第30話 0.14パーセントの未来〖最終話〗

「それで、さっきの話って何?」

「え、何の?」

「横断歩道、渡る時に友だちと話したんだって言いにくそうにしてたヤツ」

 あー、と思い出す。

 バカげたこと、考えてんだな。生と死の狭間で。

 どうでもいいことだ。

「で?」

「聞きたいの? えーとね、その。統計的に見ると、幼馴染が結婚する確率って」

「0.7」

「え!? 知ってたの?」

 それならそうと、わざわざこんな話、持ち出さなかったのに!

 貴史の手が、膝の上にあった僕の手に重なる。お互いの手には傷を治療したガーゼや絆創膏。


「だけどそれは間違ってる」

「どうして?」

 貴史の手は、怪我をしてても温かい。身体全部を温められてる気持ちになる。

「それは、男女の結婚の話だろう? 例えば俺たちが――これは例えばだが、お前が男だったとする」

 随分、極端な例え話すぎるだろう。でもひとまず聞くことにする。

「俺はお前がもし男だったとしても、お前だけを愛する自信がある。お前がもし俺を受け入れるなら、俺たちは男同士でも一生を共に過ごせるだろう?」

「すごく変な話じゃない? そういう影響されちゃう映画でも観た?」

 貴史は黙り込んだ。

 僕をじっと見つめた。


「どうだ? 確率は上がるぞ」

 これ、容易に答えていいヤツ? それ以前に結婚てとこで弾かれるかと思ったのに。まだまだ先の話だって。――結婚。ボッと顔が瞬間沸騰する。

「⋯⋯僕はさっき思ったんだ。トラックがどんどん近づいて来た時。貴史が助けてくれたとしても、僕だけが生き残ったんじゃ何の意味もないって。

 だから⋯⋯貴史だったらきっと、男同士でも構わない。僕が男になっても、女のままでも、その⋯⋯大切な人は一緒だと思う」


「じゃあ、確率は簡単に考えて倍になる。一気に1.4パーセント。1,000人の出る大会で、0.7パーセントだとベスト8に入らなくちゃいけない。もちろん俺はそれでも引いたりしないが。

 ところが1.4パーセントだと、1,000人中、ベスト16に入ればいいんだ。ベスト16なら、きっと楽勝だろう?」

「⋯⋯バカ。脳筋」

「お前より成績はいいと思うが。ま、これからもっと勉強して、できたら同じ大学に行こうな。離れるのは良くない。確率が下がる」

 かもね、と僕は言った。

 僕が男になるなんてさ、どんな例えだよ? 一体、どんな世界線にあるっていうんだ?


 病院の白い壁に、四角く切り取られた窓がある。

 そこからは夏の青い空がよく見えた。快晴だ。

 真っ青な空は、何故か僕を感傷的な気持ちにさせた。

 貴史が隣で手を握ってくれているのに、どうしてだろう、孤独感が心の奥から迫り上がる。

「どうした?」

「わかんない。なんかさみしくなった」

 貴史の腕が伸びて、肩に回る。引き寄せられて、髪を撫でられる。そろそろ結んだ方がいい長さになってきた。

 その胸にギュッと頭を押し付ける。「隣にいるよ」と言ってくれる人がいる。


 季節は、どんどん過ぎて行くだろう。

 空の色も、どんどん薄くなって、あの人はどんな風に孤独を宥めていくんだろう――誰の話?


「早く治るといいな。じゃないと怖くて手が出せない」

「やめれ! そういう話をする場所じゃない!」

「誰も聞いてないからいいじゃないか。助けてやったし、これからも何があっても純を守る。心が繋がりたいように、身体が繋がりたいのはちっともおかしくないと思うが」

 それは確かにそうかもしれないけど、段階ってものもあるし、何より恥じらいってものもある。

 コイツは計画的に少しずつ僕を占領するつもりらしいけど、たじたじだ。


「⋯⋯この前、ブラウスの下から手、入れたじゃん。ああいうのは予告してよね」

「興奮したな。お前の肌に手が吸い付くように馴染むんだ。今度、どれくらい興奮したか教えるよ。触ってみたらいい」

「何を!?」

「コレをだよ」

 コイツ、マジで変態。僕の身体なら⋯⋯まぁ、少しずつ好きにされても、覚悟はできてるけど。貴史のを?


「何だよ、顔隠す程、恥ずかしいか?」

「やめれ! 恥ずかしいに決まってる!」

「きっともっとその気になる。いっぱい妄想しろ」

「やめれー! 絶対! 触らないから!」


 ホントかな? 貴史だって触られたら感じるんじゃないか? ⋯⋯貴史の感じるところ、見てみたいかも⋯⋯。一緒に気持ちよくなりたいかも。

 足の先がムズムズしてくる。

 ああ、こんなところでこんな気持ちってさ、一体もう!


「その気になってんのか?」

「⋯⋯やめれ。囁くな」

「愛してる、すごく。⋯⋯命、救ってやったんだし、次は全部、触ってみてもいいよな?」

「やらしぃ、もうなんなんだよォ」

「誰にも触らせたくないだけだ。その前に全部自分のものにしておかないと、落ち着かないだろう? どこかに悪い虫がいるかもしれないし」


 いつからそんなにがっつくようになったのか? 最近、束縛感、強い。

 前は手だって、繋がなかったし、そもそも告られた覚えもない。

 幼馴染だからってなぁなぁすぎないか?


「変な虫なんてつかないよ。僕はこんなだし」

「無自覚なのは困るから言っておく。客観的に見ても、お前はすごくかわいくできてる。男っぽい口調が更にギャップ萌えだ。

 今までお前が気付かないように注意してたけど、お前と付き合いたい男はゴマンといる。気をつけろ」


 そんなのいない。

 奇特なのは貴史しかいない。

 ⋯⋯この腕の中に、ずっといられたらそれでいいって、確率が何パーセントでも隣にいられたら。


 ◇


 全部、あげてしまった。

 命の恩人、となれば⋯⋯惜しんでも仕方のないものだし。これでいいって、思える。


 僕が触れると、貴史はブルっと身体を震わせた。背筋が反り返るように伸びて「お前の指、特別だな」と言った。

 そうか、特別なのか。それはうれしい⋯⋯。

 貴史にとっても、が特別であったらそれはうれしいんだけど。

「どうした? 痛い? ⋯⋯俺も初めてで正解がわからないからなぁ」

「ううん、そうじゃないよ。貴史が、貴史が今、ここにいて良かったなァって本当に」

「バカだな、心配するな。俺たちのことは神様にも止められないから安心しろ。バカだな、こんな時に⋯⋯」

「離れないで」

 僕たちは1ミリも離れていなかったけど、僕はそう言った。うん、ただそれだけ、貴史は言った。


 心も身体も、ついでに魂も繋がってしまったような不思議な体験だった。

 これからわたしたちは0.14パーセントの未来に向かってゆっくり、歩いて行く。何もかも知ってしまっても、神様が居眠りしても、変わらない気持ちを持って――。


(了)

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お前の気持ちには応えられない、たぶん。 月波結 @musubi-me

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