第6話 顎クイは友だちでもするのか

「あー、最高に拗れてんね」

 うちには何本のソーダバーが買い置きされてるのか知らない。でも今日もその手元にはソーダバーがあった。

「訳がわかんないよ!!」

「それはさァ、純だけじゃないんじゃなぁい?」

「どういうことッ!?」

 こっちはカリカリしてるのに、姉ちゃんはカチカチに凍ったそのアイスの、ソーダの部分をぺろりと舐めた。視線は僕。


「いいかな? とにかくさぁ、純は女の子なんだよ。そーゆーことになったよね?」

「まぁ仕方なく⋯⋯」

「んじゃ、努力してもっと女の子らしくしようね。ほら、胡座ッ!」

 ビシッと正座する。⋯⋯いやいや、姉ちゃん、ずっと胡座じゃん。まぁ、それはいいけど。

 僕は膝を抱えて背を丸くした。


「んー、かわいそうだけどさぁ、純にはさゆりんたちっていう新しい友だちグループができたわけ」

「うん、まぁそう」

 弁当を独りで食べないで済むのはありがたい。

 女に生まれ変わったら、弾かれる陰キャになってたら痛かっただろう。

「つまり! この世界線ではさ、純の男友だちは皆、⋯⋯皆は言い過ぎか? まぁ大体、貴史くんから見たら、恋のライバルなわけだ! うひゃー、青春ッ! アオハル」

 自分で言っといて、姉ちゃんは文字通り腹を抱えて笑った。マジ、ムカつく。天使をきちんと教育しろ。


「冗談はもういいよ。僕はさ、まだ皆と友だちでいたいよ。仲間に入れてほしいし、またバカ騒ぎしたい」

 よしよし、と俯いた頭を姉は何を思ったのか、柄にもなく撫でてくれる。なんだかコイツに慰められるなんて、もっと惨めになる。

「そこんとこ、割り切って! すまん! 神にも間違いがあるんだよ。わたしの査定にも⋯⋯こほん」

「割り切る? そんなぁ! 鏑木も矢野くんも、せっかく腹を割って話せる友だちになったのに」

「割り切れ! 今なら漏れなくさゆりんが仲間に! きらーん☆」

「⋯⋯騙されないからね」

 チッと姉ちゃんは舌打ちをした。まったく女らしいのは、体型と僕に似た顔くらいだ。


「綾ァ、お風呂、先に入るんでしょー?」

「あ、すぐ行く!」

 ソーダバーを押し付けて、騒がしく階段を下りて行く。なんなんだよ、まったく! 生まれ変わったって全然、思い通りにならないことばっかじゃんか!

 転生ってさ、こんなんなのか⋯⋯。

 あ、泣きたくなってきた。

 女の子になったから涙もろくなったのか、それとも男の自分もちょっと辛くなったのか、その境目は僕にもよくわからなかった。

 ソーダバーは今日も外れだった。


 ◇


 ベッドにはほにょほにょしたピンクのデカいうさぎのぬいぐるみがいる。

 女の僕はこれのどこが気に入ったのか、よくわからない。

 わかったのは、こんな気持ちの時に触ると、意外と心地いいこと。ふわふわだ。

 誰も見てないし、と思って、ギュッと抱きしめてみた!


 ピロン♪

 うわっ、となって、うさぎを思わず放り投げた。ただの受信音だよ、と自分を落ち着かせてうさぎを拾った。ごめん、悪かった。

 まったくもう、とスマホのロックを外すと、LINEの通知。⋯⋯貴史。


 ――悪かった。俺が子供っぽかった。許せ。


 なんで上からなんだよ!? 僕が怒ってるのに!!

 まったくさぁ、ホント、わからない。

 なんで男っていうのはこう、気が利かないっつーか? ⋯⋯男っていうのは?

 ガバッと自分の胸を掴んだ。確かにそこにはやわらかい胸があった。

 別に今更、女子の胸に萌えたわけじゃない。

 なんなんだ、今の思考回路。僕だって、男じゃん。少なくとも、中身。

 神様が間違えたのは外見のことで。

 でも女子に萌えたりしなくなったような気も······。


 ⋯⋯男じゃないのか?

 パタン、ベッドに仰向けに倒れる。

 僕、男から少しずつ遠ざかってる。

 そう言えば、さゆりんたちと行動するのもすっかり慣れて、紫外線ヤバいなぁって、姉ちゃんに初日にもらったリップ、トイレの鏡の前でさゆりんたちと話しながら塗ってる。

 そこに違和感を感じなくなってきて、一緒になって喋って。


 あんなに「かわいいなぁ」と遠くから見てたさゆりんが下ネタ言っても「またまたぁ」とか思って、ショック受けたりしないし。


 男って、なんだ?

