やっと決まった結婚

「ジリアムとリリイナの結婚は、夏に入る前がいいと思うの」


 お義母様の発言に、ジリアムと私、ユリアだけでなくお義父様も驚いていた。


「結婚を許して頂けると言う事ですか」


 ジリアムの言葉にお義母様はにっこりと笑った。何でも友人の孫が可愛くて、自分も孫と遊びたくなったそうだ。


(結局、私の努力は関係なかったのね。お義母様の気紛れで、こんなに簡単に決まってしまうものなのね)


 喜ぶジリアムとユリアに合わせて、私も喜びの表情を作る。



 結婚が決まると忙しくなった。夏に入る前というと、あと数か月もない。決める事もやる事もたくさんある。


 冬の植物の採取が無事に終わり、春の準備をしている。春は一番多く植物を採取するので、その準備も大変だ。


 加えて最近またジリアムから義姉と同じ香水の香りがするようになった。


 よく眠れなくなった。その日ギードの気配に気づくのが遅れたのは、寝不足で注意力が落ちていたせいかもしれない。


 普段は行かない森の奥の方で、春に採取したい植物がある場所を探していた。今の時期はまだ新芽が出たばかりだろう。この時期に場所を特定しておけば、後は成長を予測して採取に行くだけだ。


(この魔力の気配は!)


 離れていると危ない。木の洞を覗いていたオズロに近づいて小声で告げる。


「静かに」


 この大き目に感じる魔力はギードだ。ギードは冬の獲物が少ない時期に、いつもより遠くまで足を伸ばす。暖かくなってきているので大丈夫だと油断していた。


「多分、ギードが近くにいるの。木の上に登ってやり過ごしましょう」


 ギードは熊と違って鼻が利かない。遠くまで見通せる目で獲物を探す。木の上など目に入りにくい所にいる事で気を引かずに済む。


「何度か遭遇した事があるけど襲われた事は無いの。でも、万が一襲って来た時に対処が出来ないから見つからないようにしたい」


 オズロも緊張している様子だ。私たちはギードから離れた方向にある大きな木に登った。腰を落ち着けられそうな感じで枝分かれしていて、冬でも落ちなかった葉が体を隠してくれそうだ。


「どのくらい離れても大丈夫か分からない。申し訳ないけど、くっつくわよ」


 幹が太くて重なっているので安定した体勢が取れる。私たちは隣に腰掛け、腕が触れるほど寄った。


「来た」


 ギードは確か耳は良くなかったはずだけど、念のため息をひそめる。


 ガサッ、ザザッ


 枝を踏みしめる音と共に大きな生き物が一歩ずつゆっくり歩く足音が聞こえる。何かを引きずるような音も聞こえる。


(熊だわ!)


 上からそっと覗くと、ギードは大きな熊を引きずっていた。魔獣ではなく本物の獣の熊だ。冬眠から目覚めた所を襲われたのか、冬眠中に巣穴から引きずり出されたのか。いずれにせよ、引きずられている熊はぐったりとして動く様子は無かった。


 ギードは獲物を巣に持ち帰り、長く生かし続けて魔力を吸い続ける。あの熊が当面の魔力の供給源になるのだろう。ギードはすぐに立ち去る事なく、熊を引きずったまま辺りをうろつく。ギードは一度に複数の獲物を持ち帰る事がない。巣には何匹もの獲物を溜めるかもしれないけれど今は熊を持っているので大丈夫そうだ。


 とはいえギードの目の前に姿を現す気にはなれない。少し遠くに行くまで木の上で待つことにする。


 単調なギードの動きを見ているうちに、だんだん眠くなってきた。今日はもう春と言ってもいいくらいで過ごしやすい気温だ。睡眠不足の身には堪える。


(寝ちゃ駄目。えっと、そうだ。春の植物の事を考えよう)


 気が付くと温かいものに包まれていた。春の日差しと同じくらい心地良くて安心できるぬくもり。心がゆるゆるとほどけ、目覚めかけた意識がまたすうっと遠のく。


 次に気が付いた時には、日が沈みかけていた。


(ここはどこだろう)


