森の贈り物
十分に準備したおかげで、春の半ば頃には必要な植物のほとんどが揃った。
「王都に戻る前に、見ておきたい魔獣はいない?」
オズロは視線を宙にさまよわせた。
「ミューロだな。角は見せてもらったが動く姿も見てみたい」
「そういえば、見た事無かったわね」
ミューロは鹿のような魔獣だ。濃い緑色の角が鹿よりも大きく美しく光る。小柄な姿は神秘的だ。ミューロは他の魔獣と違って人間の魔力を吸わない。木の実を食べて暮らしている。
ミューロは神出鬼没で、私にもいつどこに現れるか分からない。そう言うとオズロはとても残念そうにした。
「過去に見た事ある場所と、角が比較的多く落ちていた場所を思い出してみるわね」
ふと思いついた。
「ねえ、後でミューロの絵を描いてみてくれない?」
「まだ見てないのに?」
ミューロはこの森にしか生息していない。目撃した人も少ないので、姿絵がほとんど存在しない。
「見る前に描いて、見た後に答え合わせをするの。楽しそうじゃない?」
「それは、俺の想像力を笑いものにしようとしている、ということか」
少し考える。
「そうね、そういうことね」
「断る」
不満そうな私に、少し意地悪そうな顔をしてオズロは言った。
「君が描けばいい」
「私が?」
「そうだ。見た事がある君が、どれだけ正確に描けるかを確かめるのも楽しいんじゃないか?」
むむ。私の絵が下手な事を知っていて言っている。夏祭りの時に猫の顔を描いて子供に猫だと認めてもらえなかった。
「じゃあ、二人とも描きましょう。お互いに恥をかくならいいでしょ?」
「分かった」
承知したくせに、オズロは歩きながら『なぜ、わざわざ恥をかく必要があるんだ』とかブツブツ言っていた。面白ければいいじゃないか。
オズロの家に戻った私たちは、お互いにミューロを描いた。私は見たものを思い出し、オズロは想像で。
「何だそれは!」
オズロは私の絵を見て、珍しく表情に出るくらい驚いている。
「ミューロ」
「それは分かっている。ミューロは鹿に似ているんじゃなかったか。それは⋯⋯動物なのか?」
私は紙をもう一度見直す。動物らしくないと言われると少しだけそんな気もした。
「足を4本描いてみたんだけど、ミューロって身軽で跳ねるように歩くから、あと3本くらい足しておこうかと思って」
「なぜだ!」
「そうねえ」
そうか足が多いからおかしいのか。
「これは何だ?」
「角よ。頭に付いてるんだけど、すごく印象的なの。だから体全体を覆う感覚を描いてみたの」
「頭だけでいいじゃないか!」
「そうねえ」
私のミューロは理解されにくいようだ。
「あなたのを見せてよ」
オズロは私のミューロを見て自信を持ったようだ。得意そうに見せてくる。
「鹿じゃないの」
「鹿だ」
何が悪い?と顔に書いてある。
「魔獣の感じが全く無いじゃない。鹿だったら、どこにでもいるんじゃないの? ゴドブゥールの森にしかいないミューロという特別さが感じられない」
オズロは少しムッとした様子で絵を見返している。
「鹿のようだと言われているし、俺は見た事が無い」
お互いに自分の絵の方がミューロらしいと譲らない。最終的には、やっぱり本物を見ない事には始まらないという事になり地図を開いて出没予想をする事にした。
「君の頭の中には豊かな世界が広がっているんだろうな。俺の世界とは全然違う。それを覗かせてもらえるのは、とても楽しい」
オズロが私のミューロを見てぽつりと言った。
気づくと日が落ちかけていた。塔に点灯する為にオズロの家を出て、鐘の方に向かう。オズロの鹿にしか見えないミューロの事を思い返し、言い合いを楽しく思い返していたからだろう、私の顔には笑顔が浮かんでいたようだ。
「リリーナ」
いつになく厳しい顔をしたジリアムに呼び止められた。鐘は城の最上階にある。彼はちょうど城から外に出て来た所だったのだろう。
「ジリアム。お仕事はもう終わり?」
ジリアムは答えず厳しい顔のまま歩いて来た。
「何をしていたの」
「これから鐘を鳴らしに行くところよ。その後に、塔に光を灯しに行く予定」
「それにしては、随分楽しそうだね」
なぜこんなに怖い顔をしているのか分からない。ジリアムが私にこんな顔を見せるのは初めてだ。
「そんなに楽しい事ではないけど⋯⋯」
「いつも、感情を顔に出さない君が、そんなに楽しそうな顔をしているのは、珍しいじゃないか。よほど楽しい事があったんだろう?」
私は慌てて、いつもの顔に戻す。
「へえ。いつも、そうやって感情を隠してきたって言うのか」
ジリアムが私の腕を掴んで引き寄せる。
「だから、俺が抱きしめても口づけをしても、表情一つ変えないのか。本当はどう思ってるんだ?」
