2話 まだ終わっていない

 リザヴェータは一方的に話を中断させた。

 それからソニをなかば押し込むようにしてベッドルームに入れた。

 ソニの表情を見る限り、納得している様子はない。おとなしく寝てくれるとは思えず、まんじりとせず過ごすことになるだろう。

 ただ、ひとりになったほうが気持ちの整理もつきやすい——と、これは建前みたいなものだった。大人組のほうがソニへの答えに迷い、かつ吐き出したい愚痴があったせいにほかならない。

「あー……胸クソ悪い」

 リザヴェータはソファーに倒れ込んだ。足がはみ出ているが気にしない。そのまま、ぐったりと脱力した。

「自分がとんでもなく無責任で無能に思えてくる」

「そこまで背負わなくていいよ。保護者じゃないんだから」

 平静なようすの流花が、手っ取り早い薬を提案してきた。

「気分転換に少し呑もうか?」

 いつものリザヴェータなら、答える前からダッシュでグラスを取りに走るのだが、

「……やめとく。悪酔いしそう」

 いささかの心残りを残しながら断った。もう少し、しらふで考えたいことがあった。

 トニーが更生施設を調べていたとは、まったく知らなかった。

「こっそり逃がせると思ってたのかどうかはわかんないけど、アントニアがそこまで考えてたなんてね……」

「バイロンに『こっそり』なんて通じる?」

「……だよね。アントニアの考えそうなことなんて、ボスには予想がつくよね」

 バイロンの洞察は、敵対組織だけでなく内側にもむけられる。部下へのフレキシブルな対応は、部下のことをよく把握していてこそだった。

 バイロンが短期間で幹部になった所以でもある。シノギの新規開拓だけで、のしあがったわけではなかった。

「仮にアントニアが正直に構成施設を提案したとしても、バイロンはソニを手放さなかったと思う。今夜の交渉ゲームにしても、ソニを買ってるからこそ仕組んだんだろうし」

 このゲームで<アクイラ>の連中を退けた。とりあえずは安全になったはずだが……

「ソニには施設を勧めたけど、まだバイロンの目が届くところに、おいとくほうがいいのかなあ。立会人もないままじゃ、ゲームの結果をないがしろにされるかもしれない」

「ほとぼりが冷めるまで? でも、それやったらソニは逃げ出すチャンスを失うことになる」

「ずるいことしてる……。ベストの答えがわかんないから、まだ子どものソニに判断させようとしてる」

 もそもそとリザヴェータは起き上がった。膝を折り、ソファにぺたりと座って腕を組む。

「ボスはあたしたちを大事にしてるのか、捨てるのモッタイナイで扱ってるだけなのか、わかんないとこがある。それでソニへの答えも迷うんだよね」

「だから、ソニに銃を出させなかった?」

 これまで使っていたソニのハンドガンは、まだ彼女の手にあった。

「取り上げようとしたら、きっと素直に従ってくる。でもそれじゃダメだよね? 返すなら自分から出さないと意味がない。このまま出さないとしたら……」

 ソニの意思は尊重したいが、それで大丈夫なのかも不安。唸り声しか出てこなくなった。

「一旦中断しよう。このまま考えても、同じとこをグルグルしそう。思考放棄ってわけじゃなくて、ベターの策で進んでみて、ときに応じて自律的に立ち回てるってことで」

「そだね……」

 流花の妥協案に同意する。リザヴェータはソファーから勢いよく立ち上がった。

「という解決を得たところで、やっぱり呑もうっ! 予定外の海水浴で身体を冷やしたし」



 立ち直りの早いリザヴェータに、流花は目を細くした。

 いささか大雑把なところがあるが、これぐらい楽観ポジティブな人間が、自分のパートナーにはちょうどいい。

 組織の構成員としてのリザヴェータは、はっきりいって二流になる。それでもバイロンが無下に扱わないのは、リザヴェータ単独での価値とは別のところを評価しているからだ。

 組んでいる相手の力量を引き出すブースターのような能力があり、過度の緊張をやわらげるムードメーカーでもあった。

 別の組織なら末端でくすぶっていそうな人間が、それなりのポジションを与えられる。これで励まないやつはいないし、慢心すれば今度こそ捨てられる。

 そういう待遇をされる場所であることをソニは感じとっていたのかもしれない。

 一般社会という場所で、〝まっとうな〟働き口といいながら、全然まっとうじゃない働き口が、どれだけあることか。



 ひとりになったソニは、ベッドに腰掛けてパンフレットを眺めた。

 施設の理念といったものには何の興味もわかなかった。事業のひとつ、パン製造に少し興味をひかれたぐらい。

 ——ボスがついててくれたほうが安定して工房を続けられる。

 リザヴェータの言葉を反芻する。

 しばらくしてソニは、ベッドのそばに設置されていた電話に手をのばした。受話器を外し、音をおさえるようにダイヤルをゆっくり回す。

 テレフォンナンバーは覚えてあった。


     *


 オーダーを紙袋に入れながら、パン屋の店員が愛想をふりまいた。

「ずいぶん早くに出社されるんですね」

 市内を南北に走るメインの通りがあり、地下鉄も二つの路線が乗り入れている利便性から、オフィス街がひろがっているエリアだ。仕事中毒なビジネスマンと誤解されてしまった。

