番外編:魔力あふれる森の番人には魔獣の気配も無く、期待外れで

 オズロに、女性がらみで問題が起こったらしい。


 この噂が兄弟姉妹の間を駆け巡った時、誰もが耳を疑った。よくよく聞けばオズロ本人では無く、彼の想い人が問題に巻き込まれて危険な状態だという。


 彼には今までに浮いた話一つなく縁談も全て断ってきた。アイラの事件で心に傷を負った彼に想い人が出来たのは喜ぶべきだが、その女性には問題があり過ぎた。


 最初に俺にその事を告げた時、二番目の兄は『何て面倒な』と呟き、深いため息をついていた。


 オズロとアイラの双子は俺達兄弟の末っ子にあたり、4人の兄と3人の姉達から可愛がられている。アイラが事件を起こした時にも、皆で二人を見守り手助けをして来た。


 アイラがやっと落ち着いたとはいえ、因縁のあるグーデルト領に関わらせる事を心配する兄弟もいたが、喫緊の問題を解決する為にはオズロを派遣するしか無かった。彼の学者としての能力が必要だった。


 実際にゴドブゥールの森の調査は想定以上の成果を上げ、問題は解決した。オズロからの報告書によると、名も知らぬ先人が残した記録と森の番人の知識が大いに役立ったらしい。


 加えて魔獣の分布、それぞれの魔力量、森自体が醸成する魔力についてなどの副次的な調査結果には魔術院も興味を示している。俺達ですら詳細を知らされていない魔術院が、その存在を感じさせる行動を取るのは異例の事だ。


 どちらもゴドブゥールの森の番人の助力による成果だとオズロの報告書にはある。


 番人はかなり魔力が強く、番人が赤子の頃に、検査結果を知った魔術院が引き取ろうとしたが、彼女の父伯爵が強硬に反発して一度は諦めたという過去がある。


 今回、調査の途中報告を受けた魔術院が、改めて森の番人を魔術院に丁重に迎え入れる意向を示すと、今度はオズロが強硬に反対した。知識はあるが魔力はそれほど強いものではないと主張し、王子としてのオズロの立場を慮った魔術院は今回も諦めた。


 浮世離れしている魔術院の詳細が分からない以上、それが番人にとって良い事だったのどうか不明だ。しかし番人が魔術院に入っていたら、我々俗人は二度と会う事が叶わなかっただろう。


「あの時にも、おかしいとは思ったんだ」


 オズロが何かを強く主張する事は珍しい。しかも王子としての立場を使うのは極めて稀な事だ。


 あの弟は感情を表に出したり、何かを強く望むという事が無かった。そう躾けられただけでなく、生れ持っての性質だと思っている。よく観察すると、彼なりに感情はあるのだが、ほとんどそれを表さない。


 とはいえ、誠実で思いやりがある事は行動から窺えるせいか、周囲の人間とはそれなりに上手く付き合っている。


 その弟が手紙の文面からも分かる程、森の番人に対して何らかの親しみを感じている事は伝わって来た。


「まさか、特別な想いを持っていたとはな」


 しかもその番人は、因縁あるジリアム・グーデルトの婚約者だという。そして、ジリアム・グーデルトの暴走により番人に危険が及ぶに至り、オズロは二番目の兄に助けを求めた。一番気心の知れている俺じゃなく、確実に解決出来る力を持つ兄に頼む辺り、オズロの本気が伝わって来る。


『人生最大の危機』そう綴られた言葉から、俺達はオズロの想いを知った。


 オズロの判断は正しかった。ジリアム・グーデルトが鬼籍に入った後の調査では、番人を連れ戻そうとする者が現れたり、番人自身が逃げようとしたら、即座に番人の命を絶つように使用人に命じていた事が分かっている。気の毒に思った一部の使用人が、危険な時にはジリアム・グーデルトの気を逸らせたり、番人に脱出の手ほどきをするなどして、上手く助けていたようだが、下手な事をしていたら悲劇が起こっていた。


 この番人を助けていた使用人については、グーデルト領を継いだユリア・グーデルトが褒美を与えて重く用いていると聞く。


 オズロから、上手く救い出せた番人を王都に連れてくると連絡があった。あのオズロがそれ程までに惚れ込んだ女性だ。俺はどれほどの女性かと期待した。


 しかし、期待外れだった。


「まあ、美人ではあるけどな」


 初めて会った番人からは、冷たい印象を受けた。魔力溢れる森の番人という名前から想像されるような神秘的な様子も無く、かといって辺境の地を思わせる野卑な面や鄙びた様子も見せない。伯爵家令嬢らしく上品で完璧な立ち居振る舞いをする。


 つまり、ありふれたご令嬢だった。


 正直に言って、このくらいの美人なら王都には掃いて捨てる程いる。ならば面倒なしがらみがある女性を選ばなくてもとがっかりした。


 俺は不満だったが、一番上の兄と二番目の兄は大層満足しているようだった。しかも二人は『ずいぶん面白い女を見つけて来たな』とまで言っている。これは大絶賛しているという事だ。


 皇太子である一番上の兄は言わずもがな、宮廷の中心で魔物のような力を振るう二番目の兄も人を見極める力が突出している。加えて二番目の兄が送った兵は彼女の人となりを調べる役目も負っていたらしい。その兄達が満足しているのだから、俺がどうこう言う問題ではない。


「とはいえ気になるんだよな」


 俺はリリイナ嬢というオズロの想い人を観察することにした。そうじゃないと、遠方にいる姉妹達や、王都を不在にしている兄に報告出来ない。彼女とは気軽に会えない立場の両親も、詳細を知りたがっている。


