魔力溢れる者としての役割、婚約者としての役割

「これで最後、あと少し! 頑張れ私!」


 6基ある塔の一番最後。息を切らして階段を最後まで上ると、人が10人ほど手を繋いで輪になれる程の広さの部屋に出た。塔の最上階の部屋は他の部屋とは違って腰より上の高さが全て窓となっている。天井も高いので開放感があり、遠くまで森が見通せて気持ち良い。


 しかし婚約者のジリアムは、大風が吹いた時の危険さを考慮していない設計だと、塔の話題が出るたびに文句を言う。彼はここには近寄りもしない。


「本当は高い所が怖いからなのにね」


 私にとってはそんな強がりも愛おしい。全てにおいて完璧な彼には、このくらいの欠点があってちょうど良い。


 私は窓を全て開け放ち、入り込む空気を思い切り吸い込んだ。夏とはいえ日が昇ったばかりのこの時間の空気はまだ、階段を上って火照った体が心地よく感じる程度には涼しく感じる。


 それでもこの季節の緑の香りは一年を通して一番濃く感じられ、鳥や虫の鳴き声が五月蠅いくらい大きく聞こえる。


(やっぱり、もう夏か)


 中央の台座に歩み寄り、一抱えもある大きな宝石を納めたガラス箱を覗いた。薄紫色の宝石は日差しの中でも分かる程度に仄明るい光を発している。ガラス箱の下半分には細かい金属の装飾が施されており、その装飾は手前のリンゴくらいの大きさの金属球とガラス箱を繋いでいる。


 金属球の突起を両手で包むと、私は数回深呼吸をして気持ちを落ち着ける。宝石に意識を集中した。


(一晩ありがとう。消えていいわ)


 気持ちと共に魔力を突起に流し込む。魔力が弱い人には何度説明しても分かってもらえないけれど、吐く呼吸と一緒に突起を包んだ手に意識を集中させる事で魔力を流し込む事が出来る。


 淡い光が宝石の中に吸い込まれるように消えた。


「これでおしまい!」


 国境に位置するグーデルト領は広大な森を抱え、その中央に位置する城はとても広い。ここと同じような塔が全部で6基あり、それぞれの頂上に設置されている灯りを毎朝消すのが私の仕事だ。


 もちろん夕方に灯すのも私の仕事。これは私にしか出来ない。


(この領内で魔力が一番強いのは私だから)


 このグーデルト領を含む国境の地域には身分を問わず魔力の強い人間が生まれる。この辺りの領土出身の者が他の領地に行っても魔力の強い子は生まれないので、土地に起因していることは確かだけど、正解は誰にも分からない。


 その為、この地方では生まれてすぐ赤ん坊の魔力量を調べる決まりがある。泣く赤子を特別な籠に入れると宝石が光り、その強さで魔力を測る。


 宝石が最高の強さを示す虹色に輝くと、その子は魔術院に連れていかれる。それは極秘に行われる事で家族はその子とは二度と会えないと聞く。魔術師になるらしいという噂は聞くが、その後の行方は誰にも分からない。家族は、連れ去られた子供は死んだものと諦める。


 心配しなくても、そんな子は10年に1人も生まれない。


 しかし、もっと少ないのは半端な魔力を持つ子。宝石が色を放たないまでも、見守る衆人の目を焼きそうな程に強く輝く場合、その子は領地の宝となる。俗世における最高の魔力を持つ子は、魔力溢れる森の番人になる。


 それが私だ。


 私はグーデルト領の隣に位置するフィルハム領の領主の娘だった。父は伯爵を拝命していたので、私はリリイナ・フィルハム伯爵家令嬢と呼ばれていた。魔力が強く家柄も良かった私は、グーデルト領の嫡男のジリアムの婚約者として、今このグーデルト領の城にいる。


(さ、急いでジリアムを起こしに行かなきゃ)


