私たちはもう森を出てしまった

『私がこのまま姿を消し、ジリアム・グーデルトは別の形で罪を償う』


 この案をユリアも私も希望している。もしこのまま決まったら私は姿を消す事になる。


(姿を消すって、どうしたらいいのかしら?)


 オドブゥールの森には戻れない。どこかの街で静かに暮らせばいいだろうか。


 私はジリアムの家で使用人が言っていた言葉を一つずつ思い出す。


(えっと、出来るだけ高く売れそうな物を、必ず身に付けておく)


 私は金細工の髪飾りで髪をまとめている。あの使用人がジリアムに、私の髪に似合う物が無いと進言して手に入れてくれた物。見たところ地味だけど、素材や細工が素晴らしく、これを街で売れば数年ほどつつましく暮らせるくらいの金額になると教えてもらった。


(ジリアムは私にひどい事したんだし、売ってしまってもいいわよね)


 街に出たら目立たない質素な服を手に入れる事。人が多くてよそ者が目立ちにくい宿屋など、落ち着ける場所を確保する事。


 あの使用人は、私があの家から逃げる方法と、逃げた後にどうすれば良いかを、毎日少しずつ教えてくれていた。


「いざという時の為に覚えておいて下さい」


 『いざ』を深く考えると怖くて仕方なかったけど、それが今、役に立つのかもしれない。幸いにも、オズロとユリアのおかげで、外壁をよじ登ったり、追手から必死で逃げる必要なく解放された。


(でも、まだ追手は気にするべき?)


 ジリアムが罪に問われるまでには、少し時間がかかりそうだ。


「あの、一つお聞きしてもよろしいでしょうか」


 私が口を開くと、物思いにふけっていたオズロが、はっと目を上げた。


「ああ、もちろんだ」

「私が一人で目立たなく生きていけそうな街を、どこかご存じでしょうか。出来れば、ジリアムが罪に問われるまでの間、見つかりにくい場所がいいです」

「――君が、一人で」


 なぜかオズロが少し悲しそうな顔をして、テーブルの上の拳を握り締めた。


「これだけ助けて頂いた上に、重ねてのお願いで申し訳ないとは思うのですが、そういう街まで連れて行って頂けないでしょうか。この御恩は、いつかお返し出来るように努力します。今は方法を思いつけませんが、いつか必ず――」

「提案がある」


 私の言葉を遮るようにして、オズロがが強い口調で言う。


「森での約束を広げたい」


(森の相棒の約束?)


「それはできません。調査が終わったので、もう約束は終了しています」

「調査が終わるまでという約束はしていない」


 言われてみると、そうかもしれない。


「場所は関係なく、いつでも、どこでも対等ということにしたい」

「無理です。森を出た私は何もお役にたてません。森以外では対等にはなれません」


 そんな事、オズロだって分かっているはずなのに。


 (きっと、分かっているからだ)


 オズロは『森の相棒』と言えば、私が甘えやすいと思ってこんな提案をしてくれている。行き先の無い私が遠慮なく彼を頼れるように。


「ご提案ありがとうございます。でも、森の約束は続けられません」


 オズロが少し苛立ったように眉を寄せた。


「君が⋯⋯君が言う対等は、身分も立場も関係なく接するという意味だろう。役に立つかどうかでは無いはずだ」


 確かに、ジリアムの因縁も身分も関係なく、私達が信頼関係を築く為の言葉だった。


「でも、一方的に頼るだけになったら、ただのお荷物です。そんなの森の相棒じゃない」


 涙が出そうになり、慌てて顔を深く俯ける。


「だからなのか?」


 立ち上がる衣擦れの音がする。


「だからあの時も断ったのか?」


 ガタンと乱暴にテーブルが横に押しのけられる音に驚いて顔を上げると、オズロが目の前に跪いていた。私の顔を覗き込むようにして目線を合わせて、強い眼差しを向けられる。


「お荷物になる、そんな風に考えていたのか? だから、婚約破棄の事も何も言わず、頼ってもくれなかったのか?」

 

 私は目を逸らし、また俯いた。


「森での俺は、ずいぶんな役立たずだった。君に教えを受け、護られるだけのお荷物だった。⋯⋯それでも、役に立たなくても、森の相棒として大切に思ってもらっていたというのは俺の自惚れか? 別れを惜しんで涙を見せてくれたと思っているのは、間違っているか?」


 間違っていない。自惚れなんかじゃない。役に立つかどうか、森でオズロに対してそんな事は考えた事は無かった。


 でも、森の記憶が薄れるにつれて私はきっと邪魔になる。優しい森の相棒は、私には気取られないよう無理をして優しくし続ける。そんなの絶対に嫌だ。


「森の相棒が大切だから、一緒に過ごした思い出が大切だから、頼りたくありません。助けてもらうだけのお荷物になったら、きっと思い出も消えてしまう」


 私の宝物のような1年間。生涯ずっと大切にしたい思い出。私はゆっくり顔を上げた。オズロはまだ私を見つめていた。


「あなたの中に、私が役に立っていた思い出が残っているうちに離れたいです。出来れば、あなたにもずっと覚えていて欲しい」

「忘れるはずない!」


 上着の裾を握り締めていた手を、ぎゅっと握られる。その温かさが一生懸命押さえている気持ちを解放しようとする。一番大切な人、ずっと一緒にいたい、頑張って隠している気持ち。


