第9話 仲良しカップル?

 まぁ、そりゃそうだよな。

 家、近いし、避けるって訳じゃないんだし。


 僕と貴史は自転車を走らせた。

 9月の風は、自転車で横切るともう涼しかった。

 日差しはまだ暑い。

 足元から、秋はやって来るのかもしれない。


 いつも通り、律儀に自転車をしまってくれる。安くて『軽い』と書いてあったけど、本当に軽いわけじゃない。金属の塊だ。

 男だった時は、ふたりでガツガツと⋯⋯まぁ、少し手を借りたりしたけど、それでも自分の自転車は自分で、だった。


 中学まで剣道をやっていた背筋はどんな時でもピンと直線で、人付き合いが苦手な分、首は下向きになった。それでも猫背にはならない。

 この頼もしい友人を、僕はどうやら遠ざけたらしい。貴史は自転車をしまうと、改札に向かって何も言わずに歩き始めた。


「ねぇ、ちょっと!」

 貴史は歩みを緩め、僕を振り返った。

「なんで口きかないの?」

「いつもこんなものだろう?」

「そうかもしれない、けど」

 僕は頼りないスカートという名の布切れを握りしめた。勇気。今、必要なのは、勇気。

「こ、恋人がいたって、友だちは友だちだろう?」


 皆が改札に向かって歩いていく中、貴史は流れに逆らって、僕の方に数歩歩み寄った。

「友だちは友だちだ。でも、俺だったら彼女に他の男がついて回るのは見てられない」

「⋯⋯でも、中学の時」

「中学は中学だ。アイツは俺のことを気に入らなかったと思う。けどまぁ、中学は小学校の延長だ。まだ『縄張り意識』みたいなものは少ないからな」

「縄張り?」

 ふ、と貴史は改札を抜けた。慌てて僕も通る。

 警告音が鳴って、一度で入れず、もたもたする。貴史がこっちをチラッと見て、僕が通ったのを見て、駆け寄ろうとするともうするっと乗車してしまった。


 僕は手近な扉から電車に乗り、知らないヤツと知らないヤツに挟まれて吊革に捕まった。

 言うまでもなく、僕の身長は吊革ギリギリで、それでも今まで大丈夫だったのは、それは貴史が助けてくれてたからだ。

 ――そんなことはわかってる。わかってる、けど。


 ◇


「純ちゃん、おはよう」

 学校の校門脇に櫻井は立っていた。

 こんなに物事が複雑になったのはコイツのせいだ、と思うとイライラが止まらない。

「おはよ」とすり抜けようとすると「ちょっと待ってよ」と手を握られた。⋯⋯男の手だ。


「よかった、落ち着いた? ごめんね、昨日、今日の約束し忘れた。LINEの交換もしてなくて、寝る前に気が付いてさ」

 櫻井は恥ずかしそうに笑った。

 笑うと目が少し垂れて、いっそうやさしそうに見える。細身で背の高い櫻井は、川辺に垂れる柳のようだ。


 気が付くと普通に手を繋いでいて、なんだかそれでいいんだって気持ちが収まってる。

 櫻井の話は面白くて、自分の話をまずしてから、僕に僕の話を促してくる。そして絶対、そこに何か付け足す。


「へぇ、純ちゃんて水瓶座なんだ? 意外だなァ」

「どの辺が?」

「水瓶座ってさ、水瓶を持ってるのは男なんだよ。そんな重いもの、女の子に持たせられないじゃん?」

 つい笑ってしまう。

 女の子は確かに星占いが好きみたいだけど、相性や性格の話をするのがメインで、こんな話を聞くとは思わなかった。


「櫻井くんはさ、じゃあ何座?」

 会話が自然と続く。

「さぁ、何座かなァ?」

「秘密なんだ?」

 そこで僕の目を見て、にこにこする。

「その方が、ボクに興味持ってくれるでしょう?」

 僕は赤面する。

 そんなつもりじゃなかったのに、何座かなって考えてる。


「今度、プラネタリウムでも行こうか? そしたら教えてあげる」

「⋯⋯なんか狡い」

「なんで?」

 僕はちょっとムッとする。騙されたような気がするから。

「自分だけ秘密なのは狡いよ」

「狡いと思われていいよ。その分、ボクのことを考える時間が増えるでしょう? 昼休みはまた誘いに行くよ。待ってて」

 頷く。なんだか慣れない。自然に笑えない。

「隣の教室で良かった。すぐ会えるから」

 じゃあ、と櫻井は自分の教室に消えた。


 ふぅー。


「おはよ、純。初登校はどうだった?」

「⋯⋯正直に言うと、肩凝った」

 ぷはっとさゆりんが笑い、真佑は眼鏡のブリッジを上げた。

 芽依ちゃんだけが、目をパッと開いて、わたしを見ていた。


「どうよ、彼?」

「えー、見たまんま」

「見たまんまって、中身もイケメンてこと!? わお!」

「イケメンて疲れるよ」

「誰かこの子を殴っちゃえ!」

 笑いが満ちる。なんでも楽しいことに変換する、さゆりんは天才だ。男だった時には知らなかった一面。

 さゆりんは目が合うと、意味深な笑顔を見せた。そして僕の視線を、自分の視線で誘導した。そこには――。


 リュックを引きずるようにして、自分の席に着く。

 鏑木が僕の席に座ってて、僕に気が付くとササッと自分が座ってたところを払った。

