宿敵ついに姿を現す

 翌日から宿敵オズロを迎え入れる準備が始まった。


 植物の調査で長期滞在するので書き物も多いだろうし、採取した植物を保管できる広い作業場所が必要だ。図鑑や専門書もある程度は近くに用意しておく必要があるだろう。城の中の部屋では勝手が悪そうなので、敷地の隅にある大きめの邸宅を彼の拠点にしてもらう事に決まった。


 何よりそこなら、ジリアムと宿敵オズロが顔を合わせずに済む。


 私が夕刻に光を灯す塔のうちの一基が、この邸宅の横にある。城と森の間にあるので森にも出やすい。城の裏側にあたるので賑やかな表と違って人もほとんど来ない。その昔、引退した領主が一人で静かに暮らす為に建てたと聞いている。


「王都から来る人には、地味なしつらえじゃないかしら」


 お義母様が気にしたけれど、お義父様にくだらない、とあしらわれる。


「母さんは優しいな。あいつに快適に過ごしてもらう必要は無いじゃないか。後で問題にならない最低限の世話だけして、早く帰りたいと思わせた方がいい」


 ジリアムも不快そうに吐き捨てる。ユリアは『毒虫でも放り込んでおこうかしら』と物騒な言葉を口にしている。


「私は刺されたくないから、放り込む時は事前に教えてね」


 私は森の案内の為に訪問しなければならない。とばっちりを受けたら困るのでそっと抗議しておいた。この場所は警備兵の待機場にも近い。城の正面から見ると、待機場の奥にこの邸宅があり、一番奥に塔があるという配置になっている。ユリアが足を運びやすい場所だから本当に毒虫を放り込みそうで怖い。


 中には予め指示があった物品と、その他に必要そうな物を運び入れた。使用人が慌ただしく整えている。


「使用人には掃除、洗濯、食事の支度の最低限の世話だけを求めるそうだ。出来る限り一人で静かに調査したいらしい」


 お義父様が手紙を改めて確認しながら言う。


「あの、私はどうしたら良いでしょうか。森に入りたいと言われた時だけ同行すれば良いですか? その間、収穫は止めた方が良いでしょうか」


 私をどう使うかは、宿敵オズロに直接聞いてみる事になった。収穫は続けるよう、意地悪婆⋯⋯いえお義母様に強く言い付けられた。



 王都から宮廷の仕事でやってくるので、歓迎の意思を示す必要がある。しかも諍いがあった相手だ。他意があると疑われて困るのは身分が低い私たちの方だ。


 私たちは渋々、舞踏会の準備をした。自領と近隣の領地の主たる人物たちにも挨拶をさせて、地域全体で歓迎している事を示さなければならない。


(何で私が宿敵とダンスしなきゃならないのよ)


 この辺りでは、主賓と主催者の妻が最初のダンスを踊る事になっている。意地悪婆⋯⋯いえ、お義母様⋯⋯もう面倒だ。意地悪婆が『足が痛くてダンスなんか無理よ』と言い出し、ユリアは『手袋越しに毒って染みさせられるかしら』と物騒な事を言うため、その役目が私に回って来た。


「ジリアムを陥れるような怖い人と踊りたくないの」


 と可愛く言ってみたけれど諭されてしまう。


「母もユリアも心配だ。君にしか任せられない。それに俺にはこんなに美しい婚約者がいて、あいつの悪意になんて負けずに幸せだと思い知らせたいんだ。お願いだ、引き受けてくれ」


 美しい瞳で顔を覗き込まれてしまうと私には何も言えない。仕方なく引き受けた。


(うっかり、ついうっかり、ギュウギュウと足を踏んでしまおうかしら)



 予定通りの日程で数台の馬車が到着した。慌ただしく荷物が降ろされ、本人も馬車から降りてきた。


(あれがオズロ・ハインクライス)


 義両親とジリアム、ユリア、私の5名は馬車を降りて颯爽と歩くオズロ・ハインクライスに丁寧に挨拶の礼をした。領主であり伯爵であるお義父様よりもオズロ・ハインクライスの方が格上として挨拶を受けている。


(今は子爵だって聞いているけど、将来はもっと偉くなるって事ね)


 醜く卑しい顔をした毛むくじゃらの小男を想像していたけれど、実際のオズロ・ハインクライスはジリアムと変わらないくらい背が高く、切れ長の瞳にかからないくらいの黒髪をさらりと流した美しい男だった。


(性格は真っ黒の最低男のくせに)


 醜くあって欲しかった気持ちを持て余していると、隣でユリアも呟いていた。


「何よ見た目だけはいいじゃない」


 宿敵オズロは腹立たしいくらいに優雅な仕草で領主であるお義父様に挨拶をした。私たちの事は空気のように無視する。ジリアムにも視線を向ける事すらしない。


 ジリアムの方もそれ以上、自分から挨拶をする事は無かった。食事は一人で取りたいというオズロの為に、早々に塔の近くの邸宅に案内し、その日はそのまま顔を見る事無く過ごすことが出来た。