 それを暴かれそうで、怖くなって手を引いたけど離してもらえない。立ち上がって後ずさってみても、オズロも立ち上がり、しっかり握った手を離してくれない。強い熱い視線も、私から外してくれない。


「君は前に、俺が来る前の自分が一人でどう過ごしていたか思い出せないと言ったな。それは俺も同じだ。1年前の俺がどんな人間だったのか、もう俺は思い出せない」


 オズロの瞳が潤んで揺れている。彼の手が熱い。ついに、涙があふれだしてしまう。気持ちがもう、溢れてしまいそうだ。


「君と一緒にいたいんだ。一人で生きて行くなんて言わないで欲しい。森の相棒でいさせてもらえないか?」

「無理なの、それは無理なの」


 溢れた気持ちは、もう止まらない。涙も止まらない。嗚咽が出てきてしまう。ちゃんと話せなくなってしまう。


「森の贈り物の事を教えてくれた老人は、『一番大切な人に』お守りとして授けなさいって言ったの。あの時の私には、あなたしか浮かばなかった。あの時にはもう、あなたは私の一番大切な人だった」


 手を握る力が強くなった。でもオズロの顔を見る勇気が出ない。ひっくひっくと身体が震えてしまう。お腹に力を入れて、懸命に続ける。


「だから、怖いの。がっかりされたくないの。嫌われたくないの。森の記憶が残っている今は、一緒にいたいと思っていてくれても、きっとそのうち、私の事が邪魔になる。


 ジリアムだって、優しかったの。でも、色々と隠してた。嘘をついてた。⋯⋯あなたにも、邪魔なお荷物だと思う気持ちを隠されたら辛いの。そんな事ないよ、って嘘をつかれたら悲しいの」


 ふいに手を離される。涙を拭おうとすると、両頬を包まれて顔を仰向けさせられた。彼の瞳が熱を帯びて揺れている。涙が流れて彼の手を濡らす。


「俺だって無理だ。一番大切な人、そんな事を言われて諦められるわけがない。君は、俺にとっても一番大切な人なんだ。一緒にいる為なら何だってする。邪魔だと思うなんて、絶対にあり得ない」

「私が、あなたの一番大切な人?」


 オズロの目が少しだけ優しくなる。


「俺は、ジリアム・グーデルトよりも信用出来ない人間か? あいつと同じような事をすると思うのか?」

「⋯⋯思わない」


 オズロが親指で優しく私の涙をぬぐった。


「森の相棒を続けて欲しい。君がこの先の事を考える時には、一人じゃなくて俺も一緒にいる姿を想像して欲しい」


 この先もオズロと一緒にいる私。どうやって想像すればいいのだろう。


「私、曲芸師になろうと思うの。その時、あなたが見物出来るところで曲芸をする。そういう事?」

「なんだって!」


 オズロが驚いたように目を見開いた。


「君が言う曲芸師は、身軽な技を披露する芸術家のことか?」

「うん、その曲芸師」


 オズロは一瞬固まった後、目元を緩めた。


「ふっ」


(笑った?)


「そうか。だから、逆立ちか。曲芸師になるつもりだったのか」


 王都から来てもらった兵士が居場所を突き止めてくれたと言っていた。逆立ちの練習をしていた事まで報告されていたのかと思うと少し恥ずかしい。


「逆立ちはね、10歩まで歩けるようになったの。教えてくれた人が才能があると褒めてくれたから、努力したら曲芸師になれる気がする」


 急に、強く抱きしめられた。前のような優しい抱擁じゃない。強く、強く、苦しいくらいに強く。胸の鼓動が早くなり顔に血が集まる。私の鼓動が伝わってしまいそうだ。


「君は、君だな。ジリアム・グーデルトがどんなに踏みつけても、君らしさを損なう事は出来なかった。きっとそんな事、誰にも出来ないんだ」


 オズロは私の耳元で優しくささやく。


「それでいいよ。そばで君を応援させてくれればいい。俺達はいつでも、どこでも森の相棒だ。ずっと永遠に。約束だ、いいな?」

「私、本当に役に立たないんだから。あなたを笑わせるくらいしか出来ないんだから」

「ふっ」


 少し笑う吐息が耳にかかる。

 

「⋯⋯それは、君にしか出来ない事だ」

「後悔したって、もう離れないんだから」


 私も大切な森の相棒を、強く強く抱きしめた。

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