に死ぬかもしれない。

 会社を除籍処分になるのはどれくらいの期間の欠勤が続いたらだったろうか。

 実家に連絡は行ってるだろうし、ニュースになっていたらと思うと軽く気が滅入る。


 子どもを助けた会社員が川で行方不明。捜索中の警察の人や、中継のヘリが飛び、連日報道……みたいな。いや、考え過ぎだと思うけど。地方の新聞にちょこっと載るぐらいはしてるかもしれない。

 おかまいなく、という気持ちだ。


 でもほんとうに、なにか言い訳を考えておかないとヤバい。


 記憶喪失で何も分からないで通す、が今のところ最有力候補。

 異世界に行ってましたとかタイムスリップしてましたとか、正直に述べるよりいくらかはマシだろう。

 病院で色々と検査をされ尽くされるかもしれないし、おかしな噂はたてられるかもしれないけど、仕方がない。


 なんでこんなことになってしまったんだろう。


 いっそ、チチチチ言いながらそこを飛んでるあの雀になりたい気分です。

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