第20話 清く正しく

 屋上で風に晒されてると、もうベストをニットのセーターに変えてもいいかもしれない、と思う。

 なんか、時間が経つのが早いな。

 秀と出会ってから、特に早い。


 僕は切ったばかりの髪が風に流れるのを気にしていた。


「かわいいよねぇ。お人形みたい。真っ黒な髪のショートボブにパッチリした目。マスカラいらずの睫毛。そうやって、髪を押さえる仕草がグッとくる」

 コイツ、バカなのかなァと思う。

 たまに思うんだけど、自分のペットが一番かわいいってタイプに違いない。動画上げちゃってたり。

「えー? ボクはしないよ。こんなにかわいいんだから、誰かに目、つけられたら嫌だよ」


 やっぱりバカだなァ。決定!

 姉ちゃんのアドバイスで髪を切ったはいいけど、もう風ですっちゃかめっちゃか。

 ブラシ1本でどうにかなるのか?

 芽依ちゃんは、自分のくせっ毛を気にしてるので「どうしたらそんなサラツヤになるの?」と聞いてきた。僕も知らない。注文の多い天使の言う通りにしてるだけ。

 僕たちの間に、今、摩擦はない。


 ◇


「いいねぇ、この刈り上げたうなじ。アップにした時の後れ毛もそそられるものがあったけど、これはもう」

 ぞぞぞーっと神経が逆撫で。

「やめれ! うなじを下から撫でるな!」

「えー? そんなにかわいくしてきちゃうのがいけないんじゃん」


 いつものように、猫みたいに屋上のアスファルトに転がり、大きな手で僕のうなじを首から撫でた。

 そうして僕の悲鳴を聞くと、何か納得したのか、肩肘をついて手を枕にして、僕が風に遊ばれるのをじっと見ていた。


「なぁに考えてる?」

「うーん、キスしちゃおうかな、膝枕してもらおうかなって」

 ⋯⋯やめれ。想像だけでお腹いっぱい。鼻血出たらどうしてくれるんだ?

「おお、想像してる! こっち見て、ほら、真っ赤な顔!」

「ぜ、絶対見せない。なんか秀、最近、キャラブレしてない?」

「最初の頃はカッコよく見せておきたいでしょ? 誰でもそうじゃない?」


 決めた、と言って秀は素早く起き上がると何の躊躇いもない動きで、僕に口付けした。

 髪を切った丸い頭を片手ですっぽりホールドして。


 1、2、3、⋯⋯。


 数えたってどうしようもないことなのに、つい数えちゃう。だってそうしないと、また頭の中、滅茶苦茶になって、制御不能になるから。

 一通りキスが済んで、おまけにチュッとされる。⋯⋯こればかりは慣れとは違う気がする。毎回、ドキドキとヒヤヒヤだ。


「いっつもスリリングで新鮮だなァ、純ちゃんとのキスは」

「なにそれ、スリリングって!?」

「だってさ、どこまでならイケるかなとか、一応、頭の中で考えるんだけど⋯⋯頭の中のボクはいつも押せ押せの一点張りだし。でもやっぱり、取っておきたい気持ちが大きい」

 うん、とひとりで納得してる。

 押せ押せって、さァ⋯⋯。


「例えば! こうやって純を組み伏せるなんてボクには簡単なんだよ、男だからね」

 うおっと思うと空が見える。秀の顔が逆光。髪が、日に透けてキレイ。いまだにキラキラは消えない。

「そうしたら、純くらいの女の子なら、ボクは多分、いくらでも好きにできちゃう。その技術と能力がある分、迷うわけで」

「はぁ⋯⋯」


 よくわかんない理論。

 女の子を押し倒して、馬乗りになって?

 男の時だって、そんな想像、恐ろしいと思っていた。そもそも、僕にそんなことができるのか謎だったけど。

 女の子の身体をどうこう、とか⋯⋯。とか。


 流れで冗談は真面目に変わり、秀の顔が上からゆっくり降りてくる。微笑んでる。余裕だ。

 僕が突然蹴り飛ばすかもしれないなんて、微塵も考えてないに違いない。

 僕も、蹴飛ばさずに瞳を伏せる。瞼の向こう、ぼんやり明るい。風の音しか聞こえなくなる。

 それが心臓の鼓動にうってかわり、鼓動が身体を支配する。


 ⋯⋯あんな姿勢で、身体、辛くないのかな? 男の子って、そういうとこ、不思議。いや、僕も男だったじゃん。

 唇が熟した果物みたいにトロトロになって、秀の手が下から⋯⋯。

「ダメ! やめれ!」

「突き飛ばすなよ」

「だって、狡いじゃん。急にブラウスの下から直接、手を入れるなんて! くすぐったいよ!」

「⋯⋯急じゃなきゃいいわけ?」

「それは、その。だって、よくわかんないけど、秀なりの速さがあるんでしょ? あの⋯⋯大事にしてくれるって、さ」


 秀は秋の日差しのようにやわらかな目で僕を見た。それはうっとりするような視線で、身体は受け入れ態勢にスイッチが切り替わる。

 ⋯⋯なんだろう? 女の子スイッチ?


