第21話 嘘は隠れて

 姉ちゃんはこんなに涼しいのに、ソーダバーを齧って、縁台にひとり、座っていた。

 オレンジだった髪は、今はピンク。オレンジは夏の気持ち、なんだそうだ。

 なんだか珍しくおとなしい。

 夏の残り火、ソーダバー。当たりが出るか、外れが出るか。


「姉ちゃん、風邪引くよ」

「おー、気が利くじゃん」

 ブランケットを持ってきた僕を、姉ちゃんは隣の席をバンバン叩いて、ほぼ強引に座らせた。

「最近、いい感じじゃん」

「え? そうかな?」

「純の変な性癖さえなければ、普通のカップルじゃない?」

 天使はキヒヒと笑った。⋯⋯笑えない。


「どうして女になったのかなァ? 同性に生まれ変わるって、そんなに大変なこと?」

「ちょーっと待て。生まれ変わるだけで大変ごとでしょうよ。神様が万能だからってさ、死んじゃった者を生き返らせるのは、万物のことわりに反するんだから。

 我々の仕事は、生々流転、物事がその定め通りに流れるのを見守って助けることよ。純は、その輪から一度外れたんだよ」


 何それ? 結構、怖い。

 僕、ちゃんと転生輪廻できるの?


「それにまぁ、純は特別だから」

「え?」

「企業秘密」

「また! それなら匂わせなければいいじゃん!」

 そうだね、と天使は線香花火が落ちる時みたいに、ぽとり、とそう言った。


「その秘密をバラせば、もしかしたらすべてマルっと収まるのかもしれない。

 でもさ、人間てすごい乱数的な動きするから、正直、その仕組みを話したところで、今更、上手く行くとは思えないなァ。

 それに純は、知らないことがあった方がいい。これ、マジレス」


 秋の縁台は虫の音も少なく、ものさみしい。

 アイスを齧るサクッという音だけが、宵闇に響く。

 サクッ。

 季節を見送る音。

 僕たちが歩んできたこの数ヶ月を思う。

 思えば――無理に生き返らなくても良かったのかもしれない。

 そこにふたりの男の顔が浮かぶ。


 有り得ない、か。

 ふたりに言われたら、説得力あるわ。


「アンタはがんばって生きんのよ」

 姉ちゃんは意味深なことを言った。


 ◇


 いつもの待ち合わせ場所、ちょっと遅れて「ごめーん」と自転車を走らせた。

 貴史は例の如く、不動で、僕を待っていた。

「そんなに待ってない」は既にテンプレだ。申し訳なく思う。そしたらいきなり手が伸びて、ハンドルを握る手に触れた。

「手、冷たいじゃないか」

「平気だよ、まだ冬じゃないし」


 風を切って自転車を漕ぐと、手はどうしても冷える。でもまだかじかむって程じゃないし、我慢できないこともない。

 冬は、もう一歩先で待っていてくれている。


 貴史はジャケットのポケットをごそごそ探って、白いもわもわを出した。最初、それが何かわからなかったけど、文脈から手袋だと察した。

「ほら」と予め用意されたそれは、真っ白な毛糸に水色の毛糸で雪の結晶が刺繍されていた。

 ······かわいい。


「気に入らなかった? やっぱりピンクが良かった? ピンクのはその刺繍が赤い糸で」

「ううん、すごいかわいい。汚さないようにしないと」

「そのままスマホ使えるって書いてあったから」

 珍しく貴史は下を向いて、僕に顔を見せなかった。動揺してる。⋯⋯まだ好きでいてくれてるって、ことなのかなァ。

 僕はそれを両手にはめて、ハンドルを握った。

「······寒くなっても、手を繋いでやるわけにもいかないからな」

 ボソッと呟いたその一言にどんな重みがあるかを、貴史は知らない。

 新品の手袋はやわらかくて温かかった。


 ◇


 電車を降りて、貴史が先を行く。

 その時を狙って、手袋を外してポケットに入れる。何となく、秀には見られたくない感じ。

 おかしいかもしれないけど、誰にも知られたくない秘密ってヤツ。僕と貴史だけの。

 ――そういうのはいけないんだろうか?

