6章 屍食鬼《グーラ》の采配

1話 不確かなホーム

 商業とエンターテイメントの街から、観光名所をそなえた緑豊かなベッドタウンへ。

 住む場所がかわってから、ソニの生活習慣もかわった。夜型が朝型になり、二ヶ月を過ぎようとしている。

 もうひとつ大きく変わったのは、銃にさわらなくなったこと。

 当初は、武器をなにも持っていないという状態が落ち着かなかった。いきなり襲ってくる人間などいない世界にきたのだから、そんな心配は無用なはずなのに。

「一般市民」の当たり前の生活に違和感をもつ。なんとも妙な話だった。

 日用雑貨のように手に馴染んでいた銃を手放し、いまはスケッパーや刷毛、粉ふるいといった道具を毎日手にしていた。ナイフを持つことがあっても、パン生地に切り目を入れるクープナイフやパンナイフになった。

 ソニは、社会復帰支援施設に入っていた。

<フェロウ・インダストリーズ>という更生施設が、いまの生活の場だ。

 非行行為や犯罪に手を染めていた若者に仕事を覚えてもらい、再出発をうながす——。

 そんなコンセプトを聞いても、ソニはいまひとつピンとこなかった。

 トニーが葬儀社、リザヴェータや流花がパン工房といったぐあいに、社会的な正業もやっていた。生業をもったまま、非合法に生きることもあるわけだから。

<フェロウ・インダストリーズ>の仕事は大きく分けて、ベーカリー部門、併設しているカフェの営業、それらの全体の運営業務と、大きく三つに分かれていた。

 当初は、カフェでの接客業務を勧められたソニだが、パン工場を希望した。

 短い間ながら一緒に生活した人と通った、パン工房で聞いた台詞が耳に残っていた。

 ——酵母が働いてる生地って、ほんのりあったかくて気持ちいいよ。

 リザヴェータが言ったとおり、本当にあたたかいのか確かめてみたかった。

 それからノヴァク中谷リザヴェータのパートナー、松岡流花の気持ちを埋めたというパンづくりが、どういうものなのかという興味がある。そして、期待した。

 欠けた胸の内が埋められるかもしれない。


     *


 撃たれたトニーを医者にまかせたあと。

 ソニは<ジュエムゥレェン掘墓人>のセーフハウスのひとつへと流花に連れられていった。

「寝室の床にあったのは、これで全部ね」

 ソニのものだという報酬は、代わってリザヴェータが取りにいってくれた。一部を現金に、残りすべてが通帳にまとめられている。

 持ち運びやすい形に用意されていたのは、ソニを抜けさせる可能性を以前から考えてのこと。トニーの思いやりだとしても、ソニには割り切れなかった。

 感情を持て余しているソニに、A4サイズの封筒をあらためた流花がいった。

「ソニみたいな境遇の子を受け入れてる施設がある。連絡はつけてあるから、そこでやり直せってことみたいだね」

 意外に——は失礼だが——流麗な文字でつづられたトニーのメモと、<フェロウ・インダストリーズ>と印字された簡素なパンフレットを流花から差し出された。

「ルカさんたち、アントニアさんと同じこと、言いますか……?」

 パンフレットに目を通したリザヴェータがうなずいた。

「あたしは、悪くない話だと思う」

 流花が、ややくぐもった声で付け加えた。

「ソニを<ジュエムゥレェン掘墓人>から一人で放り出すことには反対だった。けど、<ジュエムゥレェン掘墓人>を離れるのは悪いことじゃない」

 流花の頬にある、引きつれた傷痕を見ると、そういう結論を出す気持ちはわかった。ソニの将来を考えての答えだ。

 かといって、納得できるものでもなかった。

「わたし、役に立ちませんか……?」

「そうじゃない。銃のない世界のことを、もっと知るべきだと思うから」

 流花が、噛みしめるように話す。

 その肩にリザヴェータが手をおいた。代わって続けた。

「バイロンは面倒見がいい。けど、ソニが使い物にならないと判断したら、容赦なく切り捨てるよ。それはアントニアや、あたしたちもおんなじ。道具として、どれだけ有効に使えるかで取捨選択される。こんなところに、ソニの未来を預けなくていい」