 今度はやさしいキスと、僕の体側に沿ってゆっくりと素肌に直接、指の感触。あのよく知った指が、僕の身体に直接、触れている。

 まだ誰にも触らせてない⋯⋯。

 そぅっと、そぅっと焦らすように指は滑ってくる。背中が仰け反る。んん、我慢できない⋯⋯。


「あぅ⋯⋯」


 秀が一度、唇を離して僕を見た。僕も僕に驚いて秀を見た。バッチリ目が合う。

「ごめん、なんか変な声出て。⋯⋯やらしくない?」

「やらしーこと、してるんだけど」

 足の先がもじもじする。うわ、なんかホント、変な感じ。いつもと感じ方が違う。

 背筋もぞわぞわする。

「秀、あのー、じゃあ」

「いいよ、特別」


 特別かァ。等価交換なのかな?

 秀の指はまた僕を、今度はすーっと通り抜けるように滑って、そこ、ほら、その先は。ワイヤー、堅くないのかなァ?

 男子だった時に未経験のことを想像する。女の子のブラに手を入れる時って、どんな気持ちだろう?

 ブラって結構、頑丈に胸を守ってるのに、どうやって潜り込むんだろう? んー、少し強引? やっぱり指が押し込まれるような感じ? それとも捲り上げて? なるほ⋯⋯。


「痛い?」

「痛くないけど⋯⋯直接だと⋯⋯今までと全然違うから」

「ボクはやわらかい。最高。雲の上みたい」

「あぅう」


 品のない声だなァと、自分で自己採点。もっと色気のある声、出ないのかな? そういうものなの?

 だってほら、感じるより先に声が、さ。雷みたいなもので、音より光が早いみたいな。


 そこ意地悪く、片方の胸だけいつまでも触り続けて⋯⋯変な気持ちになるなって言ったって、それは無理だろう? されてるってことに、ドキドキする。

 秀を見ると、すごく真剣な顔で、何故こんなに真剣なんだろう、とぼんやり思う。

 目が合うとすぐに首筋に唇が這って、待て、そこに形跡を残すのだけはやめてほしいと切実に思う。

 足元がもじもじして、気がつくと力が抜けてへにゃへにゃだ。


 これが、女の子ってものなのか。

 誰も教えてくれなかったこと。神様も、天使も。

 今、秀に身体全部で教わっている⋯⋯。

「いいよ、そっとね」

 秀は耳元でそう囁いた。少し恥ずかしそうなのがかわいくて、僕の方こそ、焦らしたくなる。男の事情なら僕にも少しはわかるから。


 覆いかぶさったその身体の下を、ごそごそと手を少し不器用に動かして、僕にもあったそれを、そっと触る。始めは手で包むように。懐かしささえ感じる。おかえりって。

 秀が僕の手を感じてるのがわかる。すーっと息を吸い込むのを感じる。ちょっと動かすと「意地悪だな」と言われて耳を甘噛みされる。

 ⋯⋯不思議と感じる。秀の、感じたまま、僕も感じる。熱をもつ。背筋を通り過ぎる何か。

 動物なんだなァと思う。


 他人のを触ってるのに、感覚を共有してる、不思議な時間。

 息が上がってきて、もうダメかもと思うんだけど、いや、もう少し先まで行ってみようよって誰かが隣で囁く。

 秀も同じ気分だろうか? ――だといいんだけど。同じく感じたい。

 もっともっと、と追い詰めていく。秀は僕の上で胸を掴んでただ、僕に身を任せている。

 ⋯⋯やっぱりこんなの、変じゃないかな? でも今更だし。


 刺激しすぎないように、細心の注意を払う。

 秀の方が僕より少し、感じやすいのかもしれない。耳元で悩ましいため息や吐息、呻きが不規則に聞こえて、それが相乗効果になって僕は遠く空高いところを昇る。

 もう少し、もっと、もう少し⋯⋯。


「ストップ!!」


 ハッとする。

 生温いお湯に浸かってたみたいな身体に、冷たい風が吹き抜ける。

 秀が僕の隣にゴロンと転がったからだ。

「⋯⋯もうダメ。ごめん。気持ち良かったんでしょう? 途中なのにボクは我慢、無理」

「ううん! 僕こそ行き過ぎたよね?」

「これヤバい、気持ち良かった。ダメだよ、止まらなくなる。すごいヤバい。⋯⋯純だってこんな所がじゃ嫌でしょ?」


 えッ!?


 確かに⋯⋯。

 男としての高まりに集中してて、忘れてた。それが頂点に達すると⋯⋯そこに女の子が仮にも受け入れ態勢でいると、結果、どうなるのか。

 ヤバいって!

 冷や汗をかく。


「仕返ししてやりたいところだけど、ボク、今、限界。ちょっとそっとしといて。間違っても触んないでよ」

 おう、とおかしな返事をしてしまう。

 ごめん、秀。一緒に気持ちよくなったのに、物理的我慢は一方的に任せっきりで。

 しっ、しっ、と秀は僕に背中を向けて、僕を追い払った。

 僕の身体は、男のところと、女のところ、どっちももぞもぞして、相変わらず変な感じだ。


 大変だなー、男女交際。清く正しければいいんだろうけど。一度進んだら、戻れないよな。


 ダメになった秀の白いニットベストの背中を見れば、よくわかる。ダメってわかってんのに、きっとまたしちゃう。

 秀がかわいそうなの見てんのに、また一緒に恍惚としたところまでふわっと昇ってみたい。

 素敵な何かがそこにあるのか知らないけど。興味が理性に勝るかもしれん。

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