 城を幻想的に見せる塔の灯りの管理は魔力がある私の役割だ。この灯りは魔道具といって魔力を動力源とするため、私くらい強い魔力が無いと稼働させられない。


 ジリアムを起こすのは、婚約者としての役割だ。


 急いで塔の階段を駆け降りて城に駆けこむ。途中で会う使用人と朝の挨拶を交わしながらジリアムの部屋まで駆ける。


 ちなみに、城内を駆ける事も使用人と気安く挨拶することも、お義母様に見つかったら淑女らしくないとお小言を頂く振る舞いだけれど、幸いな事にお義母様は朝が弱い。


 ジリアムの部屋の前で乱れた呼吸を整える。手で髪を整え、見下ろして服装を確認する。


 こんこん。


 扉を叩く。少し間を空けてから扉を開いて中に入る。


 カーテンが引かれている室内は日差しが遮られていて薄暗い。カーテンを開けようとして、奥の寝台で休むジリアムがごろんと寝返りを打った事に気付いた。


「あら、もう起きていたのね!」


 ジリアムは、うっすらと目を開けて私を見ていた。そして優しく微笑む。


「おはよう、僕のリリイナ。今朝も美しいね」


 彼は顔にかかる髪を手で払い枕に流す。薄暗い部屋の中でも金色の光が流れる。


「こっちにおいで」


 寝具の中から手を伸ばす彼に、私の心臓が鼓動を速くする。


「おはよう、ジリアム。今日は良い天気よ! さあ、起きて」


 私は彼の方には寄らず、窓のカーテンを勢いよく開ける。さっと光が差し込みジリアムは私に差し伸べていた手で目を覆った。


「わ、眩しいよ!」


 私は全ての窓のカーテンを開けた。ジリアムは身を起こすと、目を閉じたまま伸びをした。そして拗ねた口調で言う。


「そばに来て優しく起こしてくれたっていいのに」


 眩しさを我慢しながら目を開こうとする姿は可愛くて、ずっと眺めていたくなる。


「もう、起きていたでしょう?」

「寝ている時だって、絶対に近寄ってくれないじゃないか」

「お義母様に叱られてしまうもの」

「『触れたり、必要以上に近寄ってはなりません』だよな」


 ジリアムのお義母様の口真似が面白くて私はほほ笑む。


「全然似てないわ」

「そんな事ないだろ? そんな意地悪を言うリリイナは捕まえて抱きしめてやる!」


 寝台から飛び出して私に向かってくるジリアムを、するりとかわして私は扉に手をかけた。


「ここなら母さんに見つからないから、いいじゃないか」

「早く支度をしてね」


 不満そうな声を出すジリアムを背に部屋の外に出た。私が出て来るのを待っていた侍女たちが代わりに部屋に入る。


(毎朝これなんだから)


 お義母様は、このグーデルト家の格式に見合った家風を保つことを使命としている。同じ伯爵家とはいえ、比較的緩やか家風で育った私を良く思っていない。


(お義母様に認めてもらえないと、いつまでたっても結婚出来ないもの)


 本当は私だって、ジリアムを優しく揺すって起こすとか、あの美しい金色の髪を撫でてみたいと思う事がある。


(きゃあ! 想像しただけで心臓が爆発しちゃう!)


 部屋の中で少しくらいジリアムに触れても、お義母様の耳には入らない事は分かっている。


 でも、ジリアムに近づく事に慣れてしまうと、お義母様の目がある所でついうっかり触れてしまうなど自制の利かない振る舞いをしてしまいそうで怖い。


 この婚約が決まったのは、まだ幼い6歳の時だ。一般的には幼い頃からの婚約の場合は、17歳から18歳頃が結婚適齢期となる。私はもう18歳になった。ジリアムは22歳になるのに、お義母様のお許しを得られないから私たちは結婚出来ない。少しでも早く認めてもらいたい。


(今朝も、私のジリアムは素敵だったな)


 窓から差し込む日差しに輝く金色の髪と、私を見つめる青い瞳を思い返しながら、私は着替える為に自分の部屋に向かった。6基の塔の階段を上る為に動きやすい軽装をしたままだ。朝食の時には、もう少し淑女らしい服装をしていないとお義母様に叱られてしまう。


 食堂に入ると既にお義父様とお義母様が席に着いていた。私は丁寧に挨拶をして自分の席の前に立つ。少し皿の位置を変えたり、服の裾を整えたりしてジリアムが来るのを待つ。先日、先に座っていてお義母様に叱られたのだ。


「鬱陶しいわね。さっさと座ったらどうなの?」


 今日は座るのが正解だったようだ。未だにどちらが良いのか正しく判断出来ない。そういう所がお義母様に言わせると『育ちが悪い』らしい。


「おはよう、父さん、母さん」


 うっとりするような笑顔で、ジリアムがやってきた。私は慌てて立ち上がって彼が義両親と挨拶をして座るのを待つ。


「遅かったな、ジリアム」

「おはよう、私の可愛いジリアム。今日も見惚れてしまうわよ」


 お義母様はジリアムの顔を見ると急に機嫌が良くなる。お小言が少し減るので、ありがたい事だ。


 安心するのは早かった。食事が始まってすぐに、お小言は始まる。


「リリイナ、昨日の収穫は随分と少なかったのね。甘やかされて育ったあなたが働き者じゃない事は、重々承知していますけど、それにしてももう少し役に立とうという気にはなれないのかしら。少し魔力が強いからって、それを鼻にかけて嫌な子ね」


 言い訳をしてはいけない。私は野菜を切っていたナイフとフォークを置いて、両手を膝の上に揃えてしっかりと謝罪の姿勢を示す。口を開いてはいけない。


「森で昼寝でもしているの? 本当に育ちが悪くて――」

「母さん!」


 ジリアムが不機嫌そうな顔をしてお義母様の言葉を遮った。


「リリイナは下女じゃないんだ。それは分かっているでしょう。彼女は出来る限りの事をして役に立とうと頑張っているんだ。俺の前で二度とこういう事は言わないでくれ」


 お義母様は尚も不満を口にはしたものの、息子の手前、私に対する攻撃の手を緩めてくれた。


 そう、これは攻撃だ。昨日の収穫は決して悪くない。お義母様はとにかく私の事が気に入らなくて、する事なす事全てに不満を表す。


 ジリアムの視線を感じて横を見上げる。気遣わし気に私を見る彼を心配させないよう、私は目だけで微笑んで感謝を示した。お義母様に見つかるとまた機嫌を損ねるので、すぐに視線を食事に戻す。


 これが日常。ジリアムは折に触れて庇ってくれるけれど、お義母様の態度が変わる事は無い。


 私はふう、とため息をついて食事を早く終わらせようとフォークを口に運んだ。お義母様の気が済んだと見たお義父様が、ジリアムと執務の話を始めた。

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