 道具でもかまわない——。

 そう考えるほど、ソニは別の場所での未来を思い描けない。



 流花の頬の大きな傷痕は、死の淵から逃れてきたしるしだった。

 顔面に銃弾を受けながら、命は助かった。一方で、精神的なダメージは大きく、仕事に復帰できないままでいた。

 そんな折り、キッチンに残っていた小麦粉でつくったロティ(無発酵パン)をきっかけに、小麦粉をこねることに没頭していった。

 壊すことばかりしてきた反動か、つくることで精神の均衡を保つようになった。

 ブレッドをつくることが文字どおり「日々の糧」となった流花に、パン工房の開業を勧めたのはバイロンだ。職人気質な流花を見通して、趣味でやるより客の反応を見てやる商売のほうが面白いだろうと、開店資金も援助した。

 いままでの仕事をねぎらう恩賞ではない。

「手駒を手放さないためだよ」

 リザヴェータの表情に苦みが入る。

「たとえ社外で兼業されても、武装担当の<熟練者>を残しておくほうが、バイロンにとってメリットがあるの。誰でも<熟練者>になれるわけじゃないし、育てるのも大変だからね。

 あたしたちにしても、スポンサー……つまりバイロンね。ボスがついててくれたほうが安定して工房を続けられる。ブレッドはつくりさえすれば売れるものじゃないからさ。ここまではわかる?」

「おたがい、妥協しあった?」

「うん。経営に余裕ができたら、売れるブレッドばっかし気にしなくていいじゃない? つくりたいブレッドに手が出せる。

 相互に助け合ってるっていえば聞こえがいいけど、結局、組織からは抜けきれない。バイロンが簡単には切り捨てないというのは、手元に置いて利用しつくすということでもある。こちらの意思をくんでくれる点だけ、まだ幸運ってとこかな」

 ソニは思い出す。ルジェタが言っていた、

 ——組織から抜けるのは死体になったときだけ。

 どの組織でも同じなのか……。

 リザヴェータが再び、通帳を差し出してきた。

「わたしたちは、やりたいことを続けるためにも、バイロンから離れずにいる。でもソニなら抜け出して、新しい居場所ホームをつくって、普通の生活を送れる可能性がまだある。いまの機会を逃さないでほしい。

 あとね……真面目にしているからって、一般社会でうまくやっていけるとは限らない。このお金は、そんなときのための支えになる。命も、お金も、自分のために使って」

 これからのことに迷ったまま、ソニは通帳を受け取った。

 中を開いて金額を確かめることもなく、しばし見つめてから視線をあげた。想像できないことがあった。

「普通の生活、どんなですか?」

 大人ふたりが、そろって怪訝な表情になった。

 思い当たることが浮かんだらしい。リザヴェータが確かめた。

「よかったらおしえて。ソニの故郷くにでの生活、どんなだった?」

「おかしい、言われたことあります」

 家のことで思い出すのは、仕事がない両親、ふたりの喧嘩、空っぽの冷蔵庫、転がっている酒瓶といったことだった。

 整理された部屋や、清潔な衣類、不規則ながらも必ずとれる食事。こういった毎日は、トニーの部屋で初めて経験した。

 やっている仕事は非合法でも、銃が手から離れている時間はあたたかい。ソニにとって初めて見つけた安らげる空間——ホームだった。

 流花が言い含める。

「『普通の生活』がわからなければ、それを知るために新しい生活を経験してみるのもありじゃないかな」

 ソニは、差し出された報酬とパンフレットを受けとった。ここから始まることを想像してみる。

 トニーのいない、新しい生活……

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