 ちなみに妻からは『ほどほどになさい』と苦言を受けた。



 その日、二人が王宮の外れの塔に向かったと使用人から聞いた俺は、書きかけの書類を放り出して、こっそりその塔に向かった。


「危ないから、1階分以上の高さには行くな」


 オズロがリリイナ嬢に何かを言っている。見ればリリイナ嬢は運動でもするような恰好をしている。


「嫌よ。ちゃんと登らないと信じてくれないでしょ?」

「信じる、信じるから、やめるんだ」


 壁に取り付くリリイナ嬢を、オズロが必死に止めている。弟がこんなに慌てる姿を見るのは初めてだ。


「絶対信じてないもの。ちゃんと見ててね」


 リリイナ嬢はにっこり笑うと、するすると壁を上り始めた。後ろに束ねられた、美しい白銀の髪が彼女の動きに合わせてきらきらと輝いている。


「分かった、もういい! 信じる、曲芸師になれる! 君はきっと曲芸師になれる!」


 オズロはもう必死だ。彼女が落ちたら受け止めるつもりなのか、上を見上げてうろうろとしている。やがて建物3階分くらいの所まで上った彼女は、オズロを見下ろして『楽しいわよ』と笑っている。


(曲芸師って何のことだ? 大体、あれは誰だ?)


 少なくともこの前見た冷たい美人ではない。



 その日は二人が部屋で紙を書き散らかしているらしいと聞いた。庭へ回って窓からこっそり覗く。俺に見張りを頼まれた使用人の呆れた視線が痛い。


(何をやっているんだ俺は)


 二人はどうやら版画を作っているらしい。確かオズロには絵を描いたり版画を刷る趣味があった。


「ねえ、このゴンドドは、やっぱりもう少し細いんじゃないかしら」

「いや、このくらいだった」

「ねえ、私がもう真似しないよう、わざと書いたんでしょ?」

「いや、このくらいだった」


 リリイナ嬢はいきなり床に、ごろんと転がった。


「ほら! ちゃんと見て!」

「ふっ」


(あいつ今、笑ったのか! あいつが笑う? そんなまさか)


「ほら、やっぱり意地悪してるんでしょ? 描き直してよ」

「いや、駄目だ」


  リリイナ嬢が立ち上がりオズロに、しきりに何かを描き直すように訴えている。


「そんなに意地悪するなら、ピオピオ大王に言い付けるんだから」

「それは怖いな。だけど、あの大王はまだ王都にまでは勢力を伸ばせていないんじゃないか」

「それがね、私たちが馬のしっぽをあげたから、懐いて付いて来てしまったのよ。そのついでに、王都の植物界も制したらしいわよ」

「なるほどな。なら、庭の草木も全てあいつの言いなりという事か」


 何の話をしているんだ。とにかく、あのオズロが見るからに楽しそうだ。あんな顔は子供の頃ですら、ほとんど見た事がない。もっと良く聞こうとして、俺はうっかり窓枠を揺らしてしまう。


 ガタンと音がすると、リリイナ嬢はすっと冷たい顔に戻った。


「兄さん、そこで何を?」


 不思議そうにするオズロに招かれて、ちゃんと入り口に回って部屋に入れてもらう。


 正しい挨拶をするリリイナ嬢にさっきまでの面影はない。


「二人が楽しそうに話していたから、気になったんだ」


 正直に言うと、オズロが少し困った顔をした。そして、リリイナ嬢に『この兄の前では森の相棒でも大丈夫だ』と言う。


(森の相棒?)


 その途端、リリイナ嬢の顔に表情が戻る。


「リリイナ、この兄は俺がゴドブゥールの森にいる間、隣国に滞在していたんだ。あの宰相にならなかった男の子孫とも交流がある」


 その言葉を聞くと、彼女の顔がぱっと明るくなった。


「わあ! 素敵ね!」


 どうやら人気の歴史書を読んだらしい。件の子孫について話をしてやると、とても喜んで聞いてくれた。


(なんだ、いい子じゃないか)


 彼女は発想が豊かで、会話を楽しめる女性だった。


 オズロと二人の時に事情を聞くと、リリイナ嬢は長年、感情を表に出す事を抑制されて来たらしく、どこでどの程度まで感情を露わにして良いか分からないのだと悲しそうに言った。


 とにかくオズロはリリイナ嬢が好きでたまらないようだ。


「そんなに好きなら、結婚してもらえばいいじゃないか」


 そうしたら、リリイナ嬢は実家に戻る必要も無くなり、ジリアム・グーデルトもいない今となっては行方不明にしておく必要も無くなる。


 俺の言葉にオズロは困り果てた顔をする。本当に感情が表情に現れるようになった。


「何度頼んでも、王子は嫌だって断られる。曲芸師になって街で暮らすらしい」


 俺は思わず笑う。昔の俺を見ているようだ。


 そう、王子はもてない。興味が無い女は寄って来るのだが、好きになった女には王子と言うと逃げられる。他の兄弟も経験している。


「ごめんなさい。身分を重視するつもりは無いけど、さすがにそれは」


 皆こんな感じの事を言う。身分が低くなる事は厭わないと言うのに、高くなる事は嫌だなんて変じゃないか?


「俺は5年間、粘りに粘ってやっと結婚してもらった。お前も気長に頑張るんだな」


 可哀そうなので、うちでの食事に招待した。俺の妻もリリイナ嬢の事が気に入るはずだ。妻がきっと王子と結婚しても大丈夫だと背中を押してくれるだろう。


(押してくれるか?)


 今日は妻が好きな花を集めて持って帰ろう。


 そして俺は、オズロが愛するリリイナ嬢の魅力を、どうやって両親や他の兄弟姉妹に伝えるかを懸命に考える。魅力がありすぎて、まとめるのが困難だ。


(終)

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そして、伯爵家ご令嬢は人知れず行方をくらました 大森都加沙 @tsukasa8omori8

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