第8話 いつだって一番に考えてた

 午後の授業は走馬灯のように走り去った。

 僕の頭は、整理するどころか何も考えられなくて、ただ時間だけが過ぎていった。

 途中、貴史が「熱でもあるのか?」と訊いた。

「ない」と答えた。

 嘘はついていない。


 耳の早いさゆりんは、昼休みに帰ってこなかったことをあれこれ詮索したがったけど、真佑が僕に「何も言わなくていいよ」と言って、さゆりんが「友だちじゃーん! なんでも分かち合おうよ」と泣き真似をして僕に縋った。

 ⋯⋯僕は、僕の腕を掴むさゆりんの手を見ていた。実に女の子らしい手だ。

 女になる前は、その手の白さだけでドキッとしたのに、今は触られても何も感じない。

 不思議だ。


 男だったら、僕もさゆりんを抱きしめたい気持ちでいっぱいになったり、さゆりんが僕を好きなんじゃないかとか、一喜一憂したに違いないのに。


 ――どうしてこんなことに。


 ◇


 HRが終わると、教室の開け放した扉から、さっき間近で見たあの顔が覗いてた。

 席の近いさゆりんが何か話してる。さゆりんは僕を、予想通り呼んだ。


「貴史、悪い。今日は一緒に帰れない」


 貴史は荷物をリュックに詰め込んだところで、立ち上がった僕を見た。

 スポーツ系の、貴史の大きなリュック。僕も男だった時、あれに似たのを持っていた。

 今は女子の間で人気のある、上がしっかり開くタイプのリュック。華美なカバンは禁止されているので、外側は黒いけど、中はピンク。そう、ピンクだ。


「⋯⋯わかった」


 僕にだって個人的な用事はある。いつも貴史とばかり帰ってる訳じゃない。ただ今回は、相手が櫻井だっていうだけ。そういうことも、多分、ある。


 僕はリュックを背負いながら入り口に向かった。

 手前で芽依ちゃんに捕まる。珍しい。凸ってくるタイプじゃない。

「純ちゃん、櫻井には気を付けなくちゃダメだよ! 皆、東堂くんみたいに紳士的なわけじゃないんだから!」

 頬を触る。なかったことにならない。

 それに⋯⋯まだ熱い。


 ◇


「純さァ、それはヤバいって!」


 ソーダバーを手にして自称天使は帰るなり、説明無しにそう言った。

 どうやら僕にプライベートはないらしい。


「でも別に帰りは何もなかったし」

「寄り道してフラッペ奢ってもらってたじゃん」

「何でも知ってるんだな、まったく! 暑かったから寄っただけだよ」

「奢られてたじゃん。くぅ、やさしいイケメンかよ、コイツァ、ますますマズイって!」


 僕はネクタイをハンガーにかけると姉ちゃんを振り向いた。

「だから、何が!? 何がヤバい? 皆してヤバい、ヤバいってさ⋯⋯。僕の自由は無いわけ? せっかく死ななかったのに!」

 涙がボロボロ、嘘みたいにこぼれ出て、転がるように滑り落ちる。混乱してるのは僕で、周りからの親切なアドバイスはもう十分! 自分で何か決めたらいけないのか?


「ほらぁ、泣いちゃって。こっち来な? ティッシュあるよ」

 めそめそと女のように泣きながら、姉ちゃんの前にストンと座った。姉ちゃんは今回ばかりは狼狽えて、丁寧に涙を拭いてくれる。

 ⋯⋯なんだ、本当の姉ちゃんみたいにできるんじゃないか。


「知ってるんでしょ? 何があったか」

「あー」

 天使は天井を見た。天界の神様に助けを求めてるのかもしれない。

「アドバイス、したいところだけど、これについては無い、かも。転生したからって、純は純で、自分のことを自分で決める権利があるわけだし。あの櫻井ってのも、周りで言う程、悪い子じゃなさそうだし」

