終幕:伯爵家ご令嬢の行方は杳として知れない(終)

 伯爵家のご令嬢の行方は未だ知れない。


 グーデルト城を幻想的に魅せる6個の光が失われてから久しい。朝に夕に、領民達を励ます鐘の音も失われている。


 あらゆる情報に通じていると自負する者は言う。

 ゴドブゥールの森の番人の不在は由々しき事態だ。宮廷は魔術院から然るべき人物を寄越すだろうと。


 『魔獣をめぐる物語』なる魔獣の姿絵とその物語が対になった本が出版されたのは、それまでの間、人々が魔獣への警戒を怠る事が無いようにとの魔術院の采配ではないかと噂されている。


 独特な技法を使って描かれた絵は、実際に魔獣を目にした事があるとしか思えないような迫力に満ちており、対となる物語も魔獣を良く知る者にしか紡ぎだせないと評判を呼んでいる。


 しかし、ギードという本来は最も警戒すべき魔獣についてだけ猫のような顔で描かれており、幼い子を持つ親からの子供への配慮を喜ぶ声と、こんなものはギードではないと反発する声が論争を呼んでいる。


 それがまた、この本の人気を押し上げている理由の一つかもしれない。


 しかし番人の不在は、そう心配する事でも無さそうだ。領内のある村で、伯爵家のご令嬢に勝るとも劣らない魔力を持つ赤子が生まれたという噂が広まっている。その子が健やかに育ち、新たな森の番人となる日を多くの領民が待ち望んでいる。


 その時には、城の光も鐘の音も蘇るだろう。


 ある者は言う。

 ご令嬢は魔力が尽きたことを苦にして、庶民に身をやつして街で暮らしていると。軽業に長けていた彼女は、人々の目を楽しませる曲芸師になったという、まことしやかな噂も流れている。


 気の毒なのは彼女の元の婚約者の身の上だ。

 ご令嬢の身の上を深く案じるあまりに心を壊した彼は、ある晩大きな声でご令嬢の名前を呼ばわりながら、魔獣あふれるゴドブゥールの森へ駈け込んで行った。


 また、同じくご令嬢の義理の姉であった隣の領主の母も、その話を耳にするや獣のように取り乱し、同じように森へ駈け込んで行った。自分だけ幸せになるなんて許せない、そのような事を口走っていたと噂されているが、真偽のほどは明らかではない。


 その後、彼らの姿を見たものはいない。


 

 ご令嬢の義妹になるはずだった女性は相も変わらず、ご令嬢に対して冷淡だ。


 既にグーデルト家とは縁が切れて久しい人間の事を未だ詮索する輩は許しがたい。首を洗って差し出せと実際に剣を抜かれた者は腰を抜かして許しを請うた。


 この女性は、兄の痛ましい最期に気落ちした父親に代わって領主の座を継いだ。王都からこの地に興味を持って訪れたやんごとなき家の子息と手を取り合い、領地が潤う画期的な取り組みを多く行っている。彼らは近く結婚する仲だと言われている。



 どうしてもリリイナ・フィルハム伯爵令嬢の行方を知りたいとこだわる者は、遠く王都にまで足を伸ばしたようだ。


 ご令嬢は行方不明になる少し前に、ゴドブゥールの森の番人として、とある学者の調査の手伝いをしていた。王都にいるその学者にまで何かしら参考になる情報が無いかと聞きに行った者は落胆した。この学者はご令嬢の事などほとんど覚えていなかったらしい。


 迎えたばかりの美しい妻に夢中になるという、学者にあるまじき姿勢は許しがたい。王都の学者の質も落ちたものだと、酒の席でこぼしていたと噂されている。


 多くの噂はあるものの、リリイナ・フィルハム伯爵令嬢の行方は杳として知れない。


(終)

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