幕間:彼女を喜ばせるために

 彼女を喜ばせるのは難しい。


 『調査の為に滞在する学者』という立場で物を贈るのは不自然だし、そもそも彼女が喜ぶような贈り物を思いつけない。


 成功したのは美味しいお茶くらいだろうか。もともとお茶は好きで良いものを持ち込んでいたが、最近では彼女が好きそうな銘柄を選んで取り寄せている。


 森の小屋の雨漏りを直そう、思いついた時には自分を褒めてやりたかった。屋根から転げ落ちた話を聞いた時には肝を冷やした。彼女がもう一度試す前に手を打ちたい。


 見れば屋根全体が脆くなってきてしまっている。大々的に葺き替えるのは俺一人では無理だ。上から何かでの補強が必要だ。


(そういえば、最近開発された薬剤があったな)


 研究院の作業小屋の雨漏りを防ぐため、新しい薬剤が開発されたという話を聞いた事があった。それを早速手配した。彼女には王都で流行しているなんて言ったが、まだ一般には出回っていない貴重な物だ。調査に必要だと、もっともらしい理由を付けて無理やり手に入れた。


 それなりに苦労したが、屋根を修理すると伝えた時の彼女の嬉しそうな顔で全ての苦労が報われた。あれほど喜ぶ顔が見れるなら新しい小屋を丸ごと建ててやりたいくらいだった。さすがに出来ないが。


(いや、森の中に調査小屋が必要だという理由で建てさせる事も出来なくはないか? 情報統制を徹底すれば『秘密の小屋』は実現出来るかもしれないな)


 とはいえ、俺にとってはこの小屋は既に想い出深い大切な場所になっている。


 最近、元気が無く表情が暗かった彼女を喜ばせた事で、少し気が大きくなってしまったのだろう。俺は失言した。


「もし、自由にどこにでも行けるとしたら、どこに行きたい?」


 これは彼女に、自分には選択肢が無いと言う事を突きつけるような言葉だった。その事に気付き、慌てた俺は彼女の知らない広い世界を伝えてしまい、更に彼女を追い詰めた。


(ただ、他にも道があると伝えたかったんだ)


 しかし、選べない道は選択肢ではない。お前の世界は狭いと残酷に告げただけになってしまった。


(どうしたら、他の道を選んでもらえるか)


 もし彼女に選べる道があるなら、ジリアム・グーデルトから離れる選択をするかもしれない。その道を用意する、それは俺にとってあまりに魅力がある思いつきだった。


 希望が見えたことに浮かれた俺は続けて失敗する。タイラー・デクストンへの警戒を怠った。


 タイラー・デクストンとジリアム・グーデルトは初等部の頃から仲が良かった。どちらも軽薄で二人はよく似ている。俺は二人とも嫌いだった。城に滞在している事は舞踏会の招待があった事から知っていたが、屑同士がまだつるんでいたのかと呆れただけだった。


 ジリアム・グーデルトが、妹を厄介払いする為にタイラーに嫁がせようとしていたと知ったのは、事件が全てが終わった後だった。


 妹が自分の行状を知った事に気付いたジリアムは、両親やリリイナに告げ口される前に彼女から遠ざけようとした。結婚したら警備隊長の座を夫に託し、城を出て新しい家で暮らすと考えた。タイラーの方も王都で痴情のもつれが原因の事件を起こし、騎士隊での居場所を失っていた。辺境の地で警備隊長として生きるのも悪くないと考えた。


 ジリアムとタイラーの利害が一致し、タイラーが領地にやって来ていたのだ。


 先に把握出来ていれば、何かしらの形でリリイナに警告を発し、彼女からジリアムの妹への警告も出来ただろう。


 あの日は、塔に光が灯らない事が気になっていた。リリイナが嵐に備えると言っていたから準備に時間がかかっているのかとも思ったが、それにしても遅い。心配になった頃にジリアムの妹が塔に入って行くのが見えた。


(彼女が様子を見にいったのなら、大丈夫だろう)


 一度は安心したが、その後も灯りが点かない。


(明かりがゆらめいたか?)


 明かりが不安定に瞬いて消える、数回繰り返した後に、ゆっくりと光を強めながら点いた。彼女はいつも彼女らしく潔く点ける。様子がおかしい。


 ジリアムの妹と彼女が塔から出て来ない事も気になる。胸騒ぎを覚えた俺は、食事の支度をしていた使用人を無理やり雨の中に引っ張り出して塔に入った。雨音に混ざって上階から女性の感情的な声と男の声が聞こえてくる。ジリアムの妹とタイラーが言い争っているようだ。そこにリリイナも巻き込まれているのだろう。


(タイラーは腐っても騎士だ。正面切っての戦いに勝てるか?)