 幼馴染なんだから、許されるんじゃないかな?


 互いに何でも知ってる。

 貴史が意外に油揚げが嫌いなことも、告ってくる子は片っ端から振っていくことも。全部、全部、隣で見てた。

 すぐに指を絡めてくる秀が「純ちゃん、手、暖かいね」と言う。「手袋してたんだ。ちょっと気が早いけど、自転車だと寒いから」。

 秀は「ボクが一緒の時は手袋は片方でいいよ」と言った。もう片方? それは手を繋ぐから、かえって邪魔になるじゃん? 秀は、冬に彼女がいなかったことはないのか? 不思議に思う。


 手袋は片方だけ、きっとダメになる。

 せっかくかわいいのに。

 片方だけこなれていくことに、貴史が気付かなければいい。······そんなに上手く物事が運べばなァ。なんで拗れるのかな?

 貴史の眼差し、皆がいろいろ言う何かを差し引いても、切ない。


 あんな顔、見てる方が切なくなる。知らなかった表情。


 ◇


 教室に入っても貴史のことが気になっちゃって。

 確かに『プレゼント』をもらったのかもしれないけど、何かもうそれだけって言ってしまえばそれだけのことで。

 どの色がいいのか、なんて女の子の手袋を売り場で選ぶ貴史を想像すると······今までそんなのピンと来なかったのに、何故かその場の1ピースとして、しっくり当てはまる気がした。


 僕は、いつもそんな風に丁寧に思われていることに気付かないで、隣にいるという現実に胡座をかいていたのかもしれない。

『当たり前』なんて、この世にない。

 開いた両手を見る。

 この身体は入れ物で、僕は一度死んだ人間だ。

 貴史の知る僕の中の魂が本物で······今の魂は混ぜ物が入ってる。

 純度100パーセントでは決してない。


 貴史を見る。

 いつもと変わらず、気持ちが顔に出ていない。

 クールな態度で鏑木たちに絡まれている。

 頬杖ついてその様子を眺めていたら。

「熱い視線~! すっかり涼しくなったのに、この子はなんだかなァ」

「さゆりん、放っておいてあげな」

「ええー、無理。最近、こう胸がときめく話が足りないんだもん。摂取したい! その点、純ちゃんの周りにはたくさんあるじゃない?」

 かもしれない。客観的に見ても、主観的に見ても、少女マンガの主人公くらい話題に満ちてる。

 その······とても話せないこともあるけど。


「ねぇ、さゆりん」

 僕は机の上にべたーっと上体をだらしなく伸ばして、悩みごとは話してしまうことにした。

「なに、なに? 何でも聞いて?」

 彼女の目はランランとして、捕まえた獲物は離さない、という勢いだ。前のめりになってる。

 ああ、やっぱりやめておけば良かったかも······。

 真佑も芽依ちゃんも、ちょっと引いて窺っている。


「プレゼントもらったら、お返しはするよねぇ?」

「なーんだ、それでずっと悩んでたの!?」

「わかってたの!?」

「純は顔に出やすいもん」

 そう言って彼女はふふ、と悪魔のように微笑んだ。


「プレゼントはお返しするのが基本。そうでしょ?」

「うん」

 興味無いふりして真佑はゲームを始め、芽依ちゃんもマンガを読み始めた。芽依ちゃんは不倫からのざまぁ系が実は好きだ。ざまぁする方の裏の気持ちを考えると、実にかわいそうらしい。

 ま、人の好みだし······何も言うまい。


「問題は大きいわよね。どうやってふたりきりになるか」

「いや、それは」

「東堂くんとふたりきりになるの、至難の業じゃない? あ、いつもと違うシチュでだよ? 休日とか下校の時に、なれる?」

「······そんな必要ある?」

「あるある。だって気持ちのお返しだもん。友だちなら別にいいじゃない、それくらい。

 たまには少しくらい報いてあげてもバチは当たらないよ」


 真佑はますます知らないふりを極めてイヤフォンをしてるし、芽依ちゃんは「ちょっと」と言って席を外した。

 さゆりんは生き生きしていた。


「わたしたちと帰ることにすれば? それがいいよ。今日にも決行できるし! やだー、簡単な問題だった! できる? ちょっと隣の教室に行って『今日はさゆりんたちと帰る』って言うの。反対しにくいはず。

