それぞれが進む道

 曲芸師になる方法は後で考える事にして、私はオズロと一緒に王都に行くことにした。


 元に戻したテーブルを挟んで、また椅子に腰掛けている。オズロは途中の街を抜ける為の書類を確認していた。そこには、旅人としての偽の名前が書かれている。


「リリイナ・フィルハム伯爵令嬢は行方不明のままにするんでしょ? そうすると私はリリイナじゃなくなるのかな」


 旅が終わった後に、何と名乗れば良いのか分からない。どうせ変えるのなら、可愛い名前にしたい。何がいいかな。考える私に、オズロが少し目を輝かせて言う。この表情は、美味しいお茶が手に入って得意になっている時の顔だ。


「変える必要ないだろう。リリイナ・ハイヌベルドになれば解決する」

「それは嫌!」


 つい忘れてしまうけど、オズロは王子だ。王子と結婚してリリイナ・ハイヌベルドになるなんて荷が重すぎて絶対に嫌だ。森の相棒の約束はしたけど、結婚の約束はしていない。


「⋯⋯」


 オズロは不満そうな顔をしている。初めて会った頃よりも、表情が豊かになっている気がする。私が読み取るのが上手くなったのではなく、顔に現れるようになっていると思う。

 

「まあ、それは後でいい。名前について書類上の事はどうにでも出来るから、今はただのリリイナでいいんじゃないか?」

「そうなの?」

「俺にだってそれを通すくらいの力はある」


(そうだ!)


「権力で思い出したんだけど、気になってる事があるの」


 私はジリアムの家で読んでいた隣国の歴史の続きが気になっている。


「それでね、あの人が宰相になれるかどうか知りたいの」

「ああ、それは気になるだろうな。あの男は宰相にはならないんだ。別の道を選ぶ」

「そうなの?!」


 最後の1冊は今晩読もうと思っていた。


「俺の家にもあるから、王都に行ったら読むといい。でも最新の学説があって、それを知った上で読むともっと面白い。あの男が若い頃に行った果物についての施策に思惑があったんだ」

「あの人らしくない施策だから不思議だったの。やっぱり裏があったのね」

「その具体的な思惑については、自分で読む方がいいだろうな。それも家にある」


 オズロと話をするのは楽しい。ジリアムとはこの話は全く盛り上がらなかった。やっぱり森の相棒は違う。


 私たちが隣国の歴史の話に熱中していると、ユリアが遠慮がちに顔を覗かせた。


「やだ、気を遣ってゆっくり戻って来たのに、歴史の話をしているの?」


 呆れた顔をしている。



 改めて今後の事を決めた。ユリアはグーデルト家が非難を浴びる事を承知の上でジリアムに罪を償ってもらうつもりだという。


 私たちは明日、それぞれの道を行くことになった。オズロと私は王都へ、ユリアはグーデルト城に戻る。


「私はあなたの事をずっと恨んでいました。幼い頃の兄は優しくて心根も真っ直ぐに見えました。でも王都から帰って来た兄は、どうしようもない人間になっていた。それは、あなたに傷つけられた事が原因だと誤解していたのです」


 ずっと失礼な態度を取っていた事を詫びるユリアに、オズロはこれからの支援を約束していた。


 ユリアは私にも謝る。


「あなただけは、ジリアムを善人だと信じて愛してくれている事が嬉しかったの。私はジリアムと一緒だわ。あなたがジリアムを愛してくれているうちは、幼い頃のままの素敵な兄でいてくれる気がしたの。


 だから、いつかあなたが傷つくと分かっていたのに何も出来なかった。ごめんなさい」


 私は大好きだった義妹を抱きしめる。ユリアからはもう、ジリアムが選んだ香水の香りがしない。


「居場所がなかった私を優しく受け入れてくれて、本当に嬉しかった。ユリアがいてくれたから、私はあそこで私なりに幸せに過ごせた。それに、あなたが助けてくれなかったら、私はあのままジリアムの家に閉じ込められていた。本当にありがとう」


 お義母様から庇ってくれた事も、友達のように接してくれた事も忘れない。私の大好きな義妹。


 翌朝、ユリアは笑顔でグーデルト城に帰って行った。


 オズロと私は、しばらくは旅人として馬で進むことにしている。ジリアムを罪に問えるのはもう少し先になる。それまでの間はまだ油断出来ない。


 並んで駆けながら、オズロにお願いしてみる。


「ミューロの絵を森に置いてきてしまったの。また描いてくれる? あ、鹿じゃなくて魔獣のミューロね」

「分かった。いいけど、君も描けよ」

「嫌だ。だって笑うじゃない」

「笑わない、ちょっと楽しむだけだ」


 それって笑うって事だと思う。私が描いたミューロを思い出したのか、オズロの目元が緩んでいる。


 遠くで牛の親子が草を食んでいる。今日も暑くなりそうだ。木陰のすぐ近くにいるのは、暑くなった時にすぐ涼めるようにと考えているのだろうか。


「あの牛は、何を考えてるんだろうな」


 オズロがぽつりと言う。私は少し考える。そして牛っぽい声色で言ってみる。


『背中がかゆいなあ。お前、父ちゃんの背中を掻いてくれないか』

『何言ってるんだよ。僕の角が父ちゃんの背中まで届くわけないだろ』

『かがめば届くか?』

『届かないよ。だから昨日、面倒がらずにちゃんと水浴びしろって言ったんだよ』


「ふっ」


 オズロが笑った。


「牛は自分で背中が掻けないから大変よねえ」

「くだらないな、本当にくだらないな」


 呆れたように言うけど、目元は優しい。


「そんな事言うなら、あなたも考えてみたら?」

「無理だ。そんなくだらない事は思いつかない」

「ひどい、くだらないって言わないでよ! じゃあ、あっちの大木は何て言ってると思う?」

「何も思わないんじゃないか」

「あれだけ立派な大木よ。感情だってあるわ。ほら」


 促すと、少し首をひねる。


「今日も暑いな、かな」


 そんなの全然面白くない。私は甲高い声を作る。


『ピオピオだ、ピオピオだ。我はこの辺りの植物を統べる大王。

旅人よ、私の土地を無事に通りたくば捧げものを寄越すが良い。

ほれ、その馬の尻尾の毛など良いではないか』


「ピオピオって何だ?」

「あの大木の名前なんだって」

「何だそれは!」


 少し離れた所の護衛が、顔をそむけた。背中が揺れている。それに気付いたオズロが少し渋い顔をする。護衛の人の前でも森の相棒でいいって言ったのに。


「くだらない事を言う時は、少し声を落とせ」

「そうしたら、私はいつでも小声で話さなきゃならないわね」

「くだらない事以外を話せばいいだろう!」


 でもやっぱり目元はとても優しい。大丈夫、私たちは森を出ても笑って過ごせる。

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