「じゃあ、何がマズイの?」

「⋯⋯それは、ちょっと言えない。そういう契約なの」

「櫻井のことは?」

「それはね⋯⋯。うーん、そういうのは自分で先入観なしに知った方がいいよ」


 脱力。

 ガクッと、身体の力が抜けて、重力をいつも以上に感じる。

「そんなに頬っぺにチュウは嫌だったの?」

「蒸し返すなよ! 出かけてくる!」

 制服を脱いで、Tシャツに薄手のワークパンツで外に出た。

 頭を冷そうにも気温が高すぎ。9月だろう、まったく⋯⋯。神様ってのもさ、仕事、雑い。


 ◇


 項垂れてた僕に、自転車のブレーキ音が聞こえた。

 顔を上げると、思った通りのヤツがいて、笑える。

 コイツさぁ、ホントに。


「貴史、帰り遅かったじゃん」

「⋯⋯たまには鏑木たちと」

「ああ、いいんじゃね? お前、付き合い悪いしな。たまには僕がいなくて丁度いいよな」


 足で蹴って、ブランコを揺らす。

 ブランコってのは、いい。

 反復運動をして、少しずつ振りが小さくなって、最後は止まる。まるで線香花火みたいだ。小さな切なさがそこにはある。


 もっとも、子供の頃は壊れるんじゃないかと思うくらい、立ち漕ぎしたものだけど。落ちたこともあるし、靴がすっぽ抜けて飛んでったこともある。

 そう、いつも貴史と一緒だったっけ。

 こんなにいつでも一緒っていうのも、それはそれでちょっと変な話だけど。


「純⋯⋯」

 何故かその呼び声に、湿り気を感じた。

 いつもと違う。

 何を言いたいのかは、多分、わかってる。

「櫻井と付き合い始めたって⋯⋯」

 貴史は力を込めて話し始め、尻切れトンボに声は途切れた。

「成り行きだけど。そういうこともあるよね。中学の時だって同じようなものだった気もするし」

 ブランコはゆらゆら揺れる。

「俺はあの時だって、気が気じゃなくて」

「僕の頭の中は、貴史から見たらいつでも『お子様』でしょう?」


 違う。

 そんなことを言いたかった訳じゃない。


「違うよ、それは勘違いだ。俺はただいつだって純のことを一番に考えてきたつもりだ。これは偽りない本当の気持ちだ」

 こっちが口を挟む間もなくそう言うと、貴史は自転車で颯爽と走って行ってしまった。

 あーあ、なんだそれは?

 俺は親鳥に面倒見てもらってる雛かなんかか?


 ゆらり、ブランコは揺れる。


 ◇


『今、大丈夫?』

 姉ちゃんが風呂に入ってる間、こっそりLINEを送った。

『大丈夫よー』と、さゆりんから緩い返事が返ってくる。はぁー、さゆりんだって話の内容はなんとなくわかってるんだろうな。

 気は進まない。

 でも僕ひとりで解決できそうにない。

 女の子のLINEは、なんだかカラフルで、自分のスマホじゃないみたいだ。


『櫻井くんのこと? それとも東堂くんのこと? それによってお値段変わるからw』

 なんだよそれ、と思いながら『分けて考えられない』と返事を打った。


 さゆりんから即レスはなかった。

 恐ろしくフリックが速いはずなのに。


『簡単に言えばさァ、純が誰を好きなのかってことじゃん? でも多分、櫻井とは知り合ったばかりでよくわからないだろうし、反対に東堂くんとは櫻井にハンデあげたいくらい、ずっと一緒だったでしょ? どっちかって言われたら、純が悩むのはわからなくもない』

『うん』

 すごく冷静で的を得た答えにホッとする。女友だち、すげぇ。男だとこうは行かない。


『でもねぇ、無責任に言うならお試しで学年イチのイケメンと付き合ってみるのもいいと思う。純はかわいいし、チャンスはいっぱいある方がいいじゃん』

『かわいくない』

『謙遜禁止。たださ、東堂くんの鉄壁ガードは異常な程だし、そこに気が付かない純も純だけど、東堂くんの気持ちもわたしとしては考えちゃうなァ。

 東堂くんからの相談だったら、イケイケって行ってあげるのにさァ。

 あーあ、東堂くん、こんなに守ってきたのに、あっさり純を持って行かれるなんて諸行無常よね』


 最後のところは謎だった。祇園精舎は関係ない。


『たまには東堂くん以外の男の子もいいんじゃない? なんか芽依ちゃんはすっごく警戒してるけど、わたしの目から見た感じ、悪くないと思うなァ。

 あ! 純よりわたしを選ばなかったことは許すまじ』


 なんだその、怒りスタンプは! 笑える!

 女子も悪くないな。男子とは違う友情がある。

『さゆりんが友だちで良かった』

『キモ。わたしも純が好きだよ♡』

 ⋯⋯女の子らしさ、か?


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