「どうって⋯⋯」
乱暴に抱きしめられる。力が強すぎて苦しい。
「聞かせてくれよ、今どう思ってるんだ?」
ジリアムの声が少し震えている。怒りなのか、私の何が気に障ったのか、よく分からない。笑顔を見せてはいけないと言っているのだろうか。
「ジリアムじゃないみたいで怖い。知らない人みたいで怖い」
小さな声で訴えると、急にジリアムの腕から力が抜けて解放された。
「ごめん。⋯⋯鐘を鳴らしてから塔に行くんだったね。気を付けて行っておいで」
ジリアムはそれだけ言うと、背を向けて城から出て行った。
夕食時のジリアムは、さっきの事なんか無かったかのように、全くいつもと様子が変わらなかった。それが私には余計に恐ろしかった。
◇
「来るわ、静かにね」
私たちの推測は当たった。時期と場所の情報を整理して予測した場所にミューロは現れた。危険は無いけれど臆病なので姿を見られないように木の陰に隠れる。
やがて薄緑の塊が、ふわりふわりと飛ぶように跳ねる姿が見えてきた。10頭くらいいるだろうか。
「美しいな⋯⋯」
角が抜け落ちていないミューロが多い。濃い緑の角がうっすらと光を放ち、まるで光が飛び跳ねているようにも見える。
通り過ぎる後ろ姿は真っ白な尻が目立ち、別の生き物のように見える。
全てが通り過ぎた後も、オズロはしばらく余韻に浸っているようだった。私は彼が動き出すのを静かに待った。
「思ったよりも、耳が大きいんだな」
「ね、私の絵の通りだったでしょう?」
「どこがだ!」
強い魔力を感じる。私はミューロが通った跡を確認した。
「あった」
それは手のひらに収まるくらいの小さな角だった。生えている途中で落ちてしまったのだろうか。ミューロの角は抜け落ちると半透明の薄緑色に代わる。魔力が強いせいか今まで見た事がある角よりも色が濃く美しく光っている。
「それは、角か?」
オズロが覗き込む。何度か角を見ているけれど、こんなに小さい物は初めて見るのだろう。
「この角、今まで感じた事が無いくらいに強い魔力を感じるの」
小さな角に魔力が凝縮されている。こういう物は初めて見る。恐らくこれは森からの贈り物だ。
「宮廷の人ではなくて、森の相棒として聞いて欲しんだけど」
ためらいながら口にすると、オズロの目が先を促した。
「小さな頃に、領内の老人に聞いた事があるの。その人は私が生まれるまでは領地で一番魔力があった人なんだけど」
私が言葉を話せるくらいの年齢になると、その人は引退して森の番を辞めた。その時に大きな手で私の頭を撫でながら『秘密だよ』と教えてくれた。
ごくごくまれに、大きな魔力を持った何かを森から受け取る事があって、それは森から番人への生涯に2度巡り合えるかどうかも分からないくらい貴重な贈り物。番人から誰かにお守りとして授けると、受け取った人の事を生涯ずっと守ってくれる。
「本当の事か分からないの。でも説明出来ない感覚なんだけど、これがそうだと思う」
私は手のひらで角を包み込んだ。他の角とは違う特別な感覚を覚える。魂を掴まれるような、心を吸い出されるような感覚。でも角からあふれ出る魔力はとても温かく私を包み込む。この角と自分が一体になるような不思議な感覚。
「すごい物を見つけたな」
オズロが目元を緩ませる。私は息を大きく吸い込んで勇気を出す。
「これを、あなたに渡したいの」
オズロがはっと息を呑んだのが分かる。
「あなたが王都に戻った後も、この森の魔力があなたを守ると想像出来たら、あなたがいなくなっても寂しくない」
「一緒に来ないと言うことか」
私は答えず、オズロの目をしっかりと見た。彼の目もしっかり私を見ている。
「これを受け取ってもらえる? あなたに持っていて欲しい」
オズロの瞳が揺れた。そして私が差し出した角に手を伸ばした。角と一緒に私の手をそっと握り、角を手に取った。
「ありがとう。大切にする」
「受け取ってくれて、ありがとう」
老人は本当は『一番大切な人に』お守りとして授けなさいと言った。私が思いついたのは、ジリアムではなくオズロだった。でもその事は考えない事にする。
「ねえ、少し離れてみて」
オズロが不思議そうな顔をして動かないので、私が数歩下がる。
「やっぱり! まるで魔力が強い人みたいな気配になってる!」
「え、本当か?」
オズロが自分を見下ろす。
「今度ギードが来たら、それを持って目の前に立ってみたらどうかな。きっと大丈夫だと思う」
「絶対に嫌だ! もし駄目だったらどうするつもりだ!」
触れたくないものに蓋をして、私たちはまた森の相棒に戻る。
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