 いつものことにルブリは、いつものパターンで返した。

「残業より早朝出勤で片付けるほうが、はかどるんですよ。電話や上司にジャマされたりしないから」

 早朝にも関わらず、寝グセも無精髭もない顔。ノーネクタイにイタリアンカラーのシャツと、かっちりしたジャケットスーツ。

 ホワイトカラーと間違えて当然だし、誤解されるように狙ってやっていた。

 支払いをすませて店を出た。気分をかえるために店内で食事をすませてもよかったのだが、病室に帰ることにする。

 目を離したくなかった。

 戻る途中にあった新聞屋の店先で朝刊も買っておく。<テオス・サービス>の業務で普段から出入りしている病院に戻ると、勝手知ったる通用口から入った。

 個室の主は、まだ眠りの底にいた。

 ぬるくなっているポットの湯で、ティーパックの紅茶をひたす。

 まずい……。味オンチのトニーでも、もう少しましな紅茶を飲んでいただろう。

 そばにいない相棒に思いをはせながら、ベッド脇のテーブルに腰を落ち着けた。新聞に目を通しながら、夜食かモーニングかわからないサンドイッチをかじる。

「なあ、いつもそんな格好なの?」

 まぶたを重たげに開けたルジェタが、かすれた声で訊いてきた。

「起きたか。おれが黒スーツ着たところで、ただの喪服になるからな。あと、あんたのぶんのモーニングは、もう少し待ってくれ」

 とっておきの薄味な病院食を配膳してくれる。

「できそこないのエリート会社員みたいなファッションが好きなんだ」

「センスに秀でているとは思ってないが、そんなに酷いか?」

「おまえには合ってるかもだけど」

「いくら食っても肉がつかない身体なんだ。タトゥーをのぞかせたところで、三下くささが増すだけ。ヒゲも薄いから、のばすと貧相の上塗りになる。こんなぐあいで、相応の見てくれがつくれない。そこを逆手にとってる」

「でもバカにされない?」

 退屈なのか、あれこれ訊いてくる。面倒がらずに相手をするのが、類沢〝ルブリ〟ルーシャンだった。

「侮ってかかってくるなら、おれにとってはラッキーだ。見くびって軽くみてくるやつは、同時にスキも見せてくる。扱い方がうまいボスにつくと、案外おれみたいなもんでも働けるものさ」

「わたしみたいな間抜けを拾って手なづける役とか?」

「自嘲的になってるな。まあ、怪我が治れば考え方もかわるさ」

「わたしたちは、なめられたらデッドエンドになる。おまえみたいなやつ、初めてだ」

「なめられても最後に逆転してザマアミロにすることだってできるんだ。結果が出せるなら、おれは途中経過にこだわりはない」

 ルジェタがルブリをじっと見る。

「確かに、それはそれで強みだな」

「あんたみたいにシャープなルックスとは程遠いやつの足掻きだよ」

「ルックス、ね。おまえの相棒……ウィダだったっけ? 小娘だと思って甘く見てたのかもしれない」

「ウィダにも復讐するか?」

「目標は間違えない。処分するのは、わたしの失敗作になったソニ・ベリシャだ」

「けど、あそこまで腕をあげたのは、あんたが育てた成果じゃないのか?」

「命令を聞かずに勝手に動く誤作動をおこしてる。どれだけ部品がよくても、組織に組み込めなければ、ただのゴミだ」

「冷徹に効率的でいくんだな」

 さてそれで、おれたち部品がどれだけ能力とやる気を発揮できると思う?

 後半はもちろん、おくびにもださない。機嫌よく働いてもらわないと。

「うちのボスからの伝言だ。早期にオーダーを片付けたら、報酬の上乗せするってさ」

「情報のサポートがあれば応えられる。そこはおまえが頼りになる」

 ルジェタが口角の片方をわずかに引き上げた。同意を求めたらしい。

 ルブリも口元だけの笑みで返す。新聞に視線を戻した。

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