宿敵の卑劣な仕打ちと絶対に断れない命令
『オズロ・ハインクライス』
この名をこの家で口にする事は禁忌に近い。
ユリアは父親に掴みかからんばかりに詰め寄った。いや、実際に襟を掴んで締め上げている。
「どうして? どういう事なの?」
お義父様は目を白黒させて襟を掴むユリアの手を離そうとする。
「ユリア、何だ急に。城にいたなら夕食の時間に間に合うように来なさい」
ユリアは父親から手を離すと、すっと背を伸ばして立ち冷たい目で父を見据えた。
「そんな事はいいから、何でこんな事になったのか早く話して」
ユリアはジリアムの1歳年下の妹で、私の義妹にあたる。年上だけど義妹だ。昔から武芸を好んだ為、現在は領地の警備隊長を務めている。ここは国境だけど隣国との諍いは全くないので、武力を持つ必要はなく、あくまで領内の治安を守る事とゴドブゥールの森への立ち入りを監視する為に警備隊が組織されている。
定期的に領内の見回りに出て城を不在にする事が多いので、今日のように彼女抜きで食事を開始する事が多い。
「ほら、早く!」
警備隊長だけあって凛とした振る舞いをすると、領主の威厳とはまた違った形で周りを威圧する空気が生まれる。お義父様も急き立てられるようにして話を始めた。
「国王から署名入りの命令書を賜った。複数の香草についての情報が必要らしいが、詳細は書かれていないから、宮廷にとって相当重要な調査だという事を推測するのがせいぜいだ。派遣される学者について、私には拒否するどころか意見すら言えない。いくら因縁があっても学者の変更など口に出来る状況では無い」
ジリアムが沈鬱な顔でつぶやく。
「俺が巻き込まれた事件は宮廷で口止めされている。だから、誰にも配慮される事が無かったのだろう」
ジリアムは6歳から王都にある王立学園に通っていた。この国の一般的な貴族の子弟は、6歳から18歳まで王都にある王立学園に通う。領地を運営する両親とは離れ、学校に通う子供は王都に構えた別邸に家令や使用人と暮らす。
この辺りのように王都から馬車で30日近くもかかるような辺境に住む場合は、男子だけが通い女子は家庭教師などに勉学を教わる事も多い。
貴族の子弟同士の横の繋がりや、宮廷との繋がりを持つ事、結婚相手を見つける事が目的なので、婚約者が決まっている私や、この地から一生離れるつもりがないユリアは、それぞれの両親が通わせないないという選択をした。
ちなみに私の実の兄は王都の学校に通い、そこで妻を見つけて来た。
王都の学校を卒業する事なく、ジリアムは領地に戻って来た。高等部2年生の時に問題を起こして退学の処分が下されたからだ。
「全て、あいつらのせいだ」
陥れられたのだと、今でもジリアムは酔うと悔しそうに口にする。
オズロ・ハインクライスは上流貴族の子弟らしい。伯爵家嫡男のジリアムより身分が上らしいけど正確な事は聞いていない。彼には双子の妹がいて、その妹が一方的にジリアムに恋心を抱いていたそうだ。
ジリアムには私がいたし、オズロの妹にも婚約者がいた。それでも、その妹はいかに婚約者が自分に酷い仕打ちをするかを切々と訴え、助け出して欲しいとジリアムに懇願したのだそうだ。
あまりに哀れな姿に同情したジリアムは、彼女の婚約破棄の手伝いだけを承知し、二人を恋仲だと見せかけたいという願いを聞き入れた。
「もちろん本気で恋仲になったわけじゃない。彼女には惹かれなかったし、俺にはリリイナがいる。その事は念を押してあったし、彼女も了承していたんだ」
結婚が可能になる16歳だったオズロの妹は今すぐに結婚させると言う両親の意見を変えさせて婚約を白紙に戻す為に、ジリアムに協力を求めたと言っていたそうだ。
「俺しか頼れない、そう言った彼女に同情した。でもそれは彼女の策略だったんだ」
オズロの妹は、ジリアムと二人で駆け落ちしたと両親と周囲に思わせた。それを連れ戻しに来たのが双子の兄であるオズロ・ハインクライスだった。オズロはジリアムが妹を騙して連れ出したと一方的に言い張り、驚くべき事にオズロの妹も同じ事を言った。
