魔獣の森を彷徨うたった一人の人間

 森の中は昨日の雨の影響であちこちが湿っている。私は水溜まりと辺りの魔獣の魔力に気を配りながら収穫物を探す。


(やだなあ。こういう日は泥まみれなっちゃうんだもん)


 ゴドブゥールの森には魔力が溢れている。大昔の調査では森の地中深くに、豊かな魔力を持つ魔獣の死骸が埋まっていたそうだ。


(おかげで誰も入れないんだから、魔獣の死骸様々ね)


 お義母様の目が厳しくて城に居づらい私にとっては森の方がくつろげる。ここには私しか入れないから、人の目を気にせず自由に振る舞える。


 この魔力あふれるゴドブゥールの森は、国の決まりで許可された者しか立ち入ることが出来ない。この地域で許可されているのは私だけだ。


 立ち入り禁止になっている理由は2つ。


 数多い固有の動植物を保護する為。

 どの土地よりも魔獣が多く生息していて危険がある為。


 魔獣はただの獣と違って人間の魔力を吸う。どのように生まれ、どういう暮らしをするかなどの生態はほとんど分かっていない。魔力を吸われる危険に見合うだけの学問的な価値が無いとされていて、専門で研究する人は少ないらしい。


 人間の魔力は体力に例えられる。ほとんどの人間は存在すら感じる事なく生きているけれど、魔獣にそれを吸い取られると命を失う事もあるし、助かっても正気を手放してしまう事もある。特に中型以上の魔獣に出会う事は命の危険とみなした方が良いくらいだ。


(見つけた!)


 私は木の根元に少し顔を出している黄色いキノコを手に取ってかごに入れる。ちょうど良い育ち具合だから高く売れるだろう。


 理由は分からないけれど、魔獣は一定以上の魔力を持った人間を襲わない。一説には、自分より強い魔力を持つ者に対しては、獣、人を問わず避ける本能があるらしい。この領地で、森に生息する魔獣に襲われない魔力があるのは私だけだ。


 だから、この森にいる人間は私だけ。


「もう1個見つけた!」


 少し離れた木の根元にも同じキノコを見つけた。こちらは色味が少し足りないので、さっきのキノコよりは価値が低いかもしれない。


「今日はキノコしか無いかなあ」


 本当は魔獣鹿の角でも見つけられると、お義母様のご機嫌が一気に良くなる。でも、そう頻繁に見つかるものではない。


「かと言って収穫し過ぎても駄目よね」


 森の恵みを適度な量、お義母様に叱られない程度に頂く。加減が難しい。


 私が求められている役割のほとんどは、魔力に依るものだ。朝夕に行っている城の塔の明かりの点灯と消灯。同じように鐘も鳴らす。どちらも魔力が動力源となる魔道具を使う。


 一番大きな仕事は、私しか入れないこの森で魔力が満ちた物を収穫すること。キノコや希少な薬草、香木は、魔力が満ちているが故に高い値が付く。魔獣の死体や落とした角も同様に高い値が付く。


 これは豊かなグーデルト領にとっても、無視出来ない額の収入になる。彼らが私を婚約者のうちからグーデルト城に住まわせているのは、この収穫作業の為だ。気が進まない作業だけど、お義母様の機嫌を損ねない為にやるしかない。


 やがて森の中央付近にある小屋が見えて来た。城の私の部屋2つ分くらいのこじんまりした小屋で、残された物から、元はここで魔力の研究をしていた人間が住んでいたと推測している。先代の森番も利用していたらしいけど、公にはなっていない。今は、私だけが知る秘密の小屋。


 力を入れて扉を開いた。シャランという連なる鈴が響かせる音と共に、中から花の香りが漂う。春に集めて乾燥させておいた花は1年を通して良い香りで部屋を満たしてくれる。


 私は机の上に立ち、天井近くの窓を開けた。そしてお茶を沸かして読書に入る。


「お義母様にバレたら、お小言どころじゃ済まないわね」


 お義母様が私を働きものじゃないと言うのは、あながち間違っていない。グーデルト領は十分豊かなのだから、そこまでお金を必要としていないはずだ。とにかく、私をこき使って難癖をつけたいというお義母様の意向としか思えない。


 この森には誰も入れないので、私が小屋でのんびり過ごしている事は誰も知らない。もちろんジリアムにも言ってない。優しいジリアムは、天候の悪い日には私が森に出なくて済むようお義母様を止めてくれる。


(本当は城で監視されるよりも、ここでのんびりしてる方が好きなんだけどな)


 でも、ジリアムの優しさには感謝している。だから、そういう時は気を付けた言い方をして森に来る。


「ありがとう、ジリアム。でも私は少しでも役に立ちたいの。だからこんな天気くらい平気よ。森に行ってくるわ!」


 ジリアムも、早くお義母様に認めてもらって結婚したいと言ってくれている。だから強くは引き止めない。


「今日は午後に香木の1本でも見つけたら帰ろうかな」


 私は日々を平穏に過ごしていた。



 私の平穏が破られたのは夕食の時間だった。


「ジリアム、来月に来客がある。1年ほど滞在する事になるのだが⋯⋯」


 お義父様が歯切れ悪い。威厳ある領主として振る舞う事が多いお義父様が、こんな風に曖昧な態度を取ることは珍しい。ジリアムも不審な顔で質問をする。


「1年、ずいぶん長く滞在しますね。何か理由でも?」

「ゴドブゥールの森の植物の調査の為に学者が来る。1年を通して全ての季節の調査を行うそうだ」


 私は口に入れた肉を危うく吐き出すところだった。素知らぬ顔を取り繕って肉を飲み下す。


(え! 森の調査? 森に入るの?)


「国からの指示で学者が派遣されると言う事ですか?」

「ああ、学者は学者なんだが⋯⋯」

「何かその学者に問題でも?」


 お義母様は、静かに夫と息子のやりとりを窺っている。私も気配を消して見守る。


「派遣されて来るのは、オズロ・ハインクライスだ」


 食卓が凍り付いた。


「何だって⋯⋯」


 ジリアムの顔から表情が抜け落ちる。


「それって、お兄様を学校に居られなくした奴じゃない!」


 いつの間にか食堂の入り口にいた、ジリアムの妹のユリアが父親の声に叫び声をあげた。

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