 俺は使用人に警備兵を数人呼んで来るように命じた。領主の客を止められるのは領主かジリアム。どちらかの耳にも入れるよう指示をして、自分は階段を上って様子を窺った。


 雨音が味方し、諜報に慣れない俺でもタイラーに気付かれずに近くまで寄ることが出来た。そっと覗くと薄暗い中で、タイラーが女性の腕を捻り上げているのが分かる。


(リリイナ⋯⋯ではないな。ジリアムの妹か)


 リリイナを目で探すと窓際に座り込んでいた。縄で縛られている。怒りで目の前が真っ赤になる。


(落ち着け。攻撃出来るのは1回だと思え)


 護身術は叩き込まれているが騎士を相手にどこまで通じるか分からない。不意打ちを狙いたい。タイラーが語りながら酒を呷っている。空瓶を投げ捨て俺に背を向けた。


 一気に走り、思い切りタイラーの首筋を狙って打撃を加える。上手く急所に入ったようでタイラーは意識を失った。警備隊長を務めているというジリアムの妹が冷静に動いてタイラーを拘束し、俺はリリイナを解放する事が出来た。


(屑の友人もやはり屑だな)


 彼女の頬が赤く腫れていて痛々しい。痛いに決まっているのに、大丈夫だとほほ笑む彼女を、抱きしめたい気持ちをぐっと抑える。


「リリイナ、ユリア! 大丈夫か!」


 遅れてジリアムが駆け込んで来る。この男は俺と違って堂々とリリイナを抱きしめる事が出来る。タイラーもジリアムも今すぐここで叩き切ってやりたい。


 でも、一番叩き切ってやりたいのは自分だ。俺はいつも行動が遅い。妹の時も今日も事が起こってから対処するだけだ。防ぐことが出来ない。


 ジリアムがリリイナを抱きしめていた姿が頭から離れない。


(彼女を、あの屑から解放したい。⋯⋯いや違う。彼女は抱きしめられる事を嫌がっていなかった)


 彼女は解放されたいなんて思っていない。


(一緒にいたい。俺を選んで欲しい)


 これが俺の醜い本音だ。彼女の為なんかじゃない。俺も、自分の欲に忠実なあの屑たちと同類なのかもしれない。



 春を迎える頃には、俺は自分の醜さを認めていた。俺はジリアム・グーデルトと同類の屑だ。それなら、彼女を奪い取って何が悪い?


 しかし、彼女に同類だと思われたくないという、自尊心の欠片が邪魔をする。


 葛藤の末、俺が一緒に歩める道を選択肢として提示して、彼女に望む道を選んでもらう事に決めた。俺の想いは押し付けない。彼女の選択を尊重する。


 しかし、肝心の選択肢を全く思いつけない。彼女が望みそうな道が分からない。


 残す春の植物の調査の為に準備を進めている。彼女は最近、ますます元気が無くなり疲れているようだった。たまに見せる眠そうな様子から、ちゃんと眠れていないのではないかと思う。


 その日、初めてギードと遭遇した。彼女にとっても想定外だったようで、逃げるのは危ないと木の上でやり過ごす事にした。


(すごい迫力だな)


 魔獣に慣れた彼女ですら警戒するくらいだ。さすがに恐怖を感じる。木の上でじっと息をひそめてギードを観察した。しばらくすると、彼女の体が揺れている事に気付いた。驚くべき事に居眠りをし始めている。


(この状況で寝るのか!)


 彼女が居眠りするくらいだから危険は去ったのだろう。でも俺はすぐ下にギードがいる状態で安心など出来ない。必死で彼女を固定させようと押さえるが、枝の上では思うようにならない。彼女はもうすっかり眠ってしまっている。


(申し訳ない、緊急事態だ)


 彼女に詫びながら、自分の膝の上に乗せて抱えた。途中で落としたらと思うと、冷や汗が止まらない。彼女の頭を自分の胸にもたせ掛け後ろから抱きかかえるような状態で落ち着かせる。


(どさくさにまぎれて触れるなんて、起きたら、何と言い訳すればいいのか)


 彼女が気になってしまい、せっかくこれほどギードが近くにいるのに集中して観察出来ない。やがて、ギードは大きな熊を引きずって立ち去った。


 ふう、と安堵の息をつき、彼女を起こそうと視線を落とす。無防備な顔ですうすうと寝息をたてる彼女のぬくもりを感じる。


(まだ、ギードは近くにいるかもしれない。俺には魔力が無いから察知することが出来ない)


 言い訳をして抱きかかえたままにする。ぼんやりと寝顔を眺めた。


 途中で一瞬、彼女の体に力が入り目が開いたかと思った。でもなぜか、幸せそうににっこり笑うとまた寝息を立て始めた。思い切り抱きしめたい気持ちを抑えて寝顔を眺めた。彼女を抱きしめる事が出来るジリアムを羨ましいと思った。どれだけ眺めても飽きる事は無かった。


 幸せな気持ちは彼女の『結婚が決まった』という一言で儚く散った。彼女は幸せそうではなかった。当然だ、彼女は既に夫となる男が誠実ではない事を知っている。それでも、彼女はまだあいつを愛しているのだろうか。


 泣き出した彼女が、ただ口にさえしてくれれば。結婚したくない、彼女が口に出してくれたら俺が気持ちを伝えても許されるのではないか。


 しかし、それは叶わなかった。


 でも、俺との別れを悲しんでくれていると知った時、希望を捨てられない俺は口走ってしまった。


「一緒に王都に来ないか?」


 彼女は驚いていた。ここにいる以外にも選ぶ道がある、その気持ちがどのくらい伝わったか分からない。


 彼女はジリアムとの結婚を理由に無理だと言った。彼女はあいつを見捨てられない。いや、見捨てられないんじゃない。きっと不誠実なあいつを許し、まだ愛しているのだろう。


(今はまだ駄目だ)


 春の調査が終わるまでに考えて欲しいと伝えた。彼女は俺との別れを悲しんでくれた。俺の提案に少しは迷うそぶりを見せてくれた。そこにまだ望みはあるのではないか。


 愛する男を捨てさせるような魅力的な選択肢を用意出来ない。俺にはただ地道に彼女との信頼関係を築く事しか出来ない。

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