「ささっ、どうぞ、純ちゃん」

「おはよう、鏑木」

 鏑木は大袈裟に呼び捨てを喜んだ。僕にはまだ『ちゃん付け』なのに。


「そうだ! 俺としては悲しいことだけど、純ちゃん、貴史から卒業おめでとう!」

 ギョッとする。そんなつもりはなかったから。

 リュックから持ち物を出していた手が止まる。

 ハッとしたその時に、もう貴史は鏑木の胸ぐらを掴んでいた。


 教室の隅では、関係ない誰かの笑い声が聞こえる。

 皆が今の状況に気付いてるわけじゃなかった。


「悪い冗談だった、ごめん、貴史」

 貴史は手を離すと「いや、俺の方がどうかしてた。すまなかった」と言った。

 あくまで鏑木はいつも盛り上げ役で、僕はいつも笑ってた。貴史はその中で何も言わずに、でも僕はリラックスしてるのを知っていた。

 肩の力の抜ける友だち、それは貴史には大切だったはずだ。


「でもさ、その櫻井ってのは大丈夫なのか?」

 僕らの中で一番冷静な矢野くんがそう言った。この話はここで終わりにした方がいいんじゃないか、という絶好のタイミングだった。


「そうだな、俺は中学、一緒だったけど、嫌なヤツではなかったな。確かに女子に人気があったけど、誰が話しかけても嫌な気分にさせられるわけじゃなかったみたいだし。かと言って櫻井から女を漁ってたりしなかったし。

 どっちかって言うと、誰にも話しかけられなければおとなしいヤツだよ」


 ふーん、と僕と矢野くんは同じ顔をした。

 貴史は聞いてるのか、聞いてないのかわからない様子だった。

「純ちゃん、でも油断しないで危ない時は俺を呼んでね!」

 誰にも何も言われないうちに、鏑木は席へと戻って行った。担任が教壇にたどり着いたからだ。

 貴史は、こっちを見ない。


 ◇


「あー、やっぱり空の下は気持ちがいいなぁ。ちょっと、アスファルトが熱いけど」

「かなりね」

「純ちゃんてなかなかいいタイミングで突っ込むよね?」

「そ、そうかな?」


 櫻井はアスファルトに仰向けに転がって、それから横向きにゴロンと転がった。

 座ってる僕を見ている。

「――純ちゃんさ、意外とクール?」

「え? 言われたことないけど」

「そう? じゃあ勘違いかな。他の女の子とはちょっと違う気がする。ボクの勘は当てにならないし、ボクはそんな純ちゃんがいいなと思ってるけど」

 ドキッとする。

 他の女の子とは大分、違うだろう? 女の子の皮を被ってるだけだ。


「あ、天然とは言われるかも」

「それはあるかもね。うん、一理ある。かわいいしさ、反応がいちいち初々しくて、かわいい」

「かわいい、かわいい、言うなって」

「そういうところもかわいい」


 日陰に座り込んでた僕に、日向に転がる櫻井から手が伸びてくる。サインだ。

 どうしよう、気付いてるのに、知らないフリ。

「手、繋いで」

「そればっかり」

「キス魔よりいいでしょう? ボクって健全」

 僕は仕方なく、手を差し出す。手首から先が日に当たる。朝塗った日焼け止めの効果はもう切れたんじゃないかな。真っ赤にやける手の甲。

 櫻井は僕の手をやさしく握った。そしてふわり、微睡むように目を閉じた。


 確かに鏑木の言う通り、この男はおとなしい。

 いきなり手を繋いできたり、キス(!)された時には心臓が壊れるかと思ったけど、そんなことにはならなかったし。

 それに――何故か、手を繋ぎたがる。そこに安心できる何かがあるみたいに。


「ごめんね、もうちょっとそっちに行くよ」

「ああ、うん」

 僕も少し座る場所をずらす。

「純ちゃんの白い手が日焼けしていくの、気が付かなかった。赤くなったらかわいそう」

 そういうところが、憎めない。

 それとも甘い台詞を吐く男は、皆、要注意人物なんだろうか?

 信用していいのかわからなくなる。

 猫のように丸くなった櫻井は、無防備だ。


「⋯⋯今更なんだけど」

「なに?」

「櫻井って、下の名前、まだ聞いてないかも」


 僕たちの間に、微妙な沈黙があった。

 名前も知らないで付き合うなんて、バカだなァ。

 でもすごいスピードで、話が進んだから。

 ⋯⋯気まずくて目を逸らせる。

「ずっと訊かれないままかと思ってたから、安心した。ボクの名前は秀治しゅうじ。『秀でる』に明治の『治』。ちょっと渋いんだ」

 困った時の顔になる。いちいち、顔に出るから困る。何とかしてあげたくなる。

「⋯⋯秀ちゃん、かな?」

 ガバッと起き上がると、まるで犬のように飛びついて来て「ホントにいいの?」と言った。


 ダメも何もない。僕が言い出したんだから。

「『秀ちゃん』、『純ちゃん』。仲良しカップルだね」

 ⋯⋯それはどうだろう?

 櫻井がいつも通り、いい顔になったのはうれしいかもしれない。逆光の中、秀は満足そうに微笑んだ。

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