家柄と宮廷との繋がりの強さから、オズロと妹の言い分だけが認められ、ジリアムは学校を退学になった。王都を払われ二度と立ち入る事が許されない身となった。
「彼女は、俺の心が自分に向かない事を知って全てを壊そうとしたんだ。俺の名誉を踏みつけにして王都から追放し、自分の目の前から消し去ろうとした。しかも、オズロは妹可愛さに、彼女の気持ちに応えなかった俺が彼女を深く傷つけたと憎んでいる」
ジリアムや私達にとって、オズロ・ハインクライスとその妹はジリアムの名誉と心を傷つけた憎むべき相手だ。
上流遺族の娘の醜聞は固く口止めされ、知る者は限られている。ジリアムは何かしらの問題を起こして王都を払われたと噂されたが、真実を証明出来ない彼は釈明すら出来ない。友人も含めたほぼ全ての人間と繋がりを絶ち、失意と深い傷を抱えてジリアムはグーデルト領に戻って来た。
「よりによって、そのオズロ・ハインクライスが来るなんて」
ユリアが悔しそうに言う。お義父様が息子を気遣った。
「お前は出来るだけ関わらないようにするんだ。対応は全てリリイナに任せよう」
突然名前を出されて、心臓が口から飛び出そうになる。
「え、私ですか!」
お義母様が、馬鹿ね、という顔をする。
「当然でしょう。ゴドブゥールの森の調査に来るのだから、あなたしか同行出来ないでしょう? 他の面倒も全部あなたに任せるわ。私たちは誰も彼に関わりたくないもの」
(私だって関わりたくないわよ)
ジリアムが悔しそうな顔をした。
「俺の大切なリリイナを、あんな奴の目に触れさせたくない。でもリリイナしか森に入れない」
「あいつ、あんな事をしておいて、よくこの領地に顔を出せたものだわ!」
険しい顔をして怒っていたユリアは、急ににっこり笑った。
「ふふ。ここは魔獣が多い危険な土地よ。どんな事故が起きるか分からないわね。王都育ちのお坊ちゃんには危険がいっぱい。無事に帰れるかしらね」
「馬鹿者! 宮廷の命令で受け入れた学者に怪我でもさせたら大変だぞ。絶対に手出しするな!」
父の言葉にユリアはにっこり笑顔を崩さない。
「やだわ、お父さま。私じゃない。魔獣が襲うんだから仕方ないじゃない」
「森で魔獣に襲われたなら、私達のせいじゃないわね。リリイナだけの責任です。この子はまだグーデルト家の人間ではありません。ご実家の伯爵家に責任を負ってもらいましょう」
(何ですって! この意地悪婆さんめ!)
つい本音が漏れてしまったけど、顔には出さないよう慎重に気を付ける。実際には婆さんというほどの高齢でもないけど。どうにも、ゆるい家風で育った育ちの悪さがこういう時に出てしまう。
「母さん、やめてくれ!」
「駄目よ、お義姉様が咎められるくらいなら、オズロを退治する他の方法を考えるわ」
ユリアがテーブルを回って私の方に来て、立ったままぎゅっと抱きしめてくれた。すっきりした香水の香りがする。警備隊長をしている勇ましさと、こういう女性らしさの差が私にはたまらなく魅力的に思える。お義母様に辛く当たられても心が折れずに過ごせるのは、ジリアムとユリアのおかげだ。
「大丈夫よ、大好きなお義姉様の事は頼りないお兄様じゃなくて、私が守ってあげるわ」
「酷い事を言うな、ユリア。俺だってリリイナを守れる」
不快そうに兄妹のやりとりを見るお義母様の顔を眺めながら、私は絶望感でいっぱいだった。
(憎いオズロの面倒を見なきゃいけない上に、私の森での自由時間が奪われるって事なの?)
その晩はずっと、宿敵オズロをどうやって『誰にも防げなかった』魔獣の事故で王都に追い返すかを考えて眠れなかった。殺さなくても良い。王都に帰りたくさせればいいのだから、何か手立てがある気がする。
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