 その後の数日、オズロの姿を見かける事は無かった。朝夕に塔の光を灯す時に家に灯りが付いていたり、煙突から細い煙が出ていたり、窓が開いていたりと人がいる気配はあった。でも姿は見かけなかった。


 このまま関わらずに済ませられない事は分かっているけれど、自分から言い出したくなくて森への同行をどうするか誰にも質問しなかった。


「そろそろ調査を開始する頃だろう。明日の朝、朝食後にオズロ・ハインクライスが滞在する家に行って指示に従ってくれ」


 ついにお義父様からの命令が下る。沈鬱な顔をする私をジリアムとユリアが励ましてくれる。


 憂鬱な事はまだある。今夜は歓迎の舞踏会がある。


(宿敵オズロとダンスを踊らなければならない)


 私はため息をついた。ここ数日やる気が出なくて森での収穫をいつも以上に真面目にやっていない。小屋でお茶を飲んで昼寝ばかりしていた。さすがの意地悪婆も、ここ数日はお小言を言わない。息子を貶めた憎きオズロの様子に気を取られている。



 嫌な事があるとはいえ、舞踏会の為に着飾るのは少し心が弾む。ユリアが押し掛けて来て私の部屋で一緒に支度をしている。


「本当に、リリイナはその色がとても似合うわ」


 私の瞳の色に合わせた深い青のドレスは身体の線に沿った形で仕立てられている。ユリアが絶対に私に似合うと勧めてくれた。ユリアの方は大胆に裾に切れ込みが入ったものを着ている。動きやすさを重視しているらしい。


 ドレスの青と私の瞳の深い青は同じ色だ。髪の白銀色とも相性が良い。この家では意地悪婆に小言を言われないよう出来るだけ表情を消すようにしている。冷たいと言われる表情と、白銀色の髪と深い青の瞳から連想されるのか私は『凍てつく冬の花』と称されている。


「美しい氷の湖に咲く花のようだわ。本当に綺麗」


 ユリアはとても褒めてくれるけれど、私はユリアの方が美しいと思っている。


 彼女はドレスに情熱的な赤を選んでいる。ジリアムと同じ金色の髪を頭上にまとめた姿は、立ちのぼる炎のようで美しい。


 彼女は領地の内外から降るように縁談が来るのに一切受けない。一人で生きて行くと宣言している、そのゆるぎない強さも男性達を惹きつけてやまない。いつものすっきりした香水の香りが、潔さのようなものを醸し出し、私を惹きつける。


(香水か。いいな、憧れるな)


 ジリアムが私にも香水を贈ってくれると言った事があった。彼は女性に合う香水を選ぶのが得意だと言い、お義母様やユリアの香水もジリアムが選んでいる。そういう事に疎い年配の男性に代わって奥方の香水を選ぶ事も多いそうだ。


「俺の大切な君にも選ばせて欲しいのに」


 私は森に行くので香水をつけられない。人工的な強い香りは森の中で注意力を削ぐので避けている。私は自然の花を集める程度で我慢している。本当は私もジリアムに香水を選んで欲しい。


 私たちはお互いにドレス姿を褒め合い、家族の前に出た。


「リリイナ、本当に綺麗だ」


 ジリアムの熱い視線を感じる。ドレスの時にはジリアムに手を取られても、お義母様は口うるさく言わない。手袋越しとはいえジリアムと触れ合える貴重な時間だ。


「ジリアムも、いつも素敵だけど今日も本当に素敵」


 盛装をしたジリアムは絵画のように美しい。そのジリアムが私にうるんだ瞳を向けている。私の鼓動は塔の階段を駆け上った時のように強く打ち続けている。


「来たわよ」


 ユリアの言葉に全員が緊張した。広間では既に招待客が三々五々談笑している。私たちは入り口で続々と来る客を迎えて挨拶をしていた。


「お待ちしておりました、オズロ・ハインクライス子爵」


 義両親の挨拶に、宿敵オズロも丁寧に挨拶を返している。お義父様がダンスのことを伝えた。


「生憎、妻は足を痛めておりましてダンスが踊れません。大変申し訳ございませんが、息子の婚約者がお相手を務めさせて頂きます」


 私はお義父様の言葉に合わせて一歩前に進み出て礼をした。


 オズロ・ハインクライスは冷たく攻撃的な顔で私に一瞥をくれると、一歩進んでジリアムに向かった。


「あなたの婚約者か。容姿は見られなくもないが、踊りたいと思える程の知性は欠片も感じられないな。ダンスは遠慮させて頂こう」


 オズロ・ハインクライスは強くジリアムを睨みつけてから、凍り付いたその場を振り返る事もなく広間に入って行った。

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