 慌てて辺りを見回そうとすると頭上から声がした。


「落ちるぞ、急に動くな」


 驚いて見上げると、すぐ近くに私を見下ろすオズロの瞳があった。眠ってしまった私をオズロが落ちないように抱えてくれていたようだった。


「わ! ごめんなさい、ごめんなさい」

「いいから、暴れるな!」


 木から降りたい。私は集中して辺りの様子を確認した。


「もう、ギードはいないみたい。降りても大丈夫だと思う」


 オズロが私を木の枝に戻して静かに降り始める。私も木から降りた。


「ごめんなさい、本当に申し訳ありません」


 太陽の位置から考えると数時間経っている。その間ずっと木の上で抱えていてもらったのだ。体勢が落ち着かず大変だったと思う。


 必死で謝る私に目元を緩ませて言った。


「顔が猫じゃなかったな」

「ふふ。猪みたいだった。私も顔は初めて見た」


 こんなに近くでギードを見たのは初めてだった。いつもは気配を感じたらすぐに去っていた。


「猪の顔で描き直すの?」


 オズロが眉間にしわを寄せている。


「難しいな。もうすっかり猫の顔で馴染んでしまったからな」

「私も本物を見て、本物の方が間違っているって思ったの」


 じゃあもう猫でいいじゃないかと思っていたら、オズロが足を止めた。


「疲れているようだが、夜、眠れないのか?」


 私を疲れさせる色々な事が、頭をよぎる。結婚の準備、より細かくなったお義母様の小言、ジリアムから漂う香水の香り。


「結婚する事が決まったの。だから、その準備もあって少し忙しいの」

「いつ?」

「夏に入る前。⋯⋯あなたの調査が終わって帰る頃ね」

「そうか」


 急に実感が湧いてきた。オズロは春が終わったら王都に帰ってしまう。私はまた一人で森で収穫をする日々に戻る。想像すると悲しくなってきてしまった。今まで通りの生活に戻るだけなのに。


 目に涙がにじむ。そんな顔は見られたくない。私は急ぎ足で歩き出した。


「なぜ、泣くんだ」


 私を追い抜かさない速さでオズロが後ろを歩く。


「泣いてないわよ」

「泣いているだろう」

「泣いてない」

「⋯⋯結婚が嫌なのか?」

「違う、そうじゃない」

「じゃあ、どうして泣くんだ」


 私は足を止めた。オズロは私を追い抜くと目の前に向かい合って立った。


「理由を知りたい、教えてくれ」


 見上げると、オズロの瞳が強く私を捕まえた。嘘もごまかしも許さない、そう言われているようで、隠したい本音が思わず飛び出してしまう。


「森の相棒がいなくなってしまうから。あなたがいなかった時にどう過ごしていたのか、もう思い出せない。寂しいの、悲しいの」


(離れたくないの、ずっと一緒にいたいの)


 最後の言葉だけは、絶対に口に出してはいけない。私はジリアムと結婚するのだから。遂に涙はあふれ出て来てしまった。私は人前で泣いたりしないのに、森の相棒の前では、いつもこうなってしまう。


 隠した気持ちを見透かされてしまいそうで視線を外すと、オズロが両手をぐっと握りしめた。何かを我慢するように。


「ここには残れない。春の調査が終わったら俺は王都に戻る」


 大丈夫、分かっている。私が口を開くよりも早くオズロが続けた。


「一緒に王都に来ないか?」

「王都に?」

「そうだ」


 オズロはポケットからハンカチを取り出すと、私の涙を拭いてくれる。


「前に言っただろう。君は魔力が強いし、他にも出来そうな事が多くある。慣れない王都でも、ちゃんと暮らしていけるように俺が手助けをする。そこで君がやりたい事を見つければいい。君はここを出ていいんだ」


 森からもグーデルト城からも離れる。魔道具の工房で活躍する私、物語を書いて喜ばれる私、オズロが教えてくれた世界にいる私が頭に浮かぶ。それはとても魅力的で輝いて見える。


 そんな事が出来るのだろうか。ここを出て違うどこかに行くことが本当に出来るのだろうか。


「森の番人はどうするの?」

「それは心配するな、どうにかする。この国には他にも魔力が強い人間はいる」


(行きたい、行ってみたい)


 ジリアムとユリアの顔が頭をよぎる。『あなただけ幸せになるなんて不公平』義姉の私を憎む顔が頭をよぎる。


「――ありがとう。でも、私はここでジリアムと結婚するって決まってるの。王都に行くなんて出来ない」

「出来る。結婚だって止められる。君が望めば、そう出来るんだ。俺が助けてやれる。だから、君が本当はどうしたいのか教えて欲しい」


 オズロはきっと、ジリアムを信じていない。私がまた悲しい思いをする事を心配してくれている。お義母様の言いつけでまた一人で森を彷徨う事を気の毒に思ってくれている。


 とても優しい森の相棒は頼れと言ってくれる。でも、この森を離れたら私はただのお荷物だ。とても対等な関係とは言えない。


(そんなの相棒じゃない)


 私は色々な思いを全て心の奥底に沈めて蓋をする。


 オズロは答えられない私を見て、苦しそうな顔をした。


「今、答えを出さなくていいから。調査が全て終わるまでに考えてみてくれ。自分がどうしたいか考えるんだ」

「ありがとうございます」


 日が暮れて暗くなってきた。今日はまだ塔の光を灯していない。私は城に向かって歩き出した。後ろからオズロが枯れ葉を踏む音が聞こえる。

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