 だからさ、どこが男の象徴なんだよ! 身体が変わったら僕のアイデンティティが女になるのかよ。

 絶対! 絶対に女になんかならない! 例え身体が男のままでも!

 絶対だ!


 ◇


 そう思った翌日には、電車の揺れですっ飛んで、貴史に抱きとめられていた。

 ⋯⋯恥ずかしい。

 なんでだ? いつも一緒にいたのに、抱きとめられて逞しいなぁとか思うなんて。ポッと頭の中が爆発しそうになる。


「悪い」

「痛いところ、ないか?」

「⋯⋯昨日は返信しなくてごめん」


 電車はなんの手加減もなく、揺れ続けていた。少しは遠慮してくれてもいいのに、僕たちを揺らす。

 頭の上に、ポンと手が置かれる。視線を上げると、貴史は笑っていた。いや、多分。ほんの少し。

「それで今朝はおとなしかったのか」

「⋯⋯そういう訳じゃないけど、でも⋯」

「昨日のことは俺が悪かったよ。純の気持ち、考えなかった。友だちは多くて悪いものじゃないのに」


 僕はそっと、貴史の胸に手を置いて、身体を離した。⋯⋯すごく緊張する。うわー、また赤くなってるし。

「ありがとう」

「お前が軽いのは昔からだ。吹っ飛んだら止めてやる。それが俺の役目だ。いつものことだ」

 うん、と言ったけど、釈然としない。

 確かに男だった時にも、背の低かった僕が転ぶのを貴史に止めてもらったことがある。

 でもこれとそれとは⋯⋯。涙が滲む。


「どうした? やっぱりどこか痛かった?」

 無理に顔を上げさせられて、目と目が合う。こういうの『顎クイ』とか言わないか? また顔が赤くなる。お前は何ともないのか? それとも僕たちはそういう関係なのか?


「⋯⋯心配するな、俺だってお前の友だちだ。もう邪魔したりしないから」

 目と目が近いのに、そんなことを言われたら。

 コイツ、こんなにイケメンだった? 耳に近い声が、少し掠れて聞こえて。

 そんな風になりたくないのに、ドキドキする。

「あの」

「もっと何か約束した方がいいのか?」

「ううん、あの、もういい。女の子の友だちだけで十分だよ。男友だちは、ほら、貴史がいるしね。女の子たちの目も厳しいし」

 貴史は少し目になって、「そうか。確かに女子の目は怖そうだな」と言った。


 いや、お前と仲がいいだけでも十分、からかわれるんだが。


 僕の顎を上げた手は、再び吊革に戻った。

 貴史は「また転ばないように、俺に掴まればいい」と言った。僕は仰け反るかと思った!

「遠慮はいらないぞ」

 する! 絶対する! 2駅しかないし、学校に着いたら話題になるから!

 そういうとこ、鈍いんだよ。


 ◇


「おはよ、話題の中心ちゃん♪」

 さゆりんは意地悪そうな顔をして、まるで僕を待ってたかのように捕まえた。

 さゆりんの席は入り口近くなので、いつでもすぐに捕まってしまう。

 貴史は何もなかったかのような顔で、さっさと僕の隣の席に着いた。何も考えてないんだろう。

「話題って、何?」

「とぼけるの? ここへ来て。もう、みーんな知ってるよ、今朝の電車のこと♡」

 ゾクゾクゾクッとする。


「『努力なくして手に入れるものは』、だよ。偉い、偉い、努力だよねぇ。仕方ない、わたしは手を引くか」

 はぁっ、とか言って頬杖ついてる。真面目に貴史を狙ってたのか? それなら誤解はといた方が良くないか?

「純が自分から行ったわけじゃないんでしょう? まったく、この子、奥手だし」

 真佑が、瓶底メガネからこっちを見てる、視線を感じる。相変わらず、じとーっと。

「だから、なんでもないって! 電車で転びそうになって助けられただけ!」

 ほほぅ。真佑はそう言った。


「純を好きなヤツも不幸だよな。東堂くんのガードはバッチリだから」

「そんなんじゃないでしょ!? 幼馴染だからつるんでるんだよ」

「純ちゃん、それは冗談にならないよ。わたし⋯⋯実は見ちゃった。ふたりが今にもキスしそうだったの」

 ああッ! 誤解って怖いッ!

 もう、顔を手で隠すしかなかった!


「純? 授業始まるよ!」

 さゆりんの声を後ろに聞きながら、わたしは廊下を走った。特に行く宛てもなく――。


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