 それで、東堂くんは······LINEの方がいいなか? 駅ビルの3階の新しいカフェ、あそこ、ブラッと入れるスタイルだから、待ち合わせはそこにしたら?」


 にこにこそう言われると、反論しにくい。

「でもさ、そう言うのって」

「浮気かもしれない!」

 さゆりんは起き上がった僕の両手をひしっと握った。目は真剣そのもの。

「でもね、幼馴染だもの。たまにはそれくらいの時間を持ってもいいと思うの。

 例えばの話だけど。それがバレて櫻井と揉めたらわたしがぜーったい、仲裁に入ってあげるから! 約束するよ!」


 ええー、マジかよ? と思いつつ、圧が強くて何も言い出せない。


「秀もLINEじゃダメかな?」

「ダメ。本人にちゃーんと言った方が説得力ある。文字だと浮気っぽい」


 やっぱり浮気を疑われる案件、なんじゃん。

 それはちょっと······。

 せっかく秀と上手く行ってるのに、という気持ちと、貴史と少しは落ち着いて前みたいな時間を過ごしたいなァという欲求が天秤に乗って、揺れる。

 だって、狡くない?


「狡くない! もし狡いとしたら、ちょっとリードしようとした東堂くんの方だよ。純は天然ちゃんだからって免罪符あるし、ダイジョブ♡」


 ああ、何もかも大丈夫じゃない気がしてきた。


 ◇


 秀に言われたように言うと、わたしの横でにこにこしてるさゆりんを見て「楽しんでおいで」と言った。

 さゆりんは「余裕のあるあの態度。取り乱すところが見たいなァ!」と不穏なことを言った。

「そうだ、わたし、駅ビルまで一緒に行ってあげる♡ そしたら純もそんなに後ろめたい気持ちにならなくて済むんじゃない?」

「え? 悪いよ」

「いいって、いいって♪」


 貴史にはLINEした。

『今日は一緒に帰ろう。駅ビルの3階にできたカフェで待ってる』

 届いたかなと気になってつい、貴史を見る。

 貴史はなんでもない顔でスマホを取り出して、見て、こっちを向いた。

 ――あ、読んだんだ。

 それから指をポチポチ、慣れない入力をして······僕はゆっくり待つ。

 前はLINEも結構したけど、あんな風に打ってたのかな、と横顔を見てる。なんか、胸が痛い。


『わかった』


 この一言のためにあんなに時間がかかったのかと思うと、不憫になる。

 もっとたくさんLINEしてたら、入力が速くなったかもしれない。僕も不精者だった。

 LINEくらい、男の時でも今でも、惜しむことなく打てば良かったのかもしれない。

 さっきの横顔が頭を掠める。

 秀は······こんな僕を知ったら、どんな風に思うだろう? 浮気だって、責め立てるかな?


 未だに秀の周りには女の子たちがチラホラいる。僕たちが別れるのを虎視眈々と狙ってるんだろう。

 確かに秀は万人にやさしい。誰かを無下にしたりしない。僕はそれを知ってる。

 でもそのことについて何か言ったりしない。


 何でだろう?

 嫉妬で荒れ狂ってもいいはずなのに。

 これが天使のいうところの、『輪っかから外れた』ってことなのかもしれない。

 だって僕にとって秀は、女の子に変わらなければきっと、袖触れ合うことなく、人生を通り過ぎてく人だったと思うから。

 女にならなければ、と思うことはいくつもある。

 女になって良かったなァと思うことは······正直あんまりない。


 秀という、知るはずのなかったひとりの人を深く知るきっかけにはなったけど。

 男のままだったら困ったことは、多分ないんだよなァ。多分、あのままの毎日が流れに沿